89.『間章』
エルサティーナの王宮にある会議室。重臣たちがひしめくなか、アーサーが言う。
「ベアトリーチェの捜索の件だが、大陸中央部を重点的に捜索令を出そうと思う。」
それに重臣たちは溜息を尽く。口には出さないが、「またか。」と言う意味だ。アーサーの想い人がベアトリーチェと知らない重臣たちにとって、王が何故ここまでいなくなった側妃の捜索に執着するのかわからない。
しかも評判は最悪で、政治的価値もないベアトリーチェである。
まあ、この案件について王の言うとおりにしておけば、ちゃんと王としての職務はきちんとこなしてくれるのだから、重臣たちは王の言うがままにして流すようになっていた。
「何か手がかりでもありましたか?」
しかし今回はやけに具体的である。重臣の一人が疑問を口にする。
王の立場からベアトリーチェを直接捜索に行けないアーサーは、仕事に打ち込むことでそのもどかしさを解消しようとしていた。あまりに多くの仕事に打ち込みすぎて、重臣たちに心配され半ば強制的に休養に送られた。
その休養も与えられた期間の半分で帰ってきてのだが、帰ってきたときの様子が少しおかしかった。
もしかしたら休養先でベアトリーチェに関する情報が手に入ったのか。事情を知らない重臣たちも、事情を知るようになった側近たちもそう考える。
「いや…、なんでもない…。」
しかしアーサーの口から、その情報がきちんと語られることは無かった。
アーサーはベアトリーチェと直接会った。そしてベアトリーチェが楽団の魔笛の奏者として、生活していることを知った。だから自ずとベアトリーチェのいる場所も予測することができる。その情報を伝えれば、捕まえられる確率はぐっとあがるはずだ。
アーサーにもためらいがあった。ベアトリーチェを捕まえてしまっていいのか。そういう思考が頭をうずまく。
だからといって、諦めるという選択肢は選べなかった。諦めることもできないが、徹底的にベアトリーチェを追うこともできない。そんな中途半端な状態が、アーサーの現状だった。
そのままその議題は、アーサーの言うとおりに通るかと皆が思ったとき。
「お待ちください。」
そう声がかかった。
この議題については、もうアーサーにとやかく言う人間はいなかった。一体誰が、そう思って振り向いた臣下たちは仰天した。なんと声を上げたのは、王妃だったのである。
王妃は会議に参加することはあったが、意見を求められるとき以外発言することは無かった。その王妃が自ら立ち上がって意見を述べる。
いったい何事だと、その場にいた重臣たちは驚く。
「ベアトリーチェさまの捜索ですが、何度も他国に干渉してはエルサティーナの信頼が落ちてしまいます。」
レティシアは立ち上がり述べる。
「では、どうすればいいのだ。」
アーサーがぴくりと眉をあげ、レティシアへと聞き返す。
「現状のまま、ベアトリーチェさまが帰ってくるのを待てばいいかと。」
レティシアはすました顔でそう述べた。
「ベアトリーチェは我が国の側妃だ。連れ戻さなければいかん。」
アーサーはすぐに言いかえす。
「西方の要所の橋が大雨で流れている問題。北国の紛争の火種の仲介。サール国との交易の締結の問題。会議にはどんどん重要な議題が積み重なってきています。ベアトリーチェさまの行方も重要な議題ですが、今はもっと優先すべき事案が無数にあります。」
ばちばちとアーサーとレティシアの瞳がかちあう。
レティシアは王妃としては優秀な少女だったが、それは実務においてのことだった。積極的に会議で意見を述べることはほとんどなく、周りの言う事に従っていることが多かった。その王妃が立ち上がり、王に向かって意見を述べている。
異様な雰囲気に会議室が騒然となる。
