1 転生者は二度死ぬ
残骸が世界を漂っている。
残骸は光の杭が胸に撃ち込まれた人の形をしていた。
そう、もう人の形でしかない。ぐずぐずに解け、粒子となって世界に溶けていこうとしていた。
体格体型は成人男性のようだが、顔の造形は崩れてしまい、今は白人種を思わせる白い肌と明るい金の頭髪という色合いしか残骸の個性を示す物が残っていない。
――あの男が放ったこれは恐らく同類の力だ。もっとも、遥か格上の同類なのだろうが
残骸は今も身体を蝕む光の杭と、それを撃ち込んだ相手の事を考察する。
――あの男の因子を引き込めはしたが、こちら本来の因子が破壊されて安定しない。放っておけば回復はするが、現状ではすぐにでも消滅しかねない
残骸は己の末路を思う。
――だが、侵蝕されなくてはならない
それは残骸に残った本能だった。
――まだこの世界は侵蝕されなくてはならない
――足りない
――もっと、もっと侵蝕されなくてはならない
――侵蝕されるために侵蝕させなければ
――侵蝕させるためには力が必要だ
――侵蝕の主体となるには難しいが、力が戻るまで何かを侵蝕するしかない
――そう、何かの中に潜み、中から侵蝕して、隠れるのが良いだろう
――力が無い今でも侵蝕できるものは、いないか
残骸は僅かに残った力を振り絞り、周囲の気配を探った。
――この体にしてみよう
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「転生者は二度死ぬ」
この世界では良く知られた言葉だ。元になったのは異世界における有名な娯楽物語だという。
転生者とは何か。
それは生まれ変わりの経験者という表現が一番分かりやすいだろう。
幼少期から年齢不相応な聡明さ、才覚を示す事が多く、その根源は維持された前世の記憶だった。
彼らは皆、異世界の日本という国の民だったと言う。
生き物に生まれるというのは、それはいつかは死ぬことと同じである。
不老長命の種に生まれ変わることは有っても、自身が絶対的不死性を備えた存在にでもならない限りそれを避けることは出来ない。
ならば前世において一度死を経験している転生者という存在は、必ず再度の死を経験するという言葉だった。
〈アドナック王国〉第三の都市〈ウィケロタウロス〉の路地裏。
雷光の伴う豪雨の下、少年と女が向かい合っていた。
よく日焼けした肌、黒に近い茶色の髪の少年。
革主体の手作り感の有る防具の上にボロボロのクロークを羽織り、両刃の剣を正眼に構えている。
濃い青の虹彩に年齢不相応な落ち着きと警戒心を浮かべた、この世界ではたまにいる類の目をしていた。
名前はキース。14歳になった今年、職を求めて都会のウィケロタウロスにやってきたばかりである。
「貴様らが持ち込んだ言葉の通りだな。〈異害人〉」
呟くように言う女の方は、銀髪に紺の外套を纏った20代前半と思われる美女だ。
だらりと下げた右手には赤い刀身を持つ長剣。
その視線には、キースと対照的にどこか幼い印象を受ける。
自身の正当性を毛ほども疑っていない、まるで童女のような瞳だった。
「『往生際が悪い』というやつだ」
言葉と同時、一瞬で距離を詰めて右手に持っていた赤い刀身の長剣を振り抜いた。
一拍遅れて、圧し折られたキースの剣先が地面に突き刺さる。
キースが生まれた村を出て以来使っていた剣。
大した物ではない。ろくな鋼を使っていないし出来も今一つだ。
だが、何だかんだ頼りにしてきた武器を砕かれ、汗が吹き出し、体温が一気に下がったように感じた。
キースは残った柄を放り捨てて後方に跳躍する。
周囲に存在する魔力、界威を両掌の間にかき集め、豪雨によって満ちている〈水気〉から〈水生木の理〉によって〈木気〉の青く光る魔力球に変換していく。
(行けっ!)
