59.『温泉です。 3』
朝早く、小鳥の声と共にベアトリーチェは目を覚ました。
自分に抱き着くようにして寝ていたルミとルモを起こさないようにして、そっとベッドを出ると、階段を降りて宿屋の一階へと降りていく。
「~~~~♪」
どこからともなく綺麗な歌が聞こえてきた。ベアトリーチェはつられるように歌の聞こえてきた方へ足を進める。
「どんなに辛い時でも~♪明けてゆく朝陽が背中を押して~♪」
朝霧を透かすように日の光が降り注ぐ木々の下、マーサが透明なそよ風に髪を揺らしながら歌を歌っていた。歌うマーサの表情は真剣で、歌声には強い感情の響きが籠っている。
「すごく良い歌だね。」
マーサが歌い終わるまで、ベアトリーチェはその歌をずっと聞いていた。
終わったころに話しかけたベアトリーチェに、マーサは今更気づいてはっと振り向く。
「ベ、ベル!?もしかしてずっと聞いてたの?」
「うん、朝起きたらマーサの歌声が聞こえたから。」
マーサはベアトリーチェの笑顔を見て赤面する。
「あうぅ…。聞いてたなら話しかけてよ…。」
「邪魔しちゃったら悪いかなって思って。それに歌ってるマーサ、すごく綺麗だったから僕もずっと聞いていたかったし。」
「き、きれい!?」
「うん、綺麗だったよ。」
「なっ、なんでそんなことさらっといっちゃうかな…。じ、じつは軟派な性格…?」
顔を一層赤くしたマーサだったが、最後の方の言葉はごにょごにょしていてよく聞き取れなかった。ベアトリーチェは首をかしげる。
その何もわかっていない表情を見て、マーサは昨夜言っていたイレナの言葉を思い出す。
(本当に、鈍い…。)
マーサは溜息をつくしかなかった。
「さっきの歌はなんて曲なの?あまり聞いたことない歌だったけど。」
旅の中でマーサの歌は何度も聞いたことがあったけど、今日の歌は一度も聞いたことがなかった。
「ん~、空と歩むって歌なんだけど、ぜんぜん有名な歌じゃないからね。」
「きっと大好きな歌なんだね。いつもより、さらに心をこめている気がした。」
ベアトリーチェの言葉にマーサはちょっと不意をつかれた表情をしたが、それもわずかに柔らかく微笑んでちょっと首をかしげる。
「そうかな。でも確かに、特別な歌かも。」
「特別な歌?」
「うん、私が歌手になるって決心した歌だから。」
そう言ったマーサの表情は笑っていて、誇らしげなようで、それなのにちょっと罰の悪い表情をしている。
「私ね、子供のころから歌うのが好きだった。村に昔作曲家をしていたおじちゃんがいて、いろんな歌を教えてくれたの。結構私、歌うのが上手で、大人もたくさん褒めてくれた。でも、農村の生まれだったから親の仕事をついで将来は畑仕事をやるんだと思っていた。」
「そんな時ね、ちょっと大きな町の歌のコンテストに出ることになって、この歌を歌ったの。この歌は作曲家だったおじちゃんが作ったもので、ついでだから歌ってあげようかなぁって。」
「そしたら優勝しちゃってね。」
喜ばしいことを話しているはずなのに、マーサの顔は苦いものをかみつぶしているような表情だった。
「嬉しくなかったの?」
「優勝したときは、してやった!って感じだったわよ。いつもは嫌味な町の子とかも出てたからね。それで凱旋気分で意気揚々と村に帰ったら…、待ってたのは村中の人たちの説教だったわ…。」
「ええっ、説教?なんで!?」
「なんか私が歌手になりたがってたと勘違いしたらしくて。私は歌手になる気なんてないっていってるのに、親も村長さんたちも隣のおばさんも信じないで、歌手なんてお前には無理だとか優勝したのはまぐれだとか延々と言ってくるの。ずっと夜遅くまでよ。」
「そんな中おじちゃんだけが褒めてくれて、こっそりお菓子を振る舞ってくれたの。そしたらおじちゃんまで説教の対象にされちゃって、お前はろくな曲も作れないのに若い娘にいい加減なことを言って馬鹿な夢を見させるのかとか、二人並んで説教よ。もういい加減に腹が立っちゃって。」
「説教が三日目に入ったころに、ならプロの歌手になってやるって啖呵を切って飛び出してきちゃった。」
「なんか…すごいね…。」
「うん、まあちょっと浅はかだったと思うけど、でもあんまりにも才能が無いとか言うんだもん。」
「その人の作った曲は、凄く良い曲なのにね。」
「うっ…。うん…。そうよ、それなのに才能が無いとか言われておじちゃんはしょんぼりしちゃって。おじちゃんの曲のおかげで優勝したんだからって、何度も説教の合間になぐさめたわ。」
マーサの言葉から自分の歌が貶されたからだけではなく、おじちゃんの曲までも馬鹿にされたことに腹を立てたことがベアトリーチェにはなんとなくわかった。彼女は自分が馬鹿にされているだけなら、きっと我慢していたのだろう。
「だからいつか大舞台で、おじちゃんの曲を歌ってまわりを認めさせてやろうと思ってるの。そして村に今度こそ凱旋してやろっとね。まずはそのための下積みだけどね。」
きっと普通に村に暮らしていた彼女にとって、そんなきっかけで親の元をでたのは寂しいことだったのかもしれない。それでも、きっかけは怒りだったけれども、彼女は夢を追いかけて、それを叶えたら村へ帰ると言っている。
「うん、マーサならきっと出来るよ。」
ベアトリーチェの笑顔に、マーサは照れたようにわらう。
「そうかな。ベルがそう言うならちゃんと出来る気がしてくるかも…。えへへ、ありがとう。」
そう言ってマーサはいつも以上の笑顔で、ベアトリーチェに微笑みかえした。




