77.『姫と王子のものがたり 1』
ベアトリーチェの生まれの設定をいろいろ変えてしまったので、初期と矛盾します。ごめんなさい。
書き溜め分なので、更新再開についてはまだちょっと後かもしれません。
アゼルは城で働く侍女だった。家は没落貴族で、爵位はそこそこあるものの金も権力もない。それでも贅沢な生活が忘れられず、両親は金を無茶な投資で無駄にした結果、生活はどんどん困窮していった。それで娘のアゼルまで、侍女として働きにでることになったのだ。
アゼルが自分の体調の変化に気付いたのは、王のお手付きになって二か月と少し経ったころだった。王のお手付きだと言っても、この国では特別なことじゃない。フィラルドの王は三代にわたって暗愚だった。
今代の王も祭りごとにはまったく興味を示さず、後宮に女を囲い、そればかりでは満足せず少しでも興味を引けば手当り次第に女に手を出していた。
そうなれば世継ぎの問題で内政が大変なことになりそうだったが、幸いといっていいのか、それだけは無かった。
あまりにも愚かすぎたからだ。
どの代の王も、後宮に囲ったお気に入りの女の歓心を買うこと以外なにもしなかった。
三代にわたって野放しにされた後宮は、表面上はきらびやかでありながら、その実は無法地帯になっていた。後宮に入った女たちは家の権力を使い、または王に取り入り、ライバルをあらゆる手で排除しあった。毒殺、謀殺すらあり得た。
そうして後宮内部で熾烈な争いを繰り広げ、血を流し続けた結果、国の方はなんとか形を保っている。
「どうするの?」
「もちろんおろすわよ…。」
同僚の問いにアゼルはそう答えた。権力もない、王に気まぐれに手をだされただけの自分があの後宮に入るのは、自ら監獄にいくようなものだ。
そしてそれは王に手を付けられた者の多くがする判断だった。もっとも陰惨な権力闘争が行われている後宮。皮肉にも荒みきったその現状が、この国にある一定以上の混乱を招くことを抑止していた。
(はやくおろしてしまおう。うまくすれば、金も入るわ。)
ほとんど無秩序に手を出しているとはいえ、文官たち王の子どもがいるといえば、小銭ぐらいは貰える。そして王宮内の財政感覚が壊れきっている今、その金額は没落貴族には結構な稼ぎになる。
今日は、実家に戻る日だったので、そのまま王宮をでて家にもどった。代々フィラルドの王都にある屋敷はそれなりに大きいものの、掃除が行き届いておらず薄汚れていて威厳なんか微塵もない。
すでに結構前からつわりは出ていて、アゼルは門の前で一度えづいた。
ギシッと軋む扉をあけて中にはいる。家の中は薄暗い。
「おお、帰ってきたかアゼル。」
帰りを待ちわびたように、父がでてくる。痩けた頬に笑みを浮かべて。
アゼルは眉をしかめた。父はいつも死んだような目をして家にいるだけで、自分の帰りを歓迎したことなど一度もない。嫌な予感がした。
「おかえりですかな、アゼルさま。」
父の後ろから、老婆がでてくる。アゼルはその老婆をしっていた。占い師を名乗る、身元もわからない怪しい老婆だ。
だが、父はこの老婆を妄信していた。何が当たった、何々が言った通りになっただとか。なら、わが家のこの惨状はどうなのか。詐欺師か眉唾に決まっている。しかし、アゼルには父にそれを指摘する勇気はなかった。
「アゼル、お前は子供を身ごもっているのだろう。」
アゼルは父の言葉を聞いて動揺した。その表情を見て、父はにやりと笑みをうかべる。
「そうか。やはりそうか。」
そう言って何度も頷く父に、アゼルは震える声で聴いた。
「なんでそれを…。」
「ヒッヒッヒ、天の声がわたしに知らせてくれたのですよ。それを父君にお知らせしただけです。」
「ああ、マーナ殿の言った通りだったよ。」
老婆が甲高い掠れた声で言うのに、父も頷く。
「それがどうしたっていうの…。」
「驚いてくださるな。その子は大きな運命をもっておる。やがて王になる天命を抱いて生まれてくるのですじゃ。」
「その子の種は、国王陛下のものなのだろう?」
アゼルは仰天した。腹の中の子どもが王の子というのが、ばれていることではない。そんなの侍女たちの噂を聞けば、すぐにわかるのだ。それより占い師の言ったことだ。
(王になる…?天命…?)
すでに今の王には何人も側妃がいて、男児だって生まれているではないか。長子の王子は体は弱いとはいえ、そんなの成長していけばわからない。
黙り込んだアゼルに、それを肯定と受け取ったのか、父は言った。
「お前を後宮に入れることにする。準備をしておけ。」
「え、ちょっとまってよ、父さま!」
「いいか、お前の生んだ子が王になれば、わが家は完全に復興できる。いや、それ以上の富と権力を得られるのだ。」
アゼルに拒否権などなかった。そしてあくまで家長である父に逆らう勇気も、アゼルは持ち合わせてなかった。
「ええ、その通りです。だがしかし、その御子様の運命の先に、ちょっと僅かだが暗雲がある。でも、ご安心ください。私が天に祈りさえすれば、その雲を取り払ってみせましょう。」
「それはありがたい。なんとしてでも、子を無事に生まれさせえてください。」
それからはいつも通りの手順だ。父の手からわずかに残った我が家の金が、老婆の手に渡って行く。その様子を茫然とアゼルは見送った。
家に残ったコネを最大限に使い、王に目通りを許された父はアゼルを側妃にしてくれと頼みでた。身の程しらずと笑う周囲をおいて、それはあっさりと許された。
歓迎したからではない。王は今日、友人たちと、夜通しでポーカーを楽しむつもりだった。だから面倒な頼み事などに、煩わされたくなかったのだ。
無礼者を処断すれば、また手間がかかる。それより頷いてさっさと帰ってしまったほうがはやくすむ。
王がはやばやと立ち去った席、喜ぶ父の後ろで真っ青な顔になっていたアゼルにもそれはわかった。
アゼルは後宮に入れられた。王が訪れることは無い。いや、アゼルを後宮に入れたことすら覚えているかすら怪しいものだった。
まわりの側妃は、身分も権力も遥かに劣るアゼルをあざ笑う。アゼルは後宮のすみで震えて過ごすだけだった。
ただ、願うのは男児が生まれてくれること。信じてもいない老婆の予言が、実現してくれることを願うしかなかった。
(男の子が生まれてきて…。お願い…。お願いよ…。)
日々大きくなっていくお腹を抱え、そう願い続ける日々。
後宮に入った後、占い師を名乗り貴族から金をだまし取っていた老婆が、詐欺師として逮捕され、処刑されたがアゼルは知ることは無かった。知ったとしても、何も救いにならなかっただろう。
そうして子どもが生まれるときがやってきた。
ろくに人もいない、王も来ない、そんな中、義務感だけであつまった侍女たちのもとで出産が行われる。
苦労の末、赤子を産み落としたアゼルは、掠れた声で聴いた。
「男の子…?男の子なの…?」
赤子を手に抱いた女官は、一瞬、沈黙したあと言った。
「…女の子です。」
そうして後宮の片隅で、一人の女の子が生まれた。