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55.『知らないこと 4』

 商会館に行き金貨を銀貨と銅貨に替えてもらったベアトリーチェたちは、ウッドの待つ馬車に戻ってきた。

「ウッド~、遅くなってごめんー。お土産に鳥の香草焼きかってきたよ~。」

 マーサが馬車に顔を入れ、昼寝をしていたウッドを起こす。

「気にしないでいい。ありがとう。」

 ウッドはそれを受け取り、礼を言う。あまり表情は変わらなかったが、その顔が少し微笑んだのがなんとなくわかった。

「それじゃあお前ら散々遊んだことだし、そろそろ演奏の準備をはじめるぞ。」

 買ってきた荷物を置いて一息ついたころに、マーセルがそう呼びかける。

「は~い。」

 みんなそれに返事をして準備をはじめる。

「ねぇねぇ、ベルは何の曲ふきたい?私は春の歌が聞きたいな~。ベルの演奏が入ったら凄くきれいだと思うの。」

「へ?」

 準備をする団員たちを何か手伝えることがないか見ていたベアトリーチェは、ルミにそう話しかけられて間抜けな返事をしてしまった。

「おい、ちょっと待て!ベルはまだ演奏させないぞ!」

「えー、まだそんなこといってるの?」

 ルミの言葉を聞いたらしいマーセルは腕を組み厳しい顔をして宣言する。それに対してマーサが呆れた返事をする。

「当り前だ。こいつはまだ素人だ。」

「はい。僕もそう思います。」

 ベアトリーチェはあっさり頷いた。自分はあくまで音楽は趣味でやってきた人間。好意から一緒に行動させてもらってるけど、彼らの演奏に混ぜて貰えるほどのモノじゃない。彼らはマーセルの言うとおりプロの楽団なのだ。

「えー、けちぃ…。ベルももっと自信持てばいいのに…。」

 ルミが拗ねた表情で、唇を尖らして呟く。

「ごめんね。」

 その表情が可愛くて、ベルは苦笑いしながらその頭を撫でてやる。

「ベル、お前は見学だ。」

「へ?」

 それでこの話は終わったと思ったベルに、マーセルからまだ声がかかる。

「まずは俺たちの演奏を見学してろ。」

 見学…、演奏を聴いていていいってことだろうか。

「いいな。」

「はい、わかりました。」

 彼らの演奏がまた聞けるのは嬉しい。戸惑いながらも頷く。 

「お前、本当にわかってるのか…?」

 気の抜けた返事をするベルにマーセルが訝しげな顔をして聞く。

「演奏を聴いていていいってことですよね?」

「演奏を聞けってことだ。」

 うん、間違ってない。ベアトリーチェはマーセルの返事を聞いてそう思った。

「…?ありがとうございます。」

 旅に同行させてもらえるだけじゃなく、彼らの演奏をまた聞かせて貰えるなんて本当にありがたいことだ。笑顔でお礼を言ったら、何故かマーセルが微妙な顔をしたが、ベアトリーチェは素直に自分の幸運を喜んだ。


***


 今回はステージではなく路地で演奏するらしい。ピアノはきちんとしたものでなく、簡易的なものを使っている。それでもウッドの演奏は以前のものと遜色なかった。

 マーサの声が元気に街に響き渡り、通行人たちが立ち止って人だかりができる。ベアトリーチェも観客たちと同じように彼らの演奏を楽しんでいたが、途中から人が集まりすぎて小柄な体が人ごみに押しつぶされるようになってきた。ちょっと苦しい。

「おい、大丈夫か。」

 気が付くと演奏をやめたマーセルが目の前までやってきて、ベアトリーチェに手を差し出した。そして人ごみからその小さな体を引き抜く。

「わわっ。」

 観客たちは興味深そうにその光景を眺めていたが、マーセルはそれを無視してベアトリーチェを演奏していたところに引っ張り空いてる場所に座らせた。

「なるべく観客と同じ視点で見てほしかったが、きついならちゃんと言え。今日はそこで聞いてろ。」

「ありがとうございます。」

 さすがにきつくて演奏を聴くどころではなかった。演奏を中断させたのが申し訳なくて、マーサたちにも観客たちにもぺこりと頭を下げる。マーサたちは笑顔で手を振ってくる。

「ぼっちゃんだけずるいわ~。私も特等席に座りたい~。」

 観客の女性の一人が冷やかすように言った。

「こいつは見習いだから特別だ。」

「あら、そうなの。」

 マーセルはそれにぶっきらぼうに言葉を返す。

「見習い?」

「おまえ、本気でわかってなかったのか…。」

 首をかしげたベアトリーチェに、マーセルが半眼になってそう言うと。

「当たり前じゃん。マーセルってぜんぜん言葉足りないもん。」

「肝心なこと言わないし。」

「デリカシーもたりないし。」

 マーサ、ルミ、イレナがそんなマーセルに言葉を返す。

「て、てめぇら…。特に最後のは関係ねぇだろ…。」

 マーセルは目を吊り上げながらも、観客の前ということでなんとか言い返すのを抑え、ベアトリーチェに向き直った。

「とりあえずちゃんと演奏を見ておけ。これも勉強だ。」

「は、はい。勉強…。」

 結局、マーセルの言葉が足りず、ベアトリーチェは意図を理解できていなかったものの、再び演奏をはじめたマーセルたちを楽しみながらも見ていた。


***


「これからお前には音楽を勉強してもらう。」

 演奏が終わり片づけを手伝い馬車に戻った、ベアトリーチェにマーセルが言った。

「勉強ですか…?」

「そうだ。お前も俺たちの一員になるわけだ。確かにお前は演奏については優れているものを持っている。だが、まだ音楽をぜんぜん知らない。演奏をやっていくうえで足りないものがたくさんある。だからこれから特訓だ。それをこなさないと俺たちと一緒にやってもらうことはできない。」

