52.『知らないこと 1』
「もう、びっくりしたよ~。ベルったら、カーナンタの森に平気で入ろうとしてるんだもん。」
「ごめんなさい…。」
たびたび見せられるマーサの呆れた表情に、ベアトリーチェは申し訳なさそうに謝った。
「とにかく無事で良かったな。」
「はい、すいません…。」
腕を組みながらマーセルも言う。
ベアトリーチェは森に入ろうとしたところを、追いついたマーセルたちに呼び止められた。入ろうとした森が野犬のいる森だったらしく、わざわざ自分を助けにきてくれたらしい。申し訳なく感じた。特にマーセルという青年には、あまり良い印象を持たれていなかったような気がしていたので、彼が慌てた様子で自分を呼び止めたことに驚いた。
そうして彼らの馬車に乗せてもらうことになった。
「次の街までお世話になります。」
ぺこりと頭を下げたベアトリーチェは、イレナに呆れた顔をされてしまった。何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。ベアトリーチェは小首をかしげる。
「それは全然問題ないんだけどね。ベルは何処に行きたいんだい。」
「へ?」
「次の街って言っても、北に行くならベルド、南の方にいくならアルガ、このまま西にいくならヨルダに向かわなきゃいけないんだよ。あんた全然、行先をいわないんだもん。」
「あっ…。」
ベアトリーチェは言葉に詰まってしまった。どこに行くかなんて決めていない。だから馬車に乗せられてそのままで、そういうことを思いつかなかったのだ。
「もしかして行く場所を決めてなかったとか!?」
行先を決めてない旅人なんて珍しく、ルミが驚いた声を上げる。
「はい…。とりあえずエルサティーナ以外の場所に…。」
ベアトリーチェは素直に白状した。その表情に一瞬暗い影が差したのを、マーサは気付いた。マーサがイレナに視線を送ると、イレナも気づいたようで静かに首を振って返した。
「それじゃあ、俺たちとアルセーナに行こうぜ!」
ルモが明るい表情で言う。
「アルセーナ?」
「おう、そこで音楽のコンクールがあるんだ。田舎のほうだけど、結構大きなコンクールなんだ。俺たち、そこに出るんだぜ。」
「行先決めてないなら、ベルも一緒に行かない?」
アルセーナは大陸の南方にある国だ。特に目立った産業はないが、温暖な気候であり観光などで人気がある場所でもある。そこなら、エルサティーナからもフィラルドからも離れているので問題はない。でも…。
「それはちょっと…。迷惑になってしまうから。」
エルサティーナからもフィラルドからも離れているということは長旅になる。それに自分がついