81.『壁 3』
ベルの様子がおかしいことに、気付いたのはマーセルだけで無かった。楽団のみんながそれぞれ、ベルがおかしいことに気付きだしていた。
でもベルは誰にも何も話そうとしなかった。
「ベル、どうしちゃったんだろう。最近、様子がおかしいよ…。」
ルミが俯きながら言う。ルミもベルの態度がおかしいと気付いている。それについて訊ねてみたこともある。
けど、ベルが何も話してくれない。誰が聞いても、微笑みを浮かべて「何でもない。」と答えるだけ。
そのたびにみんなはベルとの間に、見えないうっすらとした壁を感じた。そしてそのことに少なからず傷ついていた。
「そうだね…。」
マーサも暗い顔で頷く。
「わたし、無理やりにでもベルに聞いてくる!」
ルミが立ち上がりそう叫び、駆け出そうとする。
「やめとけ!」
それを止めたのはマーセルの声だった。
「なんでっ!?なんで聞いちゃいけないの?」
ルミは目じりに涙を浮かべながら叫ぶ。誰よりもベルに懐いていたルミだから、ベルの何も話そうとせず、悩んでることすら隠してしまう態度に一番のショックを受けていた。
マーセルは溜息を吐きながらルミへ言う。
「俺たちはみんないろんな事情を抱えながらここにいるんだ。聞かれたくないことだってある。あいつが話さない以上、俺たちが無理に聞き出すことはできない。」
その言葉に自分の経験が重なり、ルミは下唇を噛んでうつむく。
「だめなの…?ベルは私が獣人だって受け入れてくれたよ…。なのにベルがなんで悩んでるか聞いちゃだめなの?私ベルのこと一番の友達だと思ってるよ…。」
「友達だって話せないことはあるだろ。」
ルミにそう言い聞かせようとしたマーセルだったが、最後に余計な台詞まで付け加えてしまった。
「それに秘密を話すことと、秘密を教えてもらえることは別の問題だ。」
それはルミにとっては傷つく台詞だった。
「ばかっ。」
イレナが呟く。マーセルもまずいことを言ったと自覚してるのか、頬に汗を浮かべる。
既にルミの双眸からは、溜まっていた涙がこぼれ始めていた。
「言えないことだってあるけど、言えないけど聞いてほしいことだってあるよ!だいたいそうやって頑なに聞かないのだって、ベルが話してくれないからってマーセルが拗ねてるだけじゃないの!?マーセルのばかぁ!」
ルミはそう叫ぶと、その場から駆け出して行った。
マーセルの言う事は正しいとわかったていた。けど、相手に聞いてもらわないと話にくいことだってある。ルミだって獣人であることをベルに本当は知ってほしかった。でも、どうしても話せなくて悩み続けた。
いや、それもどうでもいいことかもしれない。ただ、友達であるベルに悩みを聞きたかった。頼りにされるには自分はまだ幼すぎるけど、それでもベルの悩みを聞いて力になりたかった。
「あ、ルミ!もうっ、追いかけなきゃ。」
ルミが泣いて駆け出した時、連れて帰るのはいつの間にかベルの役目になっていた。でも、今はベルはそういう状態ではない。マーサたちで連れ帰らなければならなかった。
マーサたちはルミを探しに行ってしまい、一人取り残されたマーセルは呟いた。
「俺、拗ねてるのか…?」
否定するために言ったのではない。思いのほか、図星だったのだ。
ベルは自分たちを信頼してくれてると思ってた。何か悩み事があっても話してくれると思っていた。心を開いてくれてると思っていた。
なのに話してくれるどころか、悩んでることさえベルは隠してしまった。
ルミに言った台詞は事実だし、実際に今までもその通りに行動してきた。でも、余計な一言を付け加えてしまったのは、胸にしこりがあったせいかもしれない。
「はぁ、情けねぇ…。」
ベルに頼りにされないどころか、ルミに八つ当たりまでしてしまった。自分の情けなさにマーセルは溜息をつく。
原因にはなんとなく思い当たるものがある。アーサー王とレティシア王妃の愛をうたったあの歌だ…。あの曲の時、ベルの魔笛の音色は一層不自然になる。
でも何故、あの歌がだめなのかわからない。精神的なものなのか、技術的なものなのか、ベルが話してくれないことにはわからない。
そしてベルがこれから演奏家としてやっていくなら、どんな曲も弾きこなさなければならないと思う。駄目だからといって、理由もわからず止めるわけにはいかない。
でもそれもルミに言われたとおり、ベルが話してくれないから意地になってるだけなのかもしれない。
ベルのことどころか、自分のことすらよくわかっていないと思えた。
「どうしたもんかなぁ…。」
解決策も思いつかず、マーセルはまたひとつ重い溜息を吐いた。