85.『旅鳥 2』
いきなりの大国の王と王妃の登場に、マーセルたちは浮き足立つ。マーセルは何が何やらわからないまま、事の張本人らしいルドに詰め寄る。
「どういうことだ、ルド!」
マーセルたちの反応に、ルドは少々申し訳なさそうに答える。
「いやぁ、アーサーさまとレティシアさまが、我が国でしばらくご静養されることになってね。その間のお相手に、いろんな音楽家と繋がりのある僕が選ばれたんだよ。」
「私は静養などいらんと言ったんだがな。」
アーサーは不機嫌な表情で呟くように言った。
その態度にルドは少し汗をかきながら、笑顔で言葉を続ける。
「まあ、そういうわけで、お二人に演奏をお聞かせするため演奏家を探していたんだけど、適格な人が見つからなくてね。そんな時に、マーセルたちと会ったんだ。これぞ天啓だと思ってね。」
「なんで黙ってたんだよ。」
「いやぁ、何しろ内密にということだったからね。それに教えてたら緊張していつもの力を発揮できなかったかもしれないだろ?秘密にしておいた方がいいと思ったんだよ。」
いたずらっぽい笑顔を浮かべていうルドに、マーセルは仕方ないと言った感じに溜息をつく。ルドの方は、好意のつもりでこの場に招いてくれたのだろう。どこかの王室の覚えめでたい楽団となれば、それは大きな成功が約束されたのと同じことを意味する。それも大陸で1、2を争うエルサティーナの王族の目の前で演奏できる機会となれば、一生に一度あるかないかの大きなチャンスだ。
マーセルとしては、貴族たち相手だけでなく、いろんな人たちに音楽を聞かせる地に根ざした楽団を目指したいので、積極的に機会を得ようとは思わない。しかし他の楽団からすれば、喉から手がでるほど欲しい機会だろう。
古くからの友人にチャンスをあげるつもり招いてくれたのだとわかる。なのでマーセルとしても、これ以上は問い詰める気もおきなかった。
そもそも一国の王の前で、友人と話し込むのも相当失礼な行為だ。 こうしているわけにもいかないので、マーセルはアーサーたちに向かって仲間たちを紹介することにした。
一方、ベアトリーチェはマーセルたちの後ろに隠れ、小さく息をひそめていた。いきなりのエルサティーナの王と王妃の登場に、誰よりも驚いていたのはベアトリーチェだった。握り締めた手を汗で濡らしながら、マーセルの背中越しに二人の様子をうかがう。
一年ぶりに見る二人の姿。アーサーの顔には前と変わらず笑顔は無く、以前見た時よりも痩せてしまった感じがする。アーサー自身は静養などいらないと言っていたが、ベアトリーチェもその表情を見ると心配な気持ちになった。
レティシアの方は笑顔でルドにも人当りよく接している。でも、長くレティシアを見てきたベアトリーチェには、その笑顔が無理して作られているものだとわかった。
二人はエルサティーナでどんな生活を送っているのか。ベアトリーチェは気遣わしい気持ちになる。しかし、でていって見つかるというわけにもいかない。
ベアトリーチェはもう二度と見れる事がないかもしれないと思っていた二人の顔をまた見れたことを胸の中で喜びながらも、この時間が無事に過ぎてくれることを俯きながら願った。
一通り言葉を交わしたアーサーとマーセルだが、アーサーはそれ以上何もしゃべろうとしなかった。代わりに間を取り持つように、レティシアが前にでる。
「本当にみなさん素晴らしい演奏でした。あの、魔笛を吹いていた方はどちらでしょうか。」
そう言ってレティシアは、楽団のみんなをきょろきょろ見渡しだした。それにベアトリーチェの体が固まる。
「ベルがどうかしました?」
「まあ、ベルとおっしゃるのですか。笛吹き姫と呼ばれてる、とても素晴らしい奏者だと聞いていました。この場で聞いてみても噂通りのとても美しい演奏で、それにどこか懐かしい気分になってしまい、一度お話してみたいと思ったのです。」
レティシアはそう言ってマーセルたちへと近づいてくる。
「なるほど。」
マーセルは頷いてベルを紹介しようとする。しかし。
「ベル…?」
そして初めてベルが自分の後ろで縮こまっていることに気付く。マーサたちもベルのそんな姿に気付いて驚く。ベルは礼儀正しく、愛想も良い。初めての人とも笑顔で話すことが多かった。それに決して失礼なことはしない。
しかし今のベルは顔を俯けたまま、王妃の方を見ようとしない。
「お、おい、ベルどうしたんだ。」
マーセルは焦ってもう一度ベルに呼びかける。様子のおかしいベルが心配だったこともあるし、王族相手に変な態度をとれば、何よりベルの身に危ういことが起きかねない。
しかしベアトリーチェは動けない。長い付き合いなのだ、声をだせば一発でばれてしまう。だからといって、この場から脱出するすべも持ち合わせていない八方ふさがりの状態。
