63.『王宮にて』
カルザスの反逆から半年が経ち、平穏を取り戻した王宮。しかし、そのこととは裏腹に、王都には暗い雰囲気が漂っていた。
「はぁ…。」
フラウは紅茶を運びながら溜息を吐く。
「どうしたの、ため息なんかついちゃって。」
軽くたしなめるように尋ねるカーラも何となく、その原因がわかっているような声音だ。
「今日もレティシアさま、沈みっきりだったわ…。」
「アーサーさまも…。」
王都に漂う暗い雰囲気の原因は、アーサーさまとレティシアさまにあった。アーサーさまもレティシアさまもあの事件から、まわりからもわかるほど沈んだ様子を見せるようになった。まわりからは理想の恋人と思われていた二人も、今はまったく逢瀬を見せることはない。
レティシアさまはあまり外にでることもなくなり、政務以外では部屋にこもりっきりだ。アーサーさまはレティシアさまのもとをまったく訪れなくなり、かといって後宮に通う様子もない。ただひたすら毎日、政務をこなし、暇があればベアトリーチェの捜索の指示をだしていた。
二人とも王族としての仕事はきっちりこなしている。しかしその表情は周りから目に見えて暗く、それが周りにも暗い雰囲気として伝播していた。
「ベアトリーチェさま、まだ見つからないそうね。」
「うん…。」
ベアトリーチェさまがいなくなってから、アーサーさまの命令により捜索が開始された。しかしその行方は未だ見つかっていない。国王自らが出向いて他国にも協力を要請した。しかし、いつ出奔したのかすら正確にはわからず、ほとんど情報がないのも同然の状況。他国からも芳しい報告は何もなかった。
彼女の故郷であるフィラルドにも問い合わせと謝罪を行ったが、自国の元姫が失踪したというのに彼女の故国の反応は驚くほど冷淡だったそうだ。知らない、興味すらないといった態度で、聞くのは王妃であるレティシアさまの様子ばかりだったらしい。エルサティーナからのお詫びの宝物をにこにこ顔で受け取ると、代わりにもっと良い姫を側妃としてだせるとまでいったと聞いた。
その様子から考えれば彼女が故国に戻る可能性は薄いだろう。
「それに…ベアトリーチェさま自身は戻りたくなんかないよね…。」
王国に広まった彼女の悪いうわさ。それは未だ払拭されていない。レティシアさまが何度うわさを否定しても、アーサーさまが何度説明しても、民の間まで広まった悪評を消すことはできなかった。本人が失踪してしまったこの状況は、二人の言葉にすら説得力をもたらさない。
それに、近頃では王妃にすら悪評をたてるものが現れ始めた。レティシアさまは今も政務を完璧にこなされているが、一部の貴族の間では孤児出身だとか王の寵愛を失っていると誹るものが現れているらしい。
「とにかく今は私たちはレティシアさまを支えないと。」
「うん、そうだよね。」
身分も低く無力な自分たちには、できることは少ない。それでもベアトリーチェさまが命を賭けて守ってくれた自分たちの主人を、自分たちもできるかぎり支えなければいけない。
***
レティシアは王妃の部屋でベッドに身を投げ出して、天井を見つめていた。今の時間は政務もなく、部屋には彼女ひとりしかいない。
頭の中にはいろいろな思考がぐるぐると渦巻いていた。
「ビーチェさま…。」
自分が支えようと思っていたはずの人、本当はずっとずっと自分を支えてくれてた人。そして自分のせいで、奈落に突き落とされこの国を去って行った人…。
なんでこうなったんだろう…。
自分が無力だったから。臆病だったから。そして愚かだったから。ベアトリーチェさまを守るため王妃になったはずなのに、いつも通り優しく笑ってくださっていたから、それに甘えて傷つけて…。それなのに、ベアトリーチェさまは自分を守ってくれて。
そして犠牲になった。
「ううっ…。」
泣く資格なんかない。そう思うのに、こらえてもこらえても目じりには涙が浮かぶ。そんな弱い自分が気持ち悪かった。
ベアトリーチェさまのため、そう思って王妃になってみたものの、本当は怖かった。まったく何も知らない国、一物を隠した貴族たちに囲まれ、ベアトリーチェさまは傍にいてくれない、そして肩にはこの国に住む100万もの人々の命がのしかかってきた。
科せられた王妃の仕事を必死でこなし、なんとか体裁を取り繕い、でも本当に肝心なことは何もできてなかった。不遇の噂は聞いていたのに、あんなに酷い状態だと気付けなかった。アーサーさまの心が見えず、ただベアトリーチェさまとうまく行きますようにと祈るばかりで、手をこまねいていた…。
そしてベアトリーチェさまはいなくなってしまった。
「どこにいらっしゃるのですか、ビーチェさま…。」
もともと王族の姫だったのだ。一人で旅をして大丈夫なのだろうか。何か危険な目に会ってるのではないだろうか。心配で、胸が締め付けられるのに、でもベアトリーチェさまが見つかってもたぶん戻ることは望まれないだろうと言うことはわかる。いや、自分もこの国に戻ってきてほしいのかわからない。
ベアトリーチェさまが戻ってきたとき、少しでも悪い待遇が改善されるようにしようと、貴族たちの誤解を解こうとした。なのに、それすらも自分はできなかった…。今までうまく出来てたはずの王妃の仕事すら、貴族たちの偏見の壁によって新たな困難が生じはじめてきた。
そもそも、ベアトリーチェさまがいなくなったのに、なんで自分はまだ王妃など続けているのだろう。そう自嘲しながらも、まだまわりには王妃としてふるまっている自分がいる。
たくさんの命を背負う仕事なのだから、投げ出してはいけない。ベアトリーチェさまならそう言うかもしれない。でもこの国の人々も、ベアトリーチェさまを傷つけた人たちだ。もう、何が何だかわからない…。
投げ出してしまいたいのに、捨てられない。その理由も綺麗なものじゃなくて、ただ自分の汚さをごまかしたいだけの気がする。
答えを出せない思考に、瞳の向こうの視界が歪む。
こんなとき、ベアトリーチェさまは一緒に泣いてくれたのに…。そう考えて、自分はベアトリーチェさまに戻ってきて欲しいことに気付く。しかも、それはベアトリーチェさまのためじゃなく、自分がさびしいから…。
「ごめんなさい、ベアトリーチェさま、ごめんなさいぃ…。」
まだ政務は残っている。泣くことは失敗だった、王妃として。
美しく賢い完璧なる王妃。そう呼ばれた少女は、ひとりベッドで子供の様に泣きじゃくった。