64.『マーセル騒動顛末記 1』
ベアトリーチェとマーセルたちの乗った馬車は、目的地であるアルセーナへの道の半ばまできている。
ベアトリーチェは、鏡にうつった自分の姿を見てふと気付いた。
「髪、のびてきたかも…。」
右手で髪を触ってみると、前は耳の上にあった髪が、頬のところまで降りてくるようになっている。後ろを通りがかったマーサが、そんなベアトリーチェの方を覗き込む。
「どうしたの?」
「うん、髪が伸びてきたから切ろうかと思って…。」
そう言ってカシャンと鋏を取り出したベアトリーチェを見て、マーサが顔色を変える。
「ちょっとちょっと、何してるのよ!」
慌ててその手から鋏をとりあげたマーサに、ベアトリーチェはきょとんとした顔をする。
「え、マーサこそどうしたの?髪を切ろうとしたんだけど。」
「髪を切ろうとした、じゃないでしょ。しかも、なんかすごく適当に切ろうとしてた感じだし。」
「う、うん、とりあえず短ければいいかなぁって…。」
マーサの強い剣幕に押され、ベアトリーチェはのけ反りながらたどたどしく答える。いったいなぜこんなに怒ってるのだろう。
マーサの方はベアトリーチェの頭をまじまじと眺めて、はぁと溜息をついた。
「変かな?」
「変じゃないけど…。」
確かに自分で適当に切っているわりには、変にはなってない。でも、多少のびてましにはなっているとはいえ、ところどころ荒い部分があるし、何よりせっかく可愛いらしい容姿をしているのに、この髪型ではもったいなかった。
「ベルも女の子なんだよ。髪は女の命なんだから、もっと気を使わないと!」
強く主張するマーサの髪は、まっすぐ伸びた赤毛で、さらっと肩から下へと広がっている。それは確かに綺麗だったが、それと自分の話は別だとベアトリーチェは想い、それをそのまま口にする。
「でも、僕は男装してるし。」
「男装してても、してなくても女の子なんだから気にしなきゃいけないの!」
しかし、まったくマーサは折れない。はさみも返してくれない。
「そもそも、最近、男装も適当よね。この前なんかお嬢さんって普通に呼ばれてたし。」
「うっ、そ、そんなことないよ…。ちゃんと否定したし。」
思わず口ごもるベアトリーチェ。確かに最近、みんなの前だと気を抜きすぎて、男装していることを忘れてることがあった。それにエルサティーナからは、もう大分離れたのだし、もう一人旅でもない、念のためにまだ変装しているとはいえ、前ほど意識を配る必要もないと感じてきている。
「だいたいなんで男装なんてしてるわけ?そのせいで」
マーサが勢いのまま何か言いかけて口ごもる。
「そのせいで?」
首をかしげるベアトリーチェに、マーサは顔を少し赤くした後、咳払いをして取り繕い、すまし顔をつくると、ベアトリーチェに向かって宣言した。
「とにかく!明日、美容院につれてくから。そこで切ってもらいましょう。」
「はあ!?」
何故か、マーサのセリフに叫び声をあげたのは、ベアトリーチェではなくマーセルだった。
「え、どうしたんですか?」
今度はマーセルの方を向いて首をかしげることになったベアトリーチェを無視して、マーセルはマーサに食って掛かる。
「ちょっとまて、お前まさか、あの店に連れて行く気じゃないんだろうな。」
「そうだけど、なんか文句ある?」
「文句もあるも何もお前、なんでわざわざあの店に行くんだ。」
「ちょうどパウリが近いし、都合がいいじゃない。」
「俺の都合は考えてないのかよ!」
「うるさいわね、女の髪の一大事なのよ。マーセルの事情なんていちいち気にしてられないわ!」
そのまま二人は言い合いをはじめてしまった。
パウリは今向かってる進路上にある街だ。でも、寄る予定はなかった気がするが…。
「それじゃあ多数決をとります。ベルの髪を切るために、パウリによる方がいいと思う人~。」
「は~い!」
「さんせーい!」
「賛成ね。」
「それがいい…。」
いきなり多数決が開始され、茫然とするベアトリーチェをしり目に、次々と仲間の手があがっていく。