心中の気合と共に魔力球を射出した。
飛翔の際にも〈水気〉を吸い上げ肥大し、破壊力を上げる〈木気〉の魔力球は大型の魔物を相手にしても有効打となるほどの威力になっているはずだった。
「〈ウォール〉」
女は呟く。超越者から与えられる魔力、神威によって構築される、神令と言う種類の魔法だ。
魔力球は女の展開した魔力の障壁に衝突して散った。
キースは自身の魔法があっけなく無効化されたことに顔を歪める。
可能な限りの好条件下で放ったそれですら、有効打には成り得なかった。
どうしようもなく理解する。
この女には勝てない。
戦えば殺される。
深夜とはいえ住民自体は居るはずだ。大声を出して周囲に助けを求めるか?
いや、それで下手に本気になられでもしたら賭けになる。
ならば、逃げるしかない。
今度は〈木気〉の青に加え、〈水気〉をそのままに黒の魔力球に変換、さらに青の魔力球を元に〈木生火の理〉によって〈火気〉の赤の魔力球を構築する。
黒・青・赤の三色の魔力球それぞれから、ピンポン玉大の水気弾・木気弾・火気弾を連射する。
最初の木気弾のように威力は求めない。特に火気弾など周囲の〈水気〉に削られてさらに減衰してしまう。
だが牽制になれば良い。傷つける必要すらないと割り切り魔力の供給は最低に絞る代わりに、連射と射速に極振りする。
一発一発は大したことのない魔法弾だが、その異常な数で障壁の解除を許さないのが目的だった。
界威で構築した魔力球から簡易な魔法を放つ技術は、ほぼキースのオリジナルだ。
初見の魔法に加えて手数の多さ。ダメージは期待できないが、いくらかでも面喰らってくれないかと期待してもいる。
もしくは、延々続く連射に痺れを切らすかだ。
魔法弾の貧弱さは既に分かっているだろうが、気が逸れてくれさえすれば、
「うっとおしいっ!」
焦れた女は魔法弾を弾いている障壁を、そのまま前に押し出した。
障壁は途切れぬ魔法弾を弾きながらキースにまで届き、衝撃に変換されてキースの体を吹き飛ばした。
水切りをする石のように水溜りで飛沫を上げ、地面にぶつかる度体を襲う鈍痛に堪えながらも彼女の心が乱れた事を確信する。
(これで〈迷彩〉が使える……!)
キースは生まれつき持っていた能力によって姿を消し、極力気配を殺して女から可能な限り離れようとしていた。
その能力、〈迷彩〉の効果はその名の通り姿を消すもので、衣類や所持品を含め「自身」と認識可能な物をカメレオンの様に周囲の色彩に合わせる事が出来た。
体臭や足音を消すことは出来ないが、幸いにも豪雨や〈迷彩〉を活かすために鍛えた忍び足によってカバー出来ている。
撤退を決めてすぐに使わなかったのは、既に敵対者に注視されていると発動しない制限からだった。
慎重に己の気配を消して進み、キースはウィケロタウロスから離脱することに成功した。
街の外の草原でしばし立ち尽くし、しゃがみこむ。
盛大に息を吐き出した。
同時に〈迷彩〉も解除され、彼を染めていた周囲の色彩が抜け落ちていく。
疲れていた。
ぜえぜえと荒く呼吸する。
(せっかく田舎から出てきたのに、都会に来たら訳も分からず殺されかけるとは……)
その理不尽さに失望する。
しかし、
(何にせよ、今は生きてる)
命が助かったことに安堵する。
(死んだらそこで終わりだ。俺は、まだ生きてる!)
キースが気を取り直そうとして街の方を振り向くと、撒いたはずの銀髪の女の長剣に胸を刺し貫かれた。
粗末な革と木の胸甲など何の役にも立たなかった。
まだ意識が有るのに力が抜けた。
(終わった……?)
