72.『秘密 2』
獣人、それは動物に変身できる人間たちのことだ。
ただそれは種族を表す言葉ではない。獣人は普通の人間の間から、突然生まれてくる。その理由は誰にもわからない。病気だと言う人もいれば、呪いだと言う人もいる。確定的なものはひとつもない。
その存在を不気味に思う人たちから、獣人は差別を受ける。獣人は獣であって人ではないと言って、人間扱いしない人々もいる。
だから獣人は、そのことを隠して生きようとする。
***
8歳の時のある朝も、起きた時突然、ルミの体は猫になっていた。
ルミは混乱した。自分の体を見回すと全身が黒い毛に覆われている。体の感覚も全然違い、二本足で立つことすらできない。体の様子がおかしいことに気付いたルミは鏡の前まで四本足で歩いた。そして映った自分の姿に、ルミは悲鳴を上げた。
そこには黒猫になった自分の姿が映っていた。
「なんだよ~ルミ。急に悲鳴なんか上げて。」
ルミの悲鳴にたたき起こされたルモは、眠そうに目をこすりながら、ルミの姿を探す。そして部屋を見回しルミの姿がないことに気付いた後、黒猫が一匹、部屋の隅の鏡の前で座り込んでいるのを発見する。
「ん?この猫どこから入ってきたんだ?」
茫然としていたルミも、不思議そうに自分を見つめるルモの表情に正気を取り戻す。
「あ、あたしだよ。ルミだよ。」
「しゃべった!?って、ルミ?でも確かにこの声はルミだ!」
ルミはそう言った後、自分でも驚いてしまった。猫の姿でも普通にしゃべれることに。
そしてふと、これがどういう状況か気付いてしまった。幼いながらにおぼろげな知識で。
獣人。
その瞬間、恐怖が四本の足から、胸に目がけてせりあがってくる。獣人はみんなから嫌われる。親から捨てられてしまう。
「ど、どうしよう。あたし獣人になっちゃったのかも…。」
恐ろしい予感に体が震えだす。ルミも戸惑うように、床にうずくまる猫にたずねる。
「母ちゃんたち呼んでくるか?」
「…うん…。」
捨てられる。その言葉が一瞬、頭を過ぎった。でもいくらなんでも、お父さんとお母さんが自分を捨てるなんて考えられなかった。そしてこの状況で頼れるのは、お父さんとお母さんだけだった。
ルミが部屋を出て行き、やがて母と父を連れたルミが戻ってくる。
「お母さん…お父さん…。」
ルミは泣きそうな顔で、いつもよりずいぶんと大きく見える両親を見上げた。胸の中は不安ではちきれそうになりながら。
「ルミ?ルミなの?」
母親は黒猫の姿のルミが、娘と同じ声で喋ったのを聞き、一瞬驚いた表情を見せた。
「お母さん…あたしをすてたりしないよね…?」
しかし、泣きそうなルミの顔をみると表情を和らげ、その体を抱き上げる。
そしてルミの頭を優しく撫でて、こう言ってくれた。
「ええ、大丈夫よ。」
その言葉に、ルミは安心し体の力を抜いた。
自分が獣人でもお父さんとお母さんは、大丈夫だった。そう思った…。
***
あれからもう一度寝て起きたベアトリーチェは、ルミがいないことにすぐに気付いた。いつも一緒に寝ているし、起きたら起きたで良く一緒に行動しているので気付くのもはやかった。同じく一緒にいるルモも、今日は近くにいない。
馬車から出ると、マーサやウッドだけでなく、いつも寝起きの悪いイレナまで起きて外にした。そしてベアトリーチェは自分を見たマーセルの表情が、一瞬げっとなったのを見逃さなかった。
「ルミはどこですか?」
みんなに曖昧に聞くのではなく、自分の方だけをまっすぐ瞳で見つめられて尋ねられたマーセルはうろたえた。
「いや…どっかいっちまって…。」
「馬鹿っ。」
イレナが舌打ちしてマーセルを小突く。
「どこかって…。」
ここは街と街をつなぐ道の森の奥である。一応馬車が通れる道はあるものの、迷子になれば脱出するのは大変だ。特に子供の足ともなれば…。ルミは自分よりよっぽど旅慣れているけど、森の中で危険な獣にあったり、怪我をしたりしないとも限らない。
逆にそういう所はしっかりしたルミが、マーセルたちに場所も知らせずどこかいってしまったと聞くと、とても不安な状況に思えた。
「僕、探してきます。」
「あ、ちょっとベル!」
ルミが危ない。そう思ったベアトリーチェは、マーサたちが止める間もなく森の中に走って行く。
***
「どうしよう…。」
そのやりとりを、ルミは小さな木の陰から見ていた。
あれよあれよという間に、ベアトリーチェは森の中に入って行く。動揺して出遅れたマーセルたちは追いつけそうにない。
ルミは眉をしかめながら、黒猫の姿のままベアトリーチェを追いかけることにした。