「はい、賛成過半数以上で決定!」
「ウッド、馬車の進路をパウリにかえてー。」
「わかった…。」
団長っていったい…、とつぶやきながら、がっくり膝をつくマーセル。
「え、決定しちゃったの…?」
そしてただ眺めていた本人の意思をおいて、ベアトリーチェは美容院にいくことになったらしい。
***
パウリに着いたベアトリーチェたちは、整備された街道を通り、マーサの言ってた美容院へと向かう。午後の日差しが照る明るい街並みに、5人の顔にも笑顔が浮かぶのだが…。
「何してるんですか?」
何故かひとり、上着を頭からかぶりこそこそと道を歩いている。
「しっ、話しかけるな。俺は風だ、俺は木だ。」
「木は歩きませんよ。」
何やら話かけて欲しくないようなので、ベアトリーチェも離れることにする。
「どうしたんですか?マーセルさん」
「いつものことよ。それより、ベルをどんな髪型にしよっかなぁ。」
対照的に明るい表情のマーサが、楽しそうにそう言った。
「え…、適当でいいのに。」
「だーめー、ちゃんとベルに似合う髪型にしないとねー。」
「ねー。」
顔を見合わせてそう言うマーサとルミに、イレナも同意する。
「せっかく行くんだから、ちゃんと決めた方がいいよ。」
「そうそう、ちゃんと伸びてきたあとのことも考えないと。」
「伸びてきたって、男装してるんだけど…。」
頬から汗を垂らしながらそう言うベアトリーチェだが、実際そこまで気にしなくてもいいかなと思ってしまうのも事実だ。だから特に拒否もせず、まわりに任せてしまう。
王宮にいたころは外見にも自分なりに気を使っていたけど、今はめっきり無頓着になってしまった。昔はアーサーさまに大人っぽく見てもらえるようがんばってたんだけどな。そう思うと、少し胸に苦い気持ちが沸く。
「ベルはどの髪型がいい~?」
いつの間にか取り出したファッション誌を片手に、ルミがベアトリーチェの肩に飛びついてくる。
辛い気持ちも一時期より重くないのは、こうやって周りに明るい仲間がいてくれるからだろうか。
「う~ん、…ってこれ女の子ようじゃない…。」
眉をしかめて口をとがらせるベアトリーチェに、ルミがえへへっと舌を出して笑う。
「えっと、ここの角を曲がって~、ほらほらあそこ。」
マーサが指をさした先には、ちょっと洒落た感じの赤い屋根の店があった。壁は綺麗に白で塗られ、色鮮やかな街並みの中でひときわ目立っている。
「それじゃあ、俺は外でまってるからはやく切ってこいよ。」
そして後ろ手で手をあげて、何故か路地裏に入っていこうとするマーセルだったが…。
「今だ!捕まえろ!」
そんな声が路地に響き渡ると同時に、5人ほどの大人がマーセルにとびかかっていった。
「げっ、なんだとっ!?」
ベアトリーチェの目の前で、あっというまに組み敷かれてしまうマーセル。その姿をベアトリーチェは茫然と見つめた。
「ありゃりゃ~、今回は早かったね。」
「この前は馬車から引きずりだされたから、逃げやすいように外に出たみたいだけど、結局だめだったわね。」
「え…、どうしたんですかこれ…。助けなくていいの…?」
「毎度のことだしね。」
ルミも無情にうなずくだけだ。
「てめぇら、少しは助けようとしやがれ…。」
「えっと、息苦しくないですか?」
押さえつけられて苦しそうにしてるので、せめて呼吸しやすいようにしゃがみこんで襟のボタンをはずしてやる。
「そういうのはいいから…。」
さすがにだいの大人5人を退かすのは難しいので、ちょっとだけ助けようとしたのだがだめだったらしい。おとなしくみんなの位置に戻る。
じゃりっと砂を踏む足音がした。現れたのは厳しい顔つきの初老の男性。その男性は、地面に押さえつけられているマーセルをじろっと睨むと、低い声で言った。
「ふん、帰ってきてたのか馬鹿息子。」
「ここまでやっといて白々しいぞ、親父…。」
マーセルも低い声でそう返し、突如現れたその男性を睨み返した。