ベルはマーセルの後ろに隠れることしかできなかった。
「あら、私何か怖がらせることでもしてしまったかしら…。」
レティシアはその態度にも気分を害した様子なく、人当りよく微笑んだ。しかしまわりはそうならなかった。
「おい、貴様、さっきから王妃殿下に無礼であろう!」
護衛の騎士がそう言って、ベアトリーチェに詰め寄る。
「いいんです。私の方がいきなりすぎましたし。」
そう言ってレティシアはその場を納めようとするが、男は止まらない。
「帽子ぐらい取らないか!」
そう言ってベアトリーチェの被っている大きな帽子に手をかける。
「あっ。」
パシッ
ベアトリーチェが思わず男の手を払ったとき、勢い余ってレティシアの顔を叩いてしまう。それを見た騎士の男は激昂する。
「貴様ー!王妃殿下になんてことを!」
男は小柄なベルに飛びかかり、その腕を掴み地面に組み伏せる。
「きゃあ!ベル!!」
「おい、なにしやがる!」
ルミが悲鳴をあげ、ルモが騎士に抗議する。
「やめてください!」
レティシアも厳しい顔になり騎士を止めようとする。
その時ベアトリーチェの被っていた帽子が地面に落ちた。帽子の奥に隠されていた蜂蜜色の髪が肩へと落ちる。そしてつばに隠されたいた顔が、その場に露わになる。
「えっ…。」
レティシアは騎士を止めようとしていたことも忘れ、その顔を茫然と見つめる。震える唇が呟く。
「ビーチェ…さま…?」
次の瞬間、はじかれたように騎士に向かって叫んだ。
「離しなさい!その方は我が国の第四王女ベアトリーチェさまよ!」
そして騎士が反応するまえにその腕を引きはがし、ベアトリーチェの体に抱き着く。
「ビーチェさま!ビーチェさまぁ!」
「違う…私は…。」
咄嗟に否定の言葉を紡いだベアトリーチェだったが、それは途中で止まる。レティシアの目からは涙が溢れ、ベアトリーチェの肩をすがるように掴む手は震えていた。
「ビーチェさまぁ、無事で…、無事で良かったぁ…。」
ビーチェさまを見つけてしまっていいのか。どうしたらいいのか。悩み続けていたレティシアだったが、その姿を見つけた時、それらの考えは全て吹き飛んでしまった。
王宮からきっと一人で出て行ったビーチェさま。無事であるかどうかもわからない。もう二度と会えないかもしれない。
ただビーチェさまが無事だったことへの安堵に、その胸にすがりついて泣くことしかできなかった。
「レティ…。」
ベアトリーチェは自分の胸にすがりついて無く、レティシアの頭を抱きとめる。レティを心配させてしまった。その事実を目の当たりにして胸を痛める。同時にもう逃れられる状況ではなくなったことを悟る。
マーセルたちはその姿を茫然と見つめる。
「ベアトリーチェさま…?」
王妃は確かにベルのことをそう呼んだ。エルサティーナの第八妃の側妃の名を。
そして今、王妃とベルは抱き合っている。とても親しい仲であるかのように。
ベルも王妃のことをレティと呼んだ。一国の王妃を愛称でだ。
「いったいどういうことなの…?」
マーセルたちも、彼らを呼んだルドも、ベアトリーチェを取り押さえようとした騎士もわけがわからずただその光景を見つめた。
「ベア…。」
その声が聞こえた時、ベアトリーチェの体が震えた。懐かしいアーサーさまの声。でも悲しい記憶と痛みが、アーサーの顔をもういちど見ることを拒んだ。
アーサーの近寄ってくる気配に、ベアトリーチェは思わずマーセルの背中に隠れなおす。
マーセルもベルの怯えるような表情に、思わずアーサーの前に立ちふさがった。
「なんだ、貴様は。」
アーサーの声が固くなる。
「待ってくれ、ちゃんと事情を説明してくれ。ベルは俺の大切な仲間だ。何かするつもりなら、王といえども触れさせるつもりはない。」
俺の大切な仲間という言葉に、アーサーの表情が硬くなる。その言葉を象徴するかのように、ベアトリーチェはマーセルの背中から出てこようとしない。
アーサーの表情は、マーセルを睨みつけるようなものに変わってしまった。
「何もするつもりはない。ベアトリーチェは我が国の妃だ。ただ連れて帰るだけのこと。ベア!」
ベアトリーチェに呼び掛けようとするアーサーの声。
しかしそれはマーセルへの嫉妬か、冷たく響いてしまう。それはベアトリーチェの恐怖を呼び起こし、ますますアーサーとベアトリーチェの距離を遠ざける結果になってしまう。
アーサーとマーセルの瞳が、強く交錯する。先に目を逸らしたのはアーサーの方だった。
「まあいい…。」
入ってきた扉の方へと足を向ける。
「明日の朝、私たちはここを立つ。ベアも連れてエルサティーナに帰る。準備をしておいてくれ。」
去り際にそれだけ呟くと、部屋を出て行った。騎士たちもその背中を追いかけていく。
未だ状況がわからないマーセルたちと、ベアトリーチェがその場に取り残された。