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79.『壁 1』

「あうー、疲れたよ~。」

 ルミが楽屋の椅子にぐったりと倒れ込む。

「こらこら、ドレスがしわになるよ。」

 それを見たイレナがルミを抱き起し、しわくちゃなってしまったスカートをのばす。

「でも、私もつかれたよー。こんなに演奏の依頼がいっぱいくるなんて思ってなかったし。」

 マーサもぐったりした様子だ。

 コンクールで優勝したベアトリーチェたちは、しばらくアルセーナに滞在していた。いろんなところから、その間は演奏の依頼がひっきりなしにあり大忙しだった。演奏してみんなに喜んでもらえるのは嬉しい。ベアトリーチェ自身はそう思っていたが、仲間たちはいろんなところに引き回されて疲れ気味の様子だった。

「そういえばベルに花束がとどいてたよ。」

「またかー。すごいねぇ。今度は誰からなの?」

「侯爵さまだって。」

 アルセーナでは人気の楽団になったマーセルたちだが、中でも独特の魔笛の音色をもつベアトリーチェの人気はすごかった。演奏会のたびに、ファンからのプレゼントがひっきりなしに届く。

 最初はとまどっていたベアトリーチェだったが、慣れてくるとファンの人たちとも交流を持つようになった。それにはアリエーヌも助力してくれたのだが、ベアトリーチェの親しみやすい性格のせいか、どちらかというと熱狂的すぎる一部のファンをシャットアウトしたり規制したりする方向に彼女が頑張っていたのはベアトリーチェは気付いていない。

 素晴らしい魔笛の演奏だけでなく、貴賤関係なく接する優しい性格、どこか高貴な立ち振る舞い、対照的に元気な明るい性格も知られ笛吹姫の人気は貴族の間にも市民の間にも広まっていった。

「この街も楽しかったけど、そろそろ出発しないとね。」

 イレナの言った言葉に、ベアトリーチェははっとする。旅の目的地はアルセーナと聞いてきたけど、マーセルたちはまだまだ旅を続けるのだ。

「どこにいくんですか?」

「ウィーナだよ。そこでさらに大きなコンクールがあるんだ。」

「エルサティーナの音楽祭と並んで、二大コンクールって呼ばれる凄い演奏会なんだよ。」

 ウィーナ、エルサティーナと結構近い場所にある国だ。旅路も通り道にはならないものの、アルセーナからは戻り道になってしまう。

(どうしよう…。)

 エルサティーナから離れようとして、自分はマーセルたちについていったのだった。

「またあっちのほうに戻ることになっちゃうけど、途中までは道にもなれてるしスムーズにいけるはずだよ。」

「今年はベルがいるからいい結果残せるだろうし。楽しみだね。」

 マーサたちには、自分がいるのはもうあたりまえなのだろう。一緒にくるものと考えていた。

 ベアトリーチェもそうだった。さっきまで離れることなんて、考えてみもしなかった。いつの間にか、一緒にいることが当たり前と感じていた。エルサティーナから離れたいという目的ではなく、みんなと一緒にいたいから旅をしていた。

 アルセーナに留まっていたほうが、見つかる可能性は少ない。でも、それは彼らとの別れを意味している。夢を追う彼らを引き留めるなんて選択肢、ベアトリーチェは考えもつかない。

「ベル、どうしたの?つかれちゃった?」

 無言になってしまったベアトリーチェに、ルミが気付いて話しかける。

「ううん、なんでもないよ。」

 ベアトリーチェはごまかすように笑った。幸いベアトリーチェの心中はマーサたちに気付かれることはなかった。

 彼女たちは自分が、エルサティーナの側妃であったことも、かりそめでも追われる身であることも知らない…。自分が魔女と噂されるベアトリーチェであることも。


***


 マーセルたちの旅立ちは大勢の人に見送られた。

「ベルさま、がんばってくださいー!」

 特にアリエーヌは大きく何度も手を振っている。それにベアトリーチェは笑って手を振りかえす。

 結局、ベアトリーチェはマーセルたちについていくことにした。少し危険は増すかもしれない。でも直接エルサティーナにいくわけではないし、きっと大丈夫だと思った。それより、みんなともっと一緒にいたいという気持ちが勝った。

「その恰好ひさしぶりだな。また男装してるのか。」

 アルセーナでは最初の印象やアリエーヌの働きかけで、お姫さまみたいな恰好を、普段着もスカートをきていたベアトリーチェだが、今はズボンにシャツという少年の服を着ていた。

「はい、動きやすいですし。似合いませんか?新調したんですけど。」

 そう言われてみてマーセルは、確かにその服が真新しい生地で作られていることに気付いた。おまけにベアトリーチェは帽子をとりだすと、伸びて大分女の子っぽくなった髪をその中に隠してしまった。

「わざわざ新調したのかよ。おまけに帽子まで…。」

 男性用の帽子だが、ベアトリーチェの頭のサイズのせいでかなり小さい。特注品かもしれない。

「どうかな?」

 ベアトリーチェはその恰好で、マーサたちに向かって笑顔で首をかしげる。女性三人の反応はばらばらだった。

「似合わないことはないけど、ドレスも似合ってたからもったいないねぇ。」

 そういったのはイレナだった。

「あたしはできれば、もう見たくなかった。」

 顔に手を当て暗い顔をするのはマーサ。でも何故か頬は赤くそまってる。

「かっこいいよ!王子さまみたい!」

 ルミは単純に喜んでいる。

 アルセーナから旅立った馬車は道をどんどん進んでいく。

「それで今度のコンクールは課題曲があるんだ。途中の演奏では、それも練習していくことになる。」

「課題曲?」

「そうだ。3つの曲の中からどれかひとつを選ぶんだけどな。楽譜を用意してきた。」

「もう決めちゃったのかー?」

 ルモが聞くと、マーセルは頷いた。

「決めたっていうか、決まってたって感じだけどな。曲の中に人気曲があって、ここ3年はその曲を選んだ奴しか入選してない。」

「へー、そうなんだ。」

「まあ、たぶんお前らも知ってる曲だよ。」

 そう言ってマーセルは、団員たちに楽譜を渡した。みんなが手元にある楽譜を見る。ベアトリーチェも勉強のおかげで楽譜がよめるようになってたので自分で見た。

「あー、この曲かい。確かに凄い人気だね。エルサティーナの曲なのに、ここらへんでも演奏されてる。」

「私も知ってるー。不幸だったお姫さまを王様が助けるんだよねっ。この曲好きー!」

「ロマンスがあるよね~!」

 楽譜を見てマーサたちが盛り上がる。

 渡された楽譜に書かれていた曲。それはレティシアとアーサーと、魔女ベアトリーチェの噂を歌ったあの歌だった…。


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