そもそもアーサーさまとレティシアさまは、仲睦まじい恋人同士でなかったのか。事情を知らない臣下たちは、二人の間に流れる激しい対立の空気に気圧される。呑気な臣下などはベアトリーチェに嫉妬したレティシアさまと、アーサーさまの痴話喧嘩なのだろうと思っていたが…。
「まあまあ、レティシアさまの言う事も一理あります。次の議題にうつりましょう。」
苦笑いを浮かべた臣下が結論を出さない状態で次へ進めたことで、その場は曖昧なままおさまった。
それからアーサーのベアトリーチェ捜索には、王妃の妨害が必ず入るようになった。四年という王妃として暮らしてた間に作ったつてで、レティシアはアーサーのベアトリーチェ捜索が円滑に進まないようにところどころに邪魔を入れた。
権力的にも人脈的にもレティシアのそれはアーサーにはまだまだ及ばない。しかし王国の建前として、アーサーとレティシアは仲が良くなければいけないのだ。アーサーの方から目に見えて対立するわけにはいかなかった。
ベアトリーチェの捜索は、エルサティーナの国外では実質影響を及ぼすことができないようになってしまった。
ベアトリーチェはエルサティーナの以外なら、自由に活動できるようになったのであった。
***
マーセル楽団、そして笛吹姫の名は大陸中に知れ渡るようになってしまった。
しまったというのは、特にベアトリーチェが熱狂的なファンがついてしまいいろいろとまわりが苦労するようになったことに由縁する。
メンバーたちにも楽団自体にも、多くのファンができた。ベアトリーチェたちは各所で引っ張りだこだし、街を歩いていても話しかけられたりする。
何処の国でも人気が高く、いろんな国で演奏をしているマーセル楽団だが、エルサティーナでは何故かコンサートを開いたことが無いのが疑問に思われてた。それについてもエルサティーナのベアトリーチェたちのファンが、他国をうらやましがってるという話であり悪いことではない。
ベアトリーチェについては、容姿や魔笛の演奏だけでなく、明るく優しい性格もどんどん知られていき、人気が膨らむばかりである。ベアトリーチェもいろんな人から、演奏を褒めてもらえたり、応援の言葉を貰えたりするのが嬉しくなってきていた。
そんなこととは別として、ベアトリーチェには悩みがあった。
「ねぇ、マーセルさん。私、ルモに嫌われてるのかなぁ…。」
テーブルに手を付き、溜息を吐く。
「そんなことないと思うが、どうかしたのか?」
「最近、一緒に寝てくれなくなったし。話しかけても、素っ気ないときがあるの。私、怒らせるようなことしちゃったのかなぁ。」
「うーん、わからないが嫌ってるってことはないと思うぞ。」
マーセルもわからないと言った感じに首をかしげる。しかし後ろで見ていたマーサとイレナはにやにやと訳を知った顔をしていた。ルミもわかっているようだが、ちょっと不機嫌そうだった。そして三人とも理由をベアトリーチェに話すつもりは無いのは一緒だった。
「本人に直接聞いてみたら?宿の裏にいるみたいだし。」
どこか楽しげな友人たちの言葉に、ベアトリーチェはその裏に気付くことなく、額面通りを受け止めて立ち上がる。
「そうだね。いつまでも悩んでいても仕方ないよね。私、ルモに直接聞いてみる!」
そう言うと宿の裏まで駆け出していってしまった。
「本当に鈍いよねぇ。」
「まあ、そこも可愛いのかもしれないけどねぇ。」
マーサとイレナはにやにやと笑いながら話す。
「笑いごとじゃないよっ。ベルったらファンの男たちにどう見られてるかすら、全然気づいてないんだから!」
一方、ルミの方はぷんぷんとそういうことを叫んでいた。
「お前ら何の話してるんだ?」
「あんたも相当、鈍いね…。」
マーセルの言葉にイレナが呆れる。
「全員…仕方ない奴…。」
ウッドが最後に溜息をついた。
***
宿の外に出たベアトリーチェは、ルモの背中を見つけた。
