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61.『温泉です。 5』

 村長に用意された広場には、もう結構な人が集まっていた。

「うわぁ、随分と多いなぁ~。」

「そんだけみんな暇をもてましてるんだろ。」

 ルモが感心して喋った言葉に、マーセルが答える。ここにしばらく滞在するつもりでいたが、ベアトリーチェたちと同じくせっかくきたのに温泉に入れなかった人たちだろう。みんな急遽行われることになった演奏を楽しみにしている表情だ。

「固くならなくても大丈夫だよ。」

 イレナがベアトリーチェにそう話しかける。

 緊張していたのだろうか。ベアトリーチェはそう言われて、肩に力が入ってたのを感じた。あの最初の演奏から、少し間だけど音楽のことを勉強してきた。今、考えてみるとあんな風に飛び入りしたのは、すごく無謀なことだったかもしれない。

「大丈夫、ベルはきちんと勉強してきた。ちゃんと出来る。」

 ウッドが言葉は少ないがベアトリーチェを励ます。

 そう、前までは気ままに魔笛を吹くだけだった自分。でも、それはちょっと前に変わった。音楽についてもちゃんと教わり、一緒に演奏する仲間もできた。これは自分がはじめて音楽にした努力を試す場所。だから、ちょっと緊張してしまっているのかもしれない。

「うん。」

 ベアトリーチェは頷き、二人に笑顔を返す。

 大丈夫だ。だって今の自分には、こんなに励ましてくれる仲間がいる。

 最初に演奏するのは、あの時みんなで演奏した曲だ。ベアトリーチェが入りやすいように、わざわざみんながこの曲を最初に選んでくれた。

 マーセルのバイオリンから演奏がはじまっていく。それに次々と仲間の演奏が混じっていき、次はベアトリーチェの番だった。

 あの時と同じく、ベアトリーチェも魔笛に息を吹き込む。どこまでも美しく澄んだ音色を持つベアトリーチェの魔笛の音。それを耳にした観客たちは驚いたようにざわつく。

 その音は以前演奏したときよりも、マーセルたちの音楽に溶け込んでいった。

 あの時は自分が演奏するのに精いっぱいで、まわりの音が聞こえてなかったのだ。それがこの三週間で勉強したことでわかるようになっていた。

 今度はマーセルたちの音をよく聞き、自分も精一杯演奏していく。マーセルたちもベアトリーチェの音にあの時のように驚いたりせず、その音をしっかりと聞いて音を合わせていた。

 あの時は良くも悪くもベアトリーチェの音と演奏に引きずられていたのが、今それが調和しあっていた。楽団として仲間として、お互いに高め合い、フォローしあって…。

 やがてざわめいていた観客たちも、その美しい音に聞き入るようになっていく。

 演奏が終わったときベアトリーチェが見たのは、大きく拍手する観客たちと仲間の笑顔だった。

「マーサ、次はがんばってね。」

 次の演奏は、マーサの曲だ。演奏ではフォローされっぱなしの自分だけど、なんとか言葉だけでも励ましたかった。

「う、うん。」

 さすがに緊張しているのか、いつもとは違う固い表情のマーサのたまにマーセルの手が置かれる。

「まあ安心しろ。どうせ、ぶっつけ本番でろくなもんになんねーだろ。」

 にやりと笑いながらマーセルが言った。この曲はみんなマーサが歌ってるのを何度か聞いているとはいえ、演奏するのははじめてだった。それでもやろうというのだ。成功か失敗かは気にしてなかった。

