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88.『つばさ』

 音楽の都と呼ばれるウィーナでは、年に一度の音楽祭を迎え大きく活気づいていた。

 上品な石造りの建物は花で飾り付けられ、華やかな街並みを見せる。涼しげな青空の下、人々は煉瓦道をゆっくりと歩き、楽しそうに談笑していた。

 話の内容は今日行われるコンクールのことだ。今日開かれるコンクールは、世界でもエルサティーナのコンクールに次いで権威あるものであり音楽祭の目玉でもある。

「やはり今回の優勝者はシルフィール嬢でしょうなぁ。」

「やはりあなたもそう思いますか。彼女の魔笛の演奏は本当に素晴らしい。それにとても美しい容姿でいらっしゃる。おまけにエルサティーナの大貴族の令嬢であらせられる。完璧とは彼女のことを言うのでしょうなぁ。」

 道で裕福な格好をした紳士たちが楽しそうに話しながら歩く。二人が通り過ぎたところで、この街で老舗の花屋の女主人が空を見上げ溜息をついた。

「やれやれ、その大貴族の令嬢ってところが肝心なんだろうに。まわりは一流の奏者で固めてるが、彼女自身は凡庸な演奏しかできてないじゃないか。そういう権威だけで、まわりが持ち上げておいて良く言うよ。」

 花屋の営業が終われば自分もコンクールに向かう予定だが、大した奏者がいなくなりシルフィールのように身分を使い評判を上げたり、主催者好みの選曲で評価を上げることが優勝を分けるようになってからはコンクールも大して楽しみでは無くなってきた。年々、質は落ちるばかりである。

「本物があらわれてくれればいいんだけどねぇ。」

 奏者同士の実力の差がないからこそ、そういう権威や媚がまかり通るようになってしまう。

 音楽の都の現状に、一市民としてため息を吐く彼女の前を、凄い勢いで馬車が走り抜けた。

「遅れちゃう!マーセルいそげいそげ!」

「わかってるからせかすな!」

 楽器をのせているらしい旅馬車、しかしコンクールがはじまるまであと2時間ちょっとしかない。なのに今頃、街に入ってきたらしい馬車を、女主人は目を丸くして見送った。


***


 急いで馬車を止めたマーセルたちは、そのまま駆け足でコンサートホールへとたどり着いた。全員が息を切らして中に入る。

「ふう、なんとかぎりぎり間に合ったな…。」

「ぎりぎりというか、ルドさんが手をまわしてくれてなかったらもう既に遅刻だけどね。とにかく間に合って良かった。」

 マーサはそう言って安心したように一息つく。

「みんなごめんね。」

 こんなに時間ぎりぎりになってしまったのは、ベルをベアトリーチェだと知ったみんながなるべくエルサティーナから離れた進路をとってくれたからだ。ルドも今回の件を申し訳ないと思ったのか、つて使ってくれて参加登録だけは先にすることができた。後は会場入りに間に合えば良かったのである。

「気にするな。」

「はい。」

 マーセルが少し笑って言葉を返してくれる。それにベアトリーチェも微笑み返した。

 自分のせいでこんな時間ぎりぎりになってしまって、申し訳ないと思う。でも、前みたいに落ち込むことは無かった。足を引っ張ってしまうことは確かにあるけど、みんなとそうやって支え合っていくことは悪いことじゃないと思えるから。

「そうそう、こんなにぎりぎりになったのはルミが前の街の屋台で、串焼き食べたいって言ったからだぜ。」

「だってお腹空いてたんだもん!だいたいマーセルも馬車で道外してたじゃないー。それでも時間ロスしてたよ!」

「あれは馬が言う事聞かなかったんだ。」

 みんなの会話を聞いて、ベアトリーチェが思い出したように言う。

「そういえば私も馬車の御し方を覚えようと思ってるんです。今度教えてくれますか?マーセルさんとウッドさんだけに任せきりだと悪いですから。」

 みんなの反応は芳しくなかった。

「いや、それはちょっとな。」

「これ以上…男勝りになられても困る…。」

「うん、やめたほうがいいわね。」

「ええー!」

 みんなの言い草に、ベアトリーチェもさすがに不満の声をあげる。

 アーサーさまから逃げ出して以降、何故かみんなが自分のことを男勝りだと認識するようになってしまった。ベアトリーチェとしては男勝りなつもりなんかないので、ちょっと納得いかないし、不満である。