最近は背が伸びてきて、自分の身長に近づいて来た気がする。ルミの方もここ最近、成長してきて女の子から少女といった感じになってきていた。
「ルモ!」
ぽんっと肩を叩かれて、振り向いた瞬間、ルモは飛びのいた。
「うわぁ!」
肩を叩かれて驚いたのではない。振り向いた後、ベアトリーチェの顔の位置がやたら近いところにあったのだ。
飛びのいたルモを、綺麗なまつ毛に覆われた瞳がぱちくりと見つめている。
「ごめん、驚かしちゃった?」
「いや、なんでもねぇよ。」
ルモの顔は真っ赤だ。
「顔赤いよ。熱があるの?」
飛びのいたルモに近づき、ぴとりと額をあわせてしまうベアトリーチェ。綺麗な顔が息の触れる近さにある。
「うわあぁ!」
ルモは慌ててふたたび飛びのいた。
「どうかした?」
「なんでもない!なんでもないったらない!」
触れた額は少し熱かったが、動作をみると元気みたいである。
「それより、何のようだよ。」
どこかつっけんどんな言い方に、嫌われてしまってるのだろうかと思う。しかしマーセルさんが言うにはそんなことないらしい。やはり、直接聞いてみなければ、判断は早い。
「ルモ、私のこと好き?」
「はっ…、はぁ!?」
ベアトリーチェの言葉を聞いたルモは、一瞬何を聞いたかわからないと言った感じで抜けた声を漏らしたが、意味を把握した瞬間、大きく声を出す。
「い、いきなり何言ってんだよ!」
顔はさっきよりも赤い。
「だってルモが最近なんか冷たい気がするから。でも、マーセルさんは嫌われてはいないって言ってたから、嫌い?って聞くのは失礼かなぁって。」
ベアトリーチェの説明にルモはがっかりした溜息をつくと、額に右手をおきながら言葉を口にした。
「はぁ、そういうこったろうと思ったよ…。」
「で、どうなのかな?」
まったく邪気のない表情で聞いてくる年上のはずの少女に、ルモの心の溜息はとまらない。
「嫌いじゃない。」
どこか不機嫌そうにいうルモに、ベアトリーチェは首をかしげる。
「それって好きってこと?」
「嫌いじゃない!」
聞き返したベアトリーチェに、ルモは強調するように区切って同じ言葉を述べた。その言葉を聞いたベアトリーチェは立ち止まって考えた後、嫌われてないと理解したのか、笑顔になる。
「そっかぁ、良かった。」
その反応にルモは安心したように溜息をつく。しかし、爆弾は次に投下された。
「じゃあ、今日は久しぶりに一緒に寝ようよ。」
ぶっと息を吹きだし咳き込みだすルモ。
「む、無理にきまってるだろ!」
「ええ、なんで?」
「無理だって言ったら無理だ!」
「どうしても?」
ルモへと平気な顔で爆弾をなげてくるベアトリーチェは、膝を曲げてルモの顔を覗き込んでくる。二人の身長は随分と近くなってるので、自然と上目遣いで覗きこまれるようになっていた。
ルモは顔を紅くして、心臓をばくばくさせるしかなかった。
「ねぇ、願いだから。」
「わ、わかっ」
本当なら断りたくなんてない誘いを本人からしつこく頼み込まれ、俺は悪くないよなとベアトリーチェからの無意識の誘惑に頷きかけた時。
「ベルー!今日は一緒に寝よう!」
うしろから大きな声でルミが飛びついてきた。
「うん。ルモも一緒に」
「えー!ベッドが狭くなるからいやだぁ!」
「えっ、でも。」
「ルモだって困るよね?」
双子の妹はあくまで明るい声でそう言いながら、ベアトリーチェに見えないように鋭い視線でぎろりと睨んできた。
「あ、ああ…。」
「困るってなんで?」
「いいから、いいから。夜まで買い物いこうー!」
ルミは戸惑うベアトリーチェの腕をとり、ぐいぐいと引っ張っていく。
ルモはさんざん自分に爆弾を落とし続けた初恋の少女を(といっても外見とは違い大分、歳は離れているのだが)妹が強引に連れ去っていくのを、残念なようなほっとしたような気持ちで見送った。