生を噛み締めた直後にこれかと、心の中でだけ変な笑いが出そうだった。
キースは膝から崩れ、長剣が胸からずるりと滑り抜ける。
この時点で、十分に致命傷だった。
「〈外法〉使いめ……! 手間をかけさせるな!」
女は美貌を歪めて吐き捨て、仰向けのキースに馬乗りになり胸にさらなる刺突を繰り返した。
キースは刺される度びくりびくりと四肢を震わせ、口から血液が溢れさせた。
逆に女は、般若のそれを穏やかな笑みに変えてゆく。
空気を差し込む。
煮物を混ぜる様にかき回す。
「い、いひっ、ひひ、あぁぁぁぁぁ……」
返り血を浴びながら頬を染め、息は荒いが喜悦の声を漏らしていた。
やがて、剣を刺してもキースの身体が動かなくなる。
表情が驚愕に固定されたまま動かなくなると少々残念そうな色を見せたが、女はその傍らに跪き両の手を組んで晴れやかな表情で何かに祈りを捧げ始めた。
「御子の一人が、いと貴きお方へ悪しき〈異害人〉の血肉を捧げます……。〈外法〉による世の穢れをどうか御祓い下さいませ……!」
キースはかつて日本に生きていた。
その時は丘崎始という名の大学生だった。
一般家庭に生まれ育った、良く言えば慎重で悪く言えば臆病な青年だったが、概ね何処にでもいる学生だったと言って良い人物だった。
バイトで金を稼ぎ、サークルで活動し、友人もおり、彼女が出来た事も有った。
だが、大学生活の最終年度における就職難でノイローゼとなり、最後は自ら命を絶ってこの世を去った。
慎重で臆病であるが故に人生で躓かないようにと障害を避け、積極的に安全牌を掴む努力をし、それを成就させてきた青年は生まれて初めての壁に向い合う事が出来なかったのだ。
それが何の因果か、この剣と魔法の世界に生まれ変わることとなった。
新たな人生はとある海沿いの村、貧しい漁師の家の子。
丘崎始の精神を受け継ぐ〈転生者〉は、キースと名付けられた。
第二の生家が裕福でないことに不満が有った訳ではないが、彼の中に新たな生への喜びは無かった。
自殺に失敗したような心境だった。
果たして自ら死を選んだ人間が、生まれ変わったからと掌を返して生きていることが酷く情けなく、恥ずかしかったのだ。
とある事情により、4歳にして自分がこの世界で成人とされる14歳になれば家を出なければいけないことが分かった。
ファンタジックな世界にも、生まれ変わった自分にも慣れることが出来ず、常に混乱と後悔の中にいたキースはそれで吹っ切れた。
今度こそは就活に成功し、一人前の社会人として自立してみせると。
それが、己の弱さゆえに死んだ前世への償いになると信じた。
指導してくれる者もいない環境で、キースは独学で武術と魔法の修行を行った。
村を訪れた冒険者が語った、武術か魔法が使えれば食っていけるという言葉を信じてのことだ。
幸か不幸か、かつてその村で忌み子と扱われた症状を示していたため、周囲から出来るだけ関わらないようにされていたキースは十分に幼少期の時間を活用することとなる。
悲しいかな才能が有ったわけでもなく、武術も魔法も最終的には大した物にはならなかったのだが。
時は流れ、14歳になると冒険者の集まる都市〈ウィケロタウロス〉へと旅立った。
自身の才の限界は察していた。しかし、何なら冒険者になれずとも良いとすら考えていた。
一般人の範囲で考えれば体は鍛えており健康体で、人並み以上には魔法も扱えるのだ。人が多い都市部ならば冒険者にこだわらずとも何かしらの職にはありつけるはずだった。
3年前にウィケロタウロスへと旅立った、村で出来た唯一の友人の顔も見たかった。
あちらは、きっと凄い冒険者になっているだろうと期待していた。
キースがとても敵わない友人だった。しかし、敵わない事を嬉しく思えるような親友だった。
そして今、生き物としての命を失い、キースの存在が消えていく。
生まれ変わった甲斐も無く、親友に再び会うことも出来ず土に還ろうとしている。
やはり、〈転生者は二度死ぬ〉のがこの世界の定めだった。