 また首を傾げるベアトリーチェに、マーセルは腕を組んで厳しい表情をつくりいった。

「確かに魔笛は才能に依存する部分も大きい。楽譜が読めなくても弾ける人間だっている。だからといって、音楽的な知識が必要ないわけじゃない。きちんと勉強してこそ身に付くものもある。」

 目を開いてこちらを見つめるベアトリーチェに、マーセルは言葉をつづけた。

「これから毎晩、これから俺が音楽について教える。覚えてらうことがたくさんあるから、自分で勉強もしてもらう。あとはお前の努力次第だ。いいな?」

「勉強…。」

「そうだ。お前に必要なのものだ。」

 厳しい顔で言い切ったマーセルに返ってきたのは意外な反応だった。

「勉強させてもらえるんですか!教えていただけるんですか!」

 ベアトリーチェの顔がパァっと輝く笑顔でそう言ってくる。いつになく興奮して身を乗り出し、思わずマーセルの服を両手で掴んでしまってるほどだ。

 音楽を勉強したいと思っても許されなかったベアトリーチェにとって、毎晩音楽の勉強ができるなんて信じられない幸運だった。

「あ、ああ…。」

 普通、勉強となったら嫌がるものだ。特に演奏がある程度できるものは、それを軽視してしまいがちだ。だから、ベアトリーチェの反応は予想外だった。

「ありがとうございます!さ、さっそく教えてください。」

 そわそわして今にも駆け出してしまいそうなベアトリーチェを、マーセルが慌てて静止する。

「ちょっと待った。まずは晩飯を食ってからだ。あと、言っておくが俺の指導は厳しいぞ。」

「はい、よろしくお願いします!」

 脅すようにさらに厳しい表情で言ったマーセルだったが、ベアトリーチェは満面の笑顔でそう返す。よく勉強を嫌がり逃げて困らせたルミとルモとの違いに、マーセルは頬から汗を垂らした。

「晩御飯の準備手伝ってこなきゃ。」

「まあ、熱心なのはいいことだよな…。」

 晩御飯の準備を手伝いに駆け出してしまったベアトリーチェの後ろ姿を見て、マーセルはそう呟いた。


***


「いいか。この記号はだな。」

「はい!」

 馬車の中、マーセルとベアトリーチェが向き合って、擦り切れた本を見て勉強している。

「へぇ、ベルは勉強熱心だねぇ。」

「逆に熱心すぎてマーセルが戸惑ってるみたいだけどな。」

「ルモたちは、良くサボろうとしてたもんね。」

 その様子を見学しながらマーサたちが雑談する。

「もう、2刻ほどやってるよ。」

「あんたたちなら、確実に脱走しているころだねぇ。」

「熱心なのはいいこと。」

 そんなやり取りをしていると、ぶっ通しの授業にさすがにマーセルが根をあげる。

「今日はこれで終わりだ。」

「あ、はい…。」

 これだけ勉強してまだ残念そうな顔をするベアトリーチェの頭にマーセルの手がのせられる。

「明日もまたやるから、そう張り切りすぎんな。あと、宿題もあるぞ。」

「宿題ですか?」

「これを一週間以内に全部覚えろ。」

 マーセルはにやりと笑いちょっと集めの本を、ベアトリーチェの前にどんと置いた。表紙には音楽用語集と書かれている。

「えー、マーセル厳しい~。」

 勉強が終わったと聞いて、ベアトリーチェに駆け寄ろうとしていたルミが悲鳴をあげる。

「ふん、これくらい必要なんだよ。特にベルはこういう知識が全然ないんだからな。」

「はい、わかりました。」

 ベアトリーチェの方は笑顔で返事をすると、その本を大事そうに胸に抱えた。

 そして…。

「おい…。」

「どうかしました?」

 眠そうな目をして声をかけてきたマーセルに、ベアトリーチェは不思議そうに聞き返した。借りたランプの明かりが揺れ、ベアトリーチェが今まで見ていた本の影が揺れる。夜にマーセルから渡された本だ。

「おまえ今何時だと思っているんだ。」

 馬車の窓をみるとまだ外は星空がまたたく夜だった。

「まだ夜…。ですね?」

「まだ夜じゃねぇよ!もう深夜だよ!いつまで勉強してんだ!」

「えっ、ちょっとでも覚えておこうと思って。」

 そういってベアトリーチェは本から手を離さない。

「もう寝ろ。いい加減に寝ろ。まだ一日目だぞ。」

「も、もう少しだけ。もうちょっとだけ。」

「さっきからずっとそう言ってるだろ!もうだめだ!」

 それでも粘ろうとするベアトリーチェに、マーセルは強制的にランプの灯を消した。

「あー…。」

 恨みがましい声をベアトリーチェが上げる。

「勉強はこれから一日3時間だ。それ以上は許さん。」

「はい…。」

 そう言ってどしどし寝床にもどっていったマーセルに、ベアトリーチェはしょんぼりして答えた。


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