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68.『マーセル騒動顛末記 5』

 夜になったエルハイン家の庭、夜風にさわさわと梢が揺れる中、ベアトリーチェは一人で歩いていた。

「はぁ…。」

 口から洩れるのは溜息。

「どうしたんだい、ベル?ため息なんかついて。」

 後ろからかかった声に振り向くと、イレナが立っていた。長い髪を夜の風に揺らしながら、優しげな瞳でベアトリーチェを見つめている。

「私、余計なことしちゃったのかな。」

「マーセルたちのことかい?」

「うん、仲良くしてほしくて引き留めてみたけど。結局、食事中も何も話さなかったし、私、何もできなかった。」

 マーセルたちのために何かしたいと思った。けれど、自分ができることなんて、何もなかったのかもしれない。

 自分は家族の暖かさを知らない人間…。

 そんな人間に、誰かの家族の仲を取り持とうとするなんて、無理だったのかもしれない。

「きっとそんなことはないさ。」

 俯くベアトリーチェにイレナは優しく頭を撫でてやる。

「その通りですよ。」

 そんな二人にピーセルの声がかかる。いつから庭にいたのであろう。ピーセルは、いつもの笑顔をもっと柔らかくしてベアトリーチェに語りかける。

「僕たちが家族そろって食事するのは、5年ぶりのことなんです。あの時とはちがい、母はもういませんが。」

 そういうピーセルの瞳には、遠い思い出を懐かしむ光があった。その光の先にあるのは、きっとベアトリーチェが持っていないものだ。でも、それでも、それがこの人にとって大切なものだということはわかる。

「父も兄も意地っ張りで、会うたびに喧嘩別れを繰り返すばかりでした。そんな僕たちが5年ぶりに、家族の団欒をともにすることができました。あなたのおかげです。」

 暖かい微笑みと言葉が、ベアトリーチェの心に伝わってくる。さっきまでの落ち込んでいた気持ちも、ピーセルの言葉で消えて行った。

 それと同時に疑問が浮かんでくる。

「どうしてマーセルさんとカークさんは、あんなに喧嘩してるんですか?」

「それはわたしも聞きたいねぇ。」

 喧嘩していることは知っているイレナたちも、その理由までは知らなかったらしい。ベアトリーチェの言葉に同意するように頷く。

「直接の原因は、兄さんが音楽家を目指していることにあります。兄さんは長子だったので、この家を継ぐ予定でした。そのための教育を受けていました。ですが、学校に通ううちに音楽の魅力を知り、その道に進みたいと思うようになりはじめたんです。」

 ピーセルは快く、マーセルとカークの喧嘩の原因となった出来事を語り始めた。

「父はもともと質実剛健な人間です。教養として以上の音楽はいらないと言っていました。だから当然、猛反対することはわかっていたのです。だから兄さんも半ば諦めて、父には言わずにいたんです。」

 ピーセルはそこで一息つくと、その記憶を思い出すように目を瞑る。

「それでも兄さんがその夢を捨てられないでいることを、母さんは気付いていたんです。貴族学校の卒業の三か月前に、音楽学校への入学書を兄に差し出して言ったんです。『一度ぐらい夢に挑戦してみなさい。』と。母さんは元来、大人しい性格で、父の言うことに逆らったことはありませんでした。ですが、その時は父と喧嘩してでも説得してみせるとまで言って…。

 ですが、そのすぐ後に、母は流行病にかかって亡くなってしまいました。葬式がすみ、貴族学校を卒業したら兄さんは王宮に務めると父は思っていました。でも、母さんは音楽学校への入学手続きを秘密裏にすませてあったんです。

 兄さんは迷った末に、音楽学校に行くことにしました。自分のためにも、背中を押してくれた母さんのためにも。父とは当然喧嘩になりました。そして兄さんはこの家を出ていくことになりました。」

「貴族の事情だからあんまり勝手なことを言うのもなんだけど、妻の意思ならカークさんももう少し話し合うべきじゃなかったのかねぇ。」

 イレナの言葉にピーセルは首を振った。

「父は母さんの意思だったことは知りません。兄さんが決して言うなと言いました。」

「なんで…?」

「二人は仲の良い夫婦でしたから。亡くなってまで喧嘩してほしくないと思ったのでしょう。だから兄は自分の意志で出て行き、勝手に音楽学校に通いだしたということになっています。」

「そんな…。」

 それでいいのだろうか。確かにマーセルさんのお母さんは音楽学校に行くことを望んでいた。でも、家族がこんなになることを望んでいたのではないと思う。

 カークさんはつっけんどんな態度で接しながら、マーセルさんが故郷に戻るたびに会おうとしていた。マーセルさんもこの街に来るのをいやいや言いながらも、完全に拒否することは無かった。

 二人をなんとか仲直りさせる方法はないのだろうか。

 俯いて考えるベアトリーチェに、ピーセルは微笑んだ。

「心配してくれてありがとうございます。あなたはとても優しい方ですね。でも、問題を根本的に解決できるとしたら当人たちだけでしょうね。ねえ、兄さん。」

 ピーセルの言葉にベアトリーチェの横のしげみががさりと鳴った。

「マ、マーセルさん?何してるんですか…?」

 そちらを見ると茂みの中に身を隠していたマーセルと目があった。生い茂った木々の中にいたので、背中や肩やら全身葉っぱだらけだ。

「なんかお前が落ち込んだ顔をしていて気になったからな…。」

 罰が悪そうな顔で、頭を掻きながら茂みから出てくるマーセル。葉っぱが長い髪やらに絡まって酷い姿だ。

「それでなんで茂みの中になんていたんですか…。もう、あっちこっちに葉っぱがついてお化けみたい…。」

「いや、なんか出てきにくくてな。」

 ベアトリーチェは駆け寄って、マーセルの体についた木の葉を払っていく。

「ベルが落ち込んでたの、あんたのせいだったもんね。」

「うっせぇ…。」

 にやにや笑ったイレナは、マーセルの頭頂部に手が届かなくてぴょんぴょんしだしたベアトリーチェの体を抱え上げてやる。やっと手が届いたベアトリーチェは、マーセルの髪に絡んだ葉っぱを取り始める。

 その様子をみて、ピーセルがまたくすくす笑う。

「わかってたんだよ。俺がなんとかしなきゃいけない問題だって。ついつい意地張って先延ばし位にしちまった。」

 マーセルは罰の悪そうな顔のまま、頭をかいて続ける。

「でも、仲間に心配されてるのに、そうも言ってられないよな。そろそろ決着をつけないといけねぇ。ベル、この問題は俺が自分でどうにかする。けど、そう決心できたのはお前のおかげだ。ありがとな。」

 マーセルはそう言って罰の悪そうな唇を、少し釣り上げベアトリーチェ笑った。それは食事のとき見たカークの表情に似ていた。

「はい。」

 自分では大したことはできなかった。それでも、マーセルは自分のおかげで決心できたと言ってくれた。胸に温かい気持ちがあふれてくる。

「それで、ちょっとお前たちの力を借りたいんだが…。」

 マーセルはまた罰が悪そうに頭をかくと、そう切り出した。

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