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58.『温泉です。 2』

 ベアトリーチェは困っていた。

 温泉はみんなで入るもの…。今まで水浴びにしても一人で入っていたので誤魔化せていた。でも、一緒にお風呂に入ってしまえばごまかせない。

 いや、それ以前の話だ。男の人たちと一緒にお風呂に入るなんて、たとえばれないとしてもできるわけがない。

「ううううっ。」

 いっそ、女だとばらしてしまおうか?

 そう考えたが、思いとどまる。たとえ捜索されてないとはいえ、自分は後宮を逃げ出した側妃。何か問題が起きた時、自分が女だと知っていれば、彼らにも責任が及ぶかもしれない。自分を助けてくれた彼らに、少しでも自分のせいで迷惑が及ぶのは避けたかった。

「どうしたの~、ベル?歩くの遅いよ~。」

 悩んでいたせいで歩みが遅くなってしまっていたらしい。戻ってきたマーサが、不思議そうに顔を覗き込んでくる。

「あ、うん。なんでもないよ。」

 ベルは慌てて首を振り、ついでに咄嗟におもいついた言い訳を口に出す。

「そ、それより僕ちょっと怪我があって、温泉には入れないかも。残念だな~。」

 それを聞いて何故かマーサは満面の笑顔になる。

「そうなんだ。良かったね。」

「へ?」

「ここの温泉、怪我によく効くらしいんだよ。是非入りなよ~。」

「へ、へぇ…、それは…嬉しいなぁ…。」

「うんうん!ラッキーだね、ベルは。」

 会話の末には、肩を落としたベアトリーチェと、楽しそうにスキップするマーサが、並んで道を歩くことになった。


***


 マーセルたちが泊まる予定の宿は、木造の素朴なつくりの宿だった。一回は小さな食堂になっていて、山の幸をつかった料理が提供される。二階が客が泊まるための部屋になっている。適度にただよう湿気のせいか、壁の木板は濃い茶色の色合いを見せている。落ち着いた雰囲気の宿だ。

「どうしたんだ~?落ち込んだ顔して。」

 ルモがベルの顔を見上げて聞いてくるが、ベアトリーチェは溜息をつきながら首を振った。

「なんでもないよ。」

「まあ、何か知らないけど、温泉入ったら元気でるよ!」

 ルモのセリフにさらにベアトリーチェの溜息は深くなったが、ルモは首をかしげるだけだった。

「えええー!」

 すると受付で宿屋の女将と話していたマーサたちが悲鳴をあげる。

「ごめんなさいねぇ。」

 すまなそうに謝る女将の声が耳に届く。

「どうしたんだろう。」

「なんだろうな。」

 ベアトリーチェとルモは顔を見合わせると、マーサたちのほうへ駆け寄って行った。

「ここらの温水をくみ上げる装置が故障してしまって。しばらく温泉には入れないんです。それでも泊まっていただけるなら、宿代を半額にしますけど。」

「う~ん、他の宿も駄目なのか。温泉は諦めるしかないな。」

「えぇー、温泉入れないのぉ~。」

 顎に手を当て頷くマーセルに、ルミが不満げな悲鳴をあげる。

「あんた半額って聞いて、喜んでないだろうねぇ。」

「そ、そんなことないぞぉ…。」

 いつもはまとめ役をするイレナがマーセルを睨みつけて言う。イレナも温泉に入りたかったみたいだ。マーセルはそれから目をそらし、返事もちょっとどもっていた。

「ちぇ、温泉はなしか~。ん?ベル、なんか喜んでないか。」

「そんなことないよ~。」

 否定の言葉をだすベアトリーチェだが、表情は正直だ。ほっとしたように口元がゆるんでいる。

 どうやらしばらくは大丈夫なようだ。ベアトリーチェはほっと胸をなで下ろした。


***


 空き部屋が多かったせいか、三つも部屋を借りることができた。

 部屋割りは、ベアトリーチェとルミ、ルモの双子、マーセルとウッド、イレナとマーサになった。「子ども同士は一緒の部屋がいいだろ。」とからかいながら頭を撫でてきたマーセルにちょっとむくれたが、ベアトリーチェとしても馬車の中で一緒に寝泊まりしてるとはいえ、男の人と一緒の部屋なのはさすがに抵抗があり、こうなったのは助かった。

「う~ん、下に降りてみよっか。」

「うん~。」

「おう~。」

 部屋で二人と遊んでいたが特にこれ以上やることを思いつかず、暇をもてあましたベアトリーチェはマーセルたちのいるはずの一階へと降りた。だが…。

「なにやってるんですか…。」

 下に降りると完全に出来上がったマーセルがいた…。食堂のテーブルの上には何本も開けられた酒瓶がある。思わずベアトリーチェはマーセルをじと目で睨む。

「いやー、温泉がないならせめてお酒でも楽しまないとと思ってな。お前がルミとルモの面倒見てくれるから、おかげでこうやって心のリフレッシュができるわけだ。お前は本当にいい子だな~。」