 たまに男装してるのが原因かと思ったが、マーサ曰く全く関係ないらしい。

 その続きで、むしろ女の子っぽい恰好してるときのほうが男らしい、と言いかけてマーサはやめた。男装時代の方が振る舞い方を考えていたせいか、大人し目だった気がするのだ。

 そしてベルがベアトリーチェと分かって以降は、心の距離がぐっと近づいたせいかそんな行動が増えてきた気がするのだ。

 ベアトリーチェは小柄で少女らしい可愛らしい容姿なので、そういう行動とのギャップが際立つのである。最近は女の子らしい恰好をみんながさせてるので、そんな恰好で馬車の御車なんてやられた日には目立つことこの上ない。

 お人形さんみたいな容姿と、礼儀正しい振る舞いに隠れて、突拍子ないお転婆な行動をとるこの友人を抑えるのは、マーセルたちの至上課題になりかけていた。


***


 シルフィールが演奏を終えると、観客たちは大きな拍手をした。

 それを見たシルフィールは、満足そうに口角を上げて舞台から立ち去った。今まで演奏した楽団の中では一番の大きな拍手だった。

 しかし、観客たちの表情は、そこまで盛り上がった様子ではなかった。

 まわりを一流の奏者で固めても、彼女自身の魔笛の演奏は凡庸の域をでない。そして奏者たちも金で雇われただけで、奏者同士での信頼関係はない。だから彼らから生じるシンフォニーは、観客たちの想像を超えることは決して無かった。

「次はっと…。ふーん、マーセル楽団っていうのか。」

「噂では笛吹姫って呼ばれている魔笛の奏者がいるらしいぜ。」

「笛吹姫って言っても、南方のコンクールで優勝しただけの田舎楽団の田舎娘だろ。大したことないさ。」

「そうそう、シルフィールさまのように才能も容姿も兼ね備えた魔笛の奏者なんてそういるわけないだろ。」

 観客たちは興味なさげにパンフレットをめくる。

「やれやれ、選曲もわかってないなぁ。レティシアさまの歌じゃなくて、別の曲を選んじゃってるよ。」

 マーセル楽団の演目にはレティシア王妃の歌は入ってなかった。ウィーナでも屈指の人気を誇る曲で、演目にこれを選ばない楽団はいない。

「えぇ、じゃあ興味ないわ。寝ちゃおうかしら。」

 若い女性客なんかはこの曲を聴くためだけに、コンクールに来ていたりもする。

 観客たちの反応は、優勝候補のシルフィールの後というのも含めて、あまり芳しくなかった。

「おい、そろそろ入場してくるぞ。」

「どれどれ、田舎楽団の姿を拝んでやるか。」

 大半の観客たちが興味のない中、注目するのは意地の悪い客たち。

 そんな中一人の少女が舞台に現れたとき、観客たちは白い羽根が舞台に舞い落ちるのを見た。

「天使…?」

 背中へと流れる柔らかい蜂蜜色の髪、白く透き通った肌に、琥珀色の大きな瞳が穏やかに優しく光る。彼女の纏う純白の衣装は、彼女の整った可愛らしい造形から高貴な光を抽出し、神々しい輝きを皆へと見せつけていた。

 天使は優雅な動作で舞台を歩くと、中央に来たところで客席を向き、にこりと微笑みかける。

 その微笑みを見て、さっきまでシルフィール嬢を絶賛し、笛吹姫を田舎娘と馬鹿にしていた男性客たちの顔が真っ赤に染まる。

 そして天使の少女の手に握られた銀色の魔笛に気付く。

「あれが笛吹姫…。」

「か、かわいいじゃないか…。」

 一方、舞台で微笑んでいるベアトリーチェだが、盛大に恥ずかしがっていた。微笑みを崩さないようにしながらも、肩が小刻みに羞恥で震えている。観客たちにはそれが一層儚げに見えているとは気付かずに。

 この衣装は、アリエーヌの提案だったのである。先にウィーナに来ていたアリエーヌは、アルセーナで優勝したマーセル楽団を田舎楽団だと馬鹿にし、まったく評価してないウィーナの人々にいら立っていた。

 そしてインパクトが必要だと言い出したのだ。コンセプトはそのまま天使。ベアトリーチェの清楚で可愛い容姿には、天使のイメージが似合うと考えてこの衣装を準備していたのだ。

 ベアトリーチェとしては、はっきりいって恥ずかしい。デザインそのものは良いがどう贔屓目に見ても少女趣味の服である。いくら幼めに見られるからといって、もう19歳なのである。進んで着たくはなかった。

 しかしマーセルまでもが、この格好に反対しないとは誤算だった。音楽に対して生真面目なところがあるマーセルなら、さすがにこんな衣装は反対すると思ったのだ。

 「似合ってるからいいんじゃないか。」そう言ったマーセルを前にして、本番の時間も差し迫り、ベアトリーチェはみんなの言う通りにこの衣装を着るしかなかった。

 マーセルがそういうことに柔軟な態度を取るようになったのは、自分と会ったことによって変わっていったからだということをベアトリーチェは知らない。

 ベアトリーチェたちが観客の目を引いているうちに、仲間たちも入場し演奏がはじまった。

 はじめは課題曲。ベアトリーチェたちは、これに誰もが選ぶレティシア王妃の歌を選ばなかった。残った課題曲の中から、みんなで好きな曲を決めた。

 ちなみにあの歌の楽譜はルミがびりびりと破り捨ててしまった。

「素敵な曲。なんて曲かしら。」

 レティシア王妃の歌ではないと聞いた時点で、興味なさげにしていた若い女性客がマーセルたちの演奏にうっとりと耳を傾けている。音楽にそこまで詳しくなく、恋物語の曲しか聞いてこなかった女性客たちだったが、優しく暖かく響くマーセルたちの演奏にいままで興味のなかった曲に聞き惚れる。

 途中にベアトリーチェのソロが入り、観客たちが息をのむ。

 天使の容姿にふさわしい美しく澄んだ音。魔笛という楽器は楽団の花形だが、こんなにも美しい音色がだせるのかと聴衆たちは聞き惚れた。

 仲間たちとあの事件を乗り越えたベアトリーチェの魔笛の音は、完全に元に戻っていた。ベアトリーチェにとって魔笛は、心を写す楽器。仲間たちとより深まった信頼は、ベアトリーチェの演奏にさらなる輝きを与えていた。

 そしてそこに仲間たちの演奏が加わる。固い絆で結ばれたシンフォニーは、観客たちの予想を越える多彩な音を見せる。

 素晴らしい演奏に、コンサートホールの誰もが夢中で耳を傾けた。

 ベアトリーチェたちが演奏を終えると、大きな、本当に大きな喝采が会場に広がって行った。拍手をする観客たちの表情は、このコンサートがはじまった時と違い、明るく輝いていた。


***


 マーセルたちの優勝が告げられ、会場はもう一度大きな拍手で包まれる。

 ステージに立つマーセルたちに観客から「笛吹姫さまー!」「天使さまー!」などと、歓声があがる。さすがに我慢できず、ベアトリーチェは赤面してしまった。それをマーサたちが仲睦まじくからかう。

 その光景をステージの裏から睨みつけている女性がいた。

「なによ…。あの女!」

 シルフィールである。

 今回のコンクールでは自分が優勝するものと思っていた。そのために一流の奏者をかき集め、審査員たちともパーティーを開き親交を深めていた。出版社に自分の

記事をのせるように命じて、民衆の人気も集めていたはずだった。

 なのに…。

 笛吹姫と呼ばれるあの少女にすべてを持っていかれてしまった。コンクールの優勝を盗られ、観客たちは輝く眼差しで少女を見つめている。

「私に恥をかかせて絶対に許さないわよ、あのベルって女…。」

 シルフィールははにかんだ笑顔で歓声を受ける少女をもう一度睨みつけると、ほの怒りの形相でコンクールから立ち去って行った。


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