「うう、一曲目が完璧だったのが、こうなるとプレッシャーだよぉ…。」

 マーサはそんなことを言って肩を落とす。

「そんなことないよ。僕なんてフォローされてばっかりだったし。僕は力になれないかもしれないけど、出来る限りがんばるから。マーサもがんばろ?」

 そう言ってベアトリーチェはマーサの両手を握りしめた。力がはいっているせいか、小首を傾げた顔がやたら近い。

 マーサの顔がみるみる真っ赤に染まって行く。

「わわわ、わかったから。がんばるから!」

 慌ててベアトリーチェの柔らかい感触の指に握られた自分の手を引き離した。

「マーサ顔が赤いぞー。」

「まっかっかー。」

 何かを察したのか、双子たちがマーサの耳もとでからかうよにしゃべる。

「う、うっさいわねぇ!」

 にやにや笑う双子たちにマーサがげんこつを振り上げようとしたとき、申し訳なさそうな声がその背中にかかる。

「あのぉ、次の演奏はいつはじめてくれるのじゃろうか…。」

 マーセルたちに演奏を依頼した村長だった。そう言えば、今は全員が檀上にいるのだった。あのやり取りもみんなに見られていたのだ。

「いいぞー、ぼっちゃん顔に似合わずたらしだなぁ。」

「じょうちゃん、いろいろとがんばれよー。」

 観客たちから送られるからかいのヤジに、全員の顔が真っ赤にそまる。

「とりあえず、演奏。」

 ウッドの一人だけ冷静な声で、ベアトリーチェたちは頷いた。

「ところでたらしってなに?」

 演奏の再開をまつなごやかな空気の中、ベアトリーチェはぽつりとつぶやいた。


***


「ふぅ、終わったぁ~。」

 演奏が終わったベアトリーチェたちは宿屋に帰ってきた。ルミが椅子にすわり、テーブルにだらりと体を投げ出す。

「はぁ、失敗はしなかったけど緊張したよ~。」

 同じくマーサもくたびれた顔をしている。

「お帰りなさい。私も聞きにいったけど、すごくよかったわ~。」

 そんなベアトリーチェたちを出迎えたのは、笑顔を浮かべた女将さんだった。

「疲れたでしょう?そんなあなたたちに朗報よ。なんと温泉に入れるようになったの!」

 女将さんの言葉に、さっきまで一歩も動きたくないという感じでテーブルに突っ伏していたマーサとルミががばりと起き上がる。

「入れるようになったの!?」

「温泉!」

「ええ、くみ上げ装置が直って、いまはお湯がちゃんと入ってるわよ」

 温泉に入れるときいて、女たちの目がきらーんと輝く。

「早速入ってこなくちゃ!」

「そうだね。遅れた分を取り戻さないと。」

「はやくいこーいこー。」

 さっきまでの疲れた表情はどこへやら、さっと準備をすまして行こうとする。

「ところで、なんでそんなに早く直ったんだ?大分かかりそうって話だったのに。」

 マーセルの疑問の言葉に、女将さんはにこにこ上機嫌な笑顔で答える。

「それもあんたたちのおかげさ。あんたたちの演奏をたまたま通りかかった貴族さまが聞いててね。本当は旅行客で温泉に入りに来たと聞いたら、修理のための資金と人員を提供してくれてね。急ぐようなので本人たちはもういっちまったけど、温泉には入れるようになったのさ。」

 貴族、そう聞いてベアトリーチェの心臓がどくりと震える。大丈夫、もう行ってしまったということはばれなかったはずだ。そもそも、自分は貴族たちに顔を知られているわけじゃない。男装だってしている。

 きっと大丈夫だ。

「へぇ、ありがたいこったなぁ。それじゃあベル、俺たちも温泉はいろうぜ。」

「へ?」

 ベアトリーチェは間抜けな声をあげた。

 ベアトリーチェはすっかり失念していた。温泉が直ったら男の人と一緒に男湯に入れらなければいけないという危機に…。

「あ、僕は…。えっと、その…。」

 どうしよう。間近に迫った危険にベアトリーチェの頬に汗が落ちる。

「ん、どうした?はじめてかもしれないが、怖がることなんてないぞ。」

「あの、ぼく、11日の金の日には水に入るなと言われてるんです!」

 宿屋におかれたカレンダーが目に入った瞬間、ベアトリーチェはそんなことを口走っていた。

「は、はあ?誰がそんなことを…?」

 マーセルはわけがわからないと言った感じで問いかける。ベアトリーチェは危機回避本能故か、口をまわし咄嗟についた嘘をそのまま押し通す。

「アーサ…、アーさんという方で、僕のおにいさまみたいな方です!すごく尊敬していて、かしこい方で、僕におっしゃったんです!11日の金の日には決して水に入るなと!だから僕は今日は温泉に入れません!」

 そういってマーセルが圧倒されるほどの勢いでしゃべった後、脱兎のごとく逃げ出していった。

「アーさんって誰だよ…。」

 ベアトリーチェがいなくなった食堂で、茫然とした顔でマーセルが呟いた。


***


 ぽちゃんっと水のゆれる音がする。

「えへへ。」

 空には闇のカーテンが包み、白く月の光っている。もう夜も深い時刻。ベアトリーチェは上機嫌にわらって、湯気をたてる温泉に足をつけた。

「わぁ~、あったかい~。」

 結局、温泉には入ってみたかったベアトリーチェは、深夜にふとんから抜け出してこっそり入ることにした。ルミとルモと一緒に寝ていたが、ぐっすり寝てくれていたせいか特に起きることはなかった。

 ちょっと暑めのお湯の感触が、慣れない旅で疲れのたまっていたベアトリーチェの足をときほぐしていく。

 ひんやりとした夜の空気が頬をうち、白い湯気を流すお湯が足元からベアトリーチェにぬくもりを伝える。今まで知らなかった温泉と言うもの。でもこの不思議な香りのするお湯は、不思議とベアトリーチェに安心感をあたえる。

「よいしょっ。」

 ベアトリーチェは声を出して、ぽちゃんとお湯に全身を入れた。ちょっとお湯は熱い気もしたが、それもまた心地いい。

「えへへ~、気持ちいい~。」

 顔にもお湯をかけた後、そのままちょっとふざけてばちゃばちゃとあっちこっちにお湯を飛ばしてみた。

 ベアトリーチェも女の子だ。お風呂が大好きだ。久しぶりにつかるあったかいお湯に、その表情は完全に緩み切っていた。


***


「ん?」

 夜、遅く起きたマーセルは水の音を聞いた。聞こえてきたのは、温泉がある方からだ。

「もしかしてベルのやつか?あいつ今日は入れないっていってたのに。って、今は明日か。」

 ばしゃばしゃ聞こえてくる水音に、結構はしゃいでいるのだとわかる。

「湯あたりしないように声かけといてやるか。」

 お湯に長くつかりすぎると逆に体調を悪くする。温泉がはじめてのベルに、一言アドバイスでもしてやるつもりだった。

「おーい、ベル。いるかー。」

 ガチャッ

 そう言って気軽に温泉に続く扉を開けたマーセルの目に映ったのは、蜂蜜色の髪をした一人の少女の姿だった。

「え…。」

「あ…。」

 呆然と見つめ合う二人。

 月明かりの下で輝く白い肌、濡れた茶色の瞳は茫然としたようにこちらを見つめてくる。

 流れる沈黙。

 そして。

「ひゃあああああああああああああ!」

「おわあああああああああああああ!うわあっ!」

 悲鳴をあげて少女はお湯に体を隠し、マーセルはあわてて温泉から出ようとしてこける。

「な、なんなんだ!いったい。」

 宿には自分たち以外とまっていないはずだ。なのに、マーサでもイレナでもない少女がなぜか温泉の中にいた。

「なになに!どうしたの!」

 悲鳴を聞きつけたマーサたちの瞳に映ったのは、裸の少女とマーセルの姿。マーサが目をつりあげる。

「マーセル!あんた!」

「ちがう、誤解だ!」

「問答無用!」

「ぐはっ!」

 マーサの乙女の怒りを込めたけりが、マーセルの顔面にクリーンヒットする。現場的にマーセルが女湯を覗いたと判断したらしい。自分たち以外の少女がこの宿にいるはずがないことは、マーサの頭からすっかり抜け落ちていた。

「この女の敵!」

 そういって追撃を加えようとしたマーサに、慌てて少女が止めにはいる。

「ま、待って、マーサ!マーセルさんは悪くないよ!」

「ちょっとベルは黙ってて!」

 少女の言葉を無視して、天誅をくだそうとしていたマーサは、ふと違和感に気付き少女に顔を向ける。

「え…ベル…?」

 少女の出した声は、ベルとまったく同じだったのだ。というか、よく見ると顔立ちもまったく一緒だ。え、なんで…。マーサの頭が混乱する。

 だって少女の体は完璧に女の子だった。いや、ベルは相当な女顔だったので、全然違和感がないが。柔らかい体つきは、立派な女性のものだ。

「あんた、女の子だったのかい…。」

 まだ混乱しているマーサの頭に、イレナの冷静な声が入ってくる。

「うん…。」

 その言葉に少女は頷いた。

「ごめんなさい!騙してて!」

 マーサはマーセルの首を吊りあげながら、頭を下げて謝るベルの声を聞いた。


***


「なんで女だって言わなかったんだよ…。」

 顔を腫らして不機嫌そうに呟くマーセルに、ベルは恐縮したように謝っている。

「ご、ごめんなさい…。」

「わたしは気付いてたよー。だって一緒に寝てるもん。」

「俺は全然気づかなかったぞ…。」

 ルミは明るく、ルモは驚いたようにそう言う。

 結局、女とばれてしまったベルは、全員に謝って女性だということを離した。

「どおりで男にしてはガキっぽくみえるはずだ。って、女だとしても十分子どもっぽいな。本当は年齢もごまかしてるんじゃないか?」

「そんなことありません!ちゃんと18歳です!」

 真顔でそう聞かれて、大声で言い返す。

 そしてマーサのもとにやってくると、本当に申し訳なさそうな顔で謝ってくる。

「本当にごめんね、マーサ。女だってこと隠してて…。」

 でもマーサには答えられない。その反応に、ベアトリーチェは肩を落としてしょぼしょぼと遠ざかる。さっきから繰り返しているやり取りだ。

「はあ…、マーサはまだ許してくれないみたい…。僕が隠しごとをしていたことにすごく怒ってるみたいです…。」

 可愛らしい悲しげな表情で言うベルを、イレナがはげます。

「あいつはそんなに怒っちゃいないよ。ただ、ちょっとこう、あいつなりの複雑な心境があるのさ。そのうちもとどおりに接してくれるよ。」

「そうですか…?」

「ああ、大丈夫さ。」

 そう、別に怒ってはいないのだ…。ただ…。ただ…。

 マーサは横目でベアトリーチェの顔をちらりと見る。色素の薄い毛に、永い睫、優しげな瞳に、小作りな顔のパーツ。どうみてもそれは女性のものだ。

 ちゃんと見てみれば間違いようのない。ちょっと幼めな印象を受けるが、れっきとした美少女だった。

 なのにどうして男の子だと自分は思ったのだろうか。少年だと思い込んでいたせいなのか…。

 そしてあろうことか、自分はこの女の子に…。

「うう…。」

 マーサの胸に、今では苦い想いが浮かぶ。

「私の初恋…。」

 ベルが悪いわけじゃないけれど、怒っているわけじゃないけれど、しばらくは変な態度をとることを許してほしい。

 天罰ならもう先払いできているだろう。初恋が女の子だったことで…。



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