 マーセルの顔は赤らんでいて、やたら上機嫌だ。馴染んできて普通に話すことが多くなったが、まだまだ仏頂面の印象が強いので、その上機嫌な様子はなんとなく気持ち悪い。また頭に手が伸びてきたので、ベアトリーチェはそれを首を曲げて避ける。

「うん、ベルに感謝だ。」

 無口なウッドは変わらないが、それでも顔は少し赤く、今もコップに入った酒を飲んでいく。そして何気なく手が伸びてベアトリーチェの頭を撫でていく。

「ウッドさんまで…。」

 溜息を尽いて食堂を見回すと、マーサとイレナの姿はない。

「あれ?マーサとイレナさんはどうしたんですか?」

「ああ、あいつらならどこかで温泉入れるところがないか探してくるっていってたぞ。」

「あら、大丈夫かしら。」

 たまたまつまみをテーブルに運んできた宿屋の女将さんが、驚いた表情で口に手を当て声を出す。

「大丈夫ってどういうことですか?」

「ちょっと柄の悪い連中きててね。温泉に入れないってんで、そこかしこで問題起こしてるんだよ。女の子だけで歩いて絡まれなければいいけど。」

 ため息をはく女将に、ベアトリーチェはすぐ反応した。

「迎えに行かないと、マーセルさん!」

「おう、仕方ねぇな。」

 マーセルは立ち上がって、そして…。

 ズデンッ

 こけた…。

「あれー、おまえらなんか斜めになってんぞ。」

「倒れてるのはマーセルさんのほうです!どれだけ飲んだんですか!」

「そんなに飲んでないぞ~。俺は全然酔ってないしな~。」

「あぁ、もう、仕方ないなぁ。」

 そのまま起き上がれない、というか起き上がろうとしないマーセルを「んしょっんしょっ」と苦労して椅子に戻す。男の体重なのでなかなか持ち上がらなかったが、ルミとルモ、そして女将さんにも手伝ってもらってなんとか椅子に戻す。

 ぐてんっと椅子に座ってしまったマーセルを見て、ベアトリーチェはふたたび溜息を尽くしかなかった。普段は厳しい人だけに、いろいろストレスがたまってるのかもしれないと思うことにした。

「マーセルさんはだめだ。ウッドさん!」

 ウッドのほうを振り向いたベアトリーチェだったが。

「すーぴー。」

「寝てる…。」

 いつの間にやらその巨体を椅子にかけたまま眠ってしまっていた。結構騒いだはずなのだが気づいた気配は無く、その寝顔は安らかで起こすのは忍びない。

「うう、僕だけで行くしかないか。ルミ、ルモはここにいてくれる。ちょっと僕、イレナさんたちを探してこないと行けないから。」

「酔っぱらいと一緒なんてやだー。」

「やだー。」

 そして双子にもガーガー叫んで、拒否される。

「わかったよ…。一緒にいこう…。」

「気を付けておいき。」

 女将さんに見送られベアトリーチェは肩を落として、双子の手を引いて宿を出た。


***


 よくならされた温泉街の土道をイレナとマーサの二人が歩く。

「ベルたち置いてきてよかったのかい?」

「ベルはいいけど、絶対ルミとルモが大人しくしてないもん。まず二人で探してあとで、ベルたちも誘いましょ。」

「まあ、仕方ないかねぇ。」

 お酒を飲みだした二人は置いておくとして、ベルたち三人を置いてきたことに少し罪悪感があった。まあ、ベルは優しいから、ルミとルモの面倒をちゃんと見てくれるだろうけど。あとで温泉に入れてあげてお礼をすればいいのだ。

