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80.『壁 2』

 最初に着いた街で、マーセルたちと依頼を受けた食堂で演奏をした。

 演奏しているのは、あの曲だった。アーサーさまとレティの恋を、そして魔女ベアトリーチェのことを歌ったあの歌。

 マーサの綺麗な声が、うたの歌詞を紡ぐ。歌の中でベアトリーチェは、レティシアをいじめ、酷い目に会わせていた。

(違う…。)

 胸がズキンと痛む。

 その歌に書かれていることはほとんど嘘だ。私とレティは親友だった。本当は一番の友達だった。

 でも、そんな友達を恨んで、遠ざけて、傷つけたのは本当のこと…。

 いつもは魔笛を吹くと心に力が湧いてくるのに、今は辛い思いが胸を締め付けるだけ。

 何故だろう。噂なんかどうでもいいと思っていたはずなのに。マーセルたちからそれを聞くと、酷く胸が痛んだ。

 あの後宮での記憶と、マーセルたちの演奏が心に痛みを走らせる。

 演奏に集中できない。

(こんなのじゃだめ。)

 ベアトリーチェは心の中で叫んだ。

 みんな真剣に、一生懸命に曲を弾いている。聞いてくれる人たちのために。そして一緒に目指すコンクールたのために。

(痛いなんて感じちゃいけない。辛いなんて思っちゃいけない。)

 そう感じるのは、みんなの迷惑になることだ。

 痛みを感じなければ、辛いと思わなければ、みんなの力になれる。だから自分はそうならなければならない。

 ベアトリーチェは自分の心に蓋をした。

 何故辛いと感じるのか、心が痛いと思うのか、考えること無く…。


***


 マーセルたちはウィーナへの行き道、いろんな街に立ち寄って演奏を重ねた。

 マーセルたち、特に笛吹き姫の名は広く知れわたっていて、どこの街でも歓迎された。だが、マーセルの表情は冴えない。

「ベルの演奏がおかしい…。」

 独り呟く。

 ベルの演奏はかなり個性的だ。音楽の知識のおぼつか無さとは対照的に、純粋な演奏の技術においてはベテラン顔負けのものを持っている。しかし最も特徴的なのはその演奏姿勢だ。

 ベルは魔笛と一体になるように曲に入り込んでしまう。それは周りの演奏から浮いてしまうほどで、マーセルたちも最初はあわせるのに苦労したほどだ。

 なのに今のベルにはそれがなかった。いつものように曲の中に入り込んでしまうことなく弾いている。

 特に今回の課題曲のときにはその違いが大きく表れる。

 最初は慣れてない曲だからかと思った。しかし、ベルの演奏は何度も演奏を繰り返した今も変わらなかった。

 小さな違和感だから、みんなには話していない。

 そもそも悪い変化とは、一概には言えないのだ。ベルの演奏は以前とは違うが、基礎的な技術の高さは変わらない。それなら以前の周りから突出してしまいがちな演奏より、今の抑えの利く演奏の方が良いという楽団もいるだろう。

 現に観客たちは、今のベルの演奏にも十分に満足している。他の楽団なら、この変化を歓迎するかもしれない。他の楽団なら…。

「でも、ベルの演奏はあれとは違う…。」

 マーセルたちが一緒にやってきたベルの演奏は、あんなものでは無かった。まるで魔笛にすがるような弱々しくて、でもすべてを注ぎ込んだ音色は聞く者の心をとてつもなく強く打つ、そんな音色。

 マーセルたちと一緒に過ごすうちに、それに暖かさも加わってきた。

 今のベルの演奏にはそれらすべてが消失してしまっている。同じ舞台で演奏するものとして、あれはベルの演奏ではないと言える。

 しかしマーセルはベルの音楽の師匠でもあった。その観点でいえば、今の周りになじむ演奏の方がこれからベル自身が音楽家として暮らしていくには楽だと言える。その思考が、マーセルの考えを阻む。

 ガチャッ

「マーセルさんいますか?」

 マーセルの泊まっている部屋の扉が開いた。入ってきたのは、さっきまで考えていた楽団の仲間の少女、ベルだった。今は最近被るようになった帽子を取り、のびてきた蜂蜜色の髪を揺らしながらこちらに近づいてくる。

「どうしたんだ?」

 マーセルは考えた思考を一旦止めると、部屋に入ってきたベルに尋ねる。

「あ、この前マーセルさんから借りた本読み終わったから返しに来たんです。すごく面白かったです。ありがとうございます。」

 ベルはそう言って、マーセルの貸した音楽の本を手渡してくる。

「ああ、そうか。まだ続きはでてないが、今度出たら貸してやるよ。」

「はい、ありがとうございます。」

 そう言ってほほ笑むベルを、マーセルはまじまじと眺める。その態度は、いつもと変わらなくみえる。

 そういうマーセルの視線に気づいたのか、ベルは首をかしげて不思議そうに聞いた。

「どうしたんですか?マーセルさん。」

「いや…。」

 なんでもない。そう言いかけたマーセルだが、そこで言葉が止まった。

「ベル、何かあったのか?」

 そしてマーセルの口は自然とその言葉を紡いでいた。マーセルは心とは裏腹にでた言葉にあせる。しかし出してしまった言葉は止められない。

 ベルの反応を見つめる。

「ん、何かってなんですか?」

 ベルの表情は、いつも通りで…。

「いや…。」

 マーセルは続く言葉を紡げない。

「何もないですよ?変なマーセルさん。」

 ベルはそう言ってくすくす笑う。その微笑みもいつも通りの綺麗な表情だ。

 でも、本当にそうだろうか。ベルは変に鈍いところもあるが、基本的に聡い子だ。相手の様子がおかしければ、それに対しても反応を見せる。

 なのに、今のベルはそれがなかった。表面的な事柄だけを見て、いつも通りに振る舞っているように見える。

 いや、それは自分がうがった見方をしてるせいなのか…。

 そしてマーセルは気付く。自分はベルの演奏の変化に悩んでいたのではなく、変化したということそのものが気になっていたのだ。

 何があったのか、何でそうなったのか。

 つまりは心配していたのだ。

「本当に…、何もないのか?」

「ええ、大丈夫ですよ。」

 そしてその心配の想いは、ベルの笑顔の前に阻まれた…。


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