6.『あなたのそばに 3』
宮廷魔術師は飄々としているし、側近たちは無言だが、公爵たちの興味の中心はもうレティシア一色だった。それを見かねたのかわからないが、アーサーが話題を変える。
「カシミール公爵はまだだろうか。そろそろ来ても良いころなのだが。」
アーサーがそう言うのとほぼ同時に、廊下の向こうで足跡が聞こえてきた。
「失礼しました。仕事が長引きましてな。王女殿下にはとんだ失礼を。」
開かれた扉の外から一人の老人が飛び込んでくる。集まった男立ち寄りもさらに年かさを重ねた印象だが、その足取りは老いた様子をまったく見せない。三大公爵家の中でも、カシミールが当主を務めるカサンドラ家はその歴史も力も頭ひとつ抜きん出ているという話だ。
その家において長く当主を務めるカシミールは、今は一線を引いたものの先代の王のときには政務を一手に引き受けエルサティーナの賢者と呼ばれていた。
「気にしておりません。忙しい中私との会談に時間を割いてくださったことを感謝します。」
ベアトリーチェは礼をして、気にしてないことを丁寧につたえる。
アーサーもそれを見て頷き、二人を引き合わせる。
「あらためて紹介しよう。カサンドラ家の当主、カシミール公爵だ。父の代には国政を担い、私の代になってからも何度も助けてもらっている。」
カシミールは前国王の従兄弟に当たる人物で、アーサーが子供のころはおじさんとして何度か世話してもらったことがあった。そして自分が王になった今は、後ろ盾として全面的にバックアップしてくれている。
紹介されたカシミールはベアトリーチェに向き直り、年齢を経たものの貫禄のある礼をする。
「ご紹介に預かりました、カシミールでございます。王女殿下が長旅で疲れてる中、お待たせしてしまうという非礼重ねてお詫び申し上げます。エルサティーナでも快適に過ごして頂けるよう、私も微力ながら力添えをさせていただく所存です。」
ベアトリーチェも何度目かになるが、気を引き締めなおし礼を返す。
「フィラルド王国第四王女ベアトリーチェです。遅れたことはまったく気にしておりませんので、お気になさらないでください。しかし、カシミールさまのお心遣いの念に感謝します。」
これで今日、この場に集まるはずだった人間は全員そろったことになる。
この後は僅かに言葉を交わしたあと、長旅で疲れたであろう王女を慮り解散する予定であったが。
「ベアトリーチェさまはとても美しい侍女を連れていらっしゃる。カシミールさまもご紹介いただいたらどうかな。」
クレイドールがあまり上品とは言いがたい表情を浮かべながらカシミールにはなしかける。
カシミールはさして興味のわかないような顔をしていたが、無下にするわけにもいかないのか事務的に答える。
「ふむ、どのような方でいらっしゃるのかな。」
そういって目を向けられたレティシアは、本来こういった場で侍女が挨拶するのはあまり無いことであり、主にすまなく思いながらも失礼にならないように礼をする。
「レティシアと申します。ベアトリーチェさまの侍女としてこらからお世話になります。」
そしてレティシアが顔を上げたとき、興味なさげにしていたカシミールの目が見開かれた。
口元がもごもごと動き、聞き取りにくい声で言葉をつぶやく。
それはベアトリーチェの耳には「エランティエラさま」と言ったように聞こえた。
そのまま呆然とした様子で、カシミールはレティシアを見つめ続ける。
その尋常じゃない様子に、部屋にいる人間たちもざわめき始める。レティシアはわけもわからずはるかに身分の高い人間に注視され、緊張した様子で動けずにいる。公爵に自ら声をかけるわけにもいかず、公爵の態度の理由をたずねることもできない。
ベアトリーチェはそんな二人の様子を不安げにみつめている。わけのわからない事態に、レティシアに悪いことがないよう祈る。
そんな異様な雰囲気が漂い始めた部屋で、やっとアーサーがカシミールに声をかける。
「どうしたのだ、カシミール。」
王もこの事態を把握できず、カシミール本人に問いかけることしかできない。
「レティシア殿はどこかの貴族のででいらっしゃるのかな。」
はるかに年上でありながら普段は王としての経緯を払ってくれるカシミールだが、このときの王の質問は無視された。いや耳にはいらないといった様子だった。
レティシアはさっき他の公爵がされた質問に、眉を寄せながら同じように答える。
「いえ、平民の出でございます。」
カシミールの質問は続く。
「両親はどのような方かね。」
「孤児ですから申し訳ありませんが、わかりません…。」
レティシアは不安のせいか、いつものような凛とした空気が失われかけた状態で、公爵の質問に答えを返す。
「なんと…。」
公爵は孤児という言葉を聞き、顎に手を当て何かを考え込んでしまう。
そしてはっと顔を上げると「失礼!」と言いレティシアの手をとり長い侍女服の裾を二の腕の上まで引き上げる。レティシアのさらされた白い肌の一点、肘の上を見て公爵は固まってしまう。
ベアトリーチェはそこに青い痣があることを知っていた。わけもわからない不安に心臓が嫌に脈打つ。
「いったいどうしたのだ!カシミール!」
さすがに見ておけなくなったアーサーは大きな声でカシミールを呼ぶ。
カシミールは硬直したままでいるレティシアの裾を下げると、早足で陛下に歩み寄った。そしてアーサーの耳に顔を近づけると何かを耳打ちする。
最初はとまどっていたアーサーだが、公爵の言葉が耳に送られていくごとにこわばった表情に変化していく。
「そんな、まさか…。」
そして信じられないものを見るような目でレティシアを見る。
「陛下!」
同じく厳しい顔でカシミールは陛下に声をかけ、確認を求めるような視線を向ける。
「うむ、わかっておる。」
カシミールの目線を受け頷いた陛下が、ちらっと一瞬こちらを見た気がした。
その視線にさらに不安が募る。いったい何が起こっているのか。
アーサーはレティシアに歩み寄ると、こわばった顔で言葉を告げる。
「レティシアどの、我と一緒に来てもらおう。」
拒否を許さない強い口調に、ベアトリーチェとレティシアの顔から血の気が引く。
「お待ちください、アーサーさま!レティシアに何か問題でもありましたのでしょうか。理由をお聞かせくださいませ。」
「ビーチェさま…。」
慌ててベアトリーチェは陛下に問いかける。レティシアは不安げな呟きをもらす。
しかしアーサーは厳しい顔をベアトリーチェにも向け、不安をより一層深くする言葉を返す。
「ベアトリーチェ、今日はもう部屋にもどって休んでくれ。」
有無を言わさない王の言葉は、再びレティシアにも向けられる。
「ついてきて来てもらうぞ。レティシア殿」
そう言ってレティシアの手を取り、アーサーは振り返ることもなく行ってしまう。その後ろをカシミールがついていく。
「ビーチェさま…。」
レティが不安げに自分のほうを振り返る。しかしこの国の主であるアーサーの行いを阻む力はベアトリーチェには無い。
「レティ…。」
ベアトリーチェはつれられて行く親友を呆然と見送っていた。
部屋には混乱した男性たちと、ベアトリーチェだけが残された。