 そう考えた二人は街の人たちに、温泉に入れるところがないか聞いてまわった。しかし…。

「どこもだめみたいだねぇ。」

 同じ場所からくみ上げているのか、ここらあたりの宿はすべて全滅だった。

「う~ん、もう大方の宿場では聞いちまったねぇ。」

「宿じゃなくてもどこかでないかなぁ。」

 立ち止まって二人は話し合う。

「よお、お嬢ちゃんたち暇そうじゃねぇか。」

 そんな二人にいきなり声がかかる。顔を向けると明らかに柄の悪い三人組の男たちがいた。その下卑た表情を見て、イレナとマーサは顔をしかめる。

 一方男たちは振り向いた顔に、口元を吊り上げる。

「へぇ、二人とも結構いい器量してるじゃねぇか。」

「まあ、そっちはちょっとでかくて野暮ったいけどな。」

「誰がでかいですって!」

 マーサは男たちの言い草にかちんと来て、反射的に言い返そうとする。しかしその手をイレナが掴み止める。

「行こう。構ったって仕方ないよ。」

 イレナはマーサの手を引き宿のほうへ向きを変えるが、男たちの方もついてくる。

「なあ、あんたらも温泉に入れなくて暇なんだろ。俺たちと付き合ってくれよ。いい退屈しのぎになるぜ。」

「ちょっと俺らと遊ぶだけだって。」

 無視して歩いてもしつこくついてくる男たち。イレナはまだ冷静だったが、マーサの苛立ちがどんどんたまって行く。

「なあ、無視するなよ。」

「触らないでよ!」

 バシッ

 馴れ馴れしく肩を触ってきた男の手に、我慢の限界に達したマーサはその手を振り払おうとした。しかし勢いをつけたその手は、男の手を飛びこし鼻に当たる。

「あっ…。」

「い、いってぇ…。」

 男たちの形相が険悪なものになり、マーサの顔色が変わる。

「人が下手に出てれば調子にのりやがって!このアマが!」

 イレナが間に入る前に、殴られ頭に血を上らせた男がマーサに対して拳を振り上げる。

「きゃあっ」

「マーサ!」

 次にくる痛みを予想し、マーサは目をつむり体を硬直させる。

 ガシッ

 しかし、固い音は聞こえても、痛みはいつまでもこなかった。おそるおそる目を開くと…。

「ぐっ、なんだてめぇ!」

「べ、ベル…?」

 木の棒で男の拳を受け止めたベルがいた。その表情は厳しく、男たちを睨みつけている。

「よってたかって女の子に何をしているんですか…。」

「なんだこのガキ。」

「あいつらの知り合いみたいだぞ。構わねぇ、やっちまおうぜ。」

「でしゃばったことを後悔させてやる。」

 血気盛んな男たちはあっという間にベルに標的をかえる。

「ベル!危ない!」

 三人が一斉にベルに対して飛びかかる。マーサの頭に小柄なベルが大きな男たちに痛めつけられる想像が浮かんできて、顔が真っ青になる。

 しかし…。

「これにこりたら女性に対して暴力は振るわないことです。」

 数秒後には地面に倒れ付し気絶した三人の男と、ケロリとした顔で立っているベルの姿があった。男たちも大した傷をおった様子はなく、最小限の攻撃で無力化されている。

「ベル、凄い!強い~!」

「かっこいい~!」

 いつの間にか一緒にいたルミとルモがその姿に歓声をあげる。

「それから僕はガキじゃありませんから。きちんとした、立派な、普通の大人です!」

 ベルをガキ呼ばわりした男に、ちょっと生傷が多いのはご愛嬌だ。

「ベル…?」

 地面に座り込み茫然と呟くマーサに、ベルは笑顔を向け手を差し伸べた。その笑顔がやけに綺麗に見える。

「大丈夫だった?マーサ」

「う、うん…。」

 差し出された手を取り、マーサは立ち上がる。

「助かったよ、ありがとう。」

「いえいえ。」

 イレナにお礼を言われても、何でもない表情でベルは柔らかく微笑む。

「それじゃあ宿にもどろっか。ちょっと騒ぎになっちゃったし。」

「うん…。」

 優しく柔らかい手のひらが助け起こしてくれたときのままマーサを導く。

 そのままベルに手を引かれ、マーサは宿屋へと戻った。


***


 その夜。

「ベルって…かっこいいよね…。」

 晩御飯の席、といっても男たちは昼の酒がたたって部屋で寝ていて、ベアトリーチェはルミとルモにせっつかれて部屋にもどって遊んでいる。マーサとイレナだけが残った席で、マーサは頬を少し赤く染めて呟いた。

「あんた…。」

 その表情にイレナは呆気にとられ口をあんぐりあける。

「ちょっと女顔だし背は低いけど、すごくきれいな顔立ちしているし、態度だって紳士的で優しいし、とっても気が付くし。それで結構頼りになるあるし、なんか…王子様みたい…。」

「初恋ってやつかねぇ…。」

 元気娘のいつにない女の子らしい表情に、イレナは苦笑した。

「ちょ、ちょっとやめてよ!ただ、ちょっとかっこいいなって思ってるだけなんだから…。」

 その慌てた態度は、初恋に戸惑う乙女そのものだ。

「若いってのはいいねぇ…。」

 イレナは年寄じみた台詞をはく。それから思いついたように。

「でも、苦労しそうだね。あの子、鈍そうじゃないか。」

「うっ、確かに鈍感そう…。」

 イレナの言葉に、マーサもあっさり同意した。

「うう~、別にいいもん。ただかっこいいと思ってるだけなんだから。」

 マーサは机に突っ伏し、頬を紅く染めながらそんな言葉をつぶやいた。


***


「くしゅんっ。」

「どうしたの、ベル。風邪ひいたの?」

 ルミが顔を覗き込んでくる。ベアトリーチェは首をかしげて鼻をさすった。

「そんなことないと思うけど。」

「それじゃあ、誰かが噂してるんだ~。」

「それは絶対ないよ~。」

 ルモの言葉にベアトリーチェは笑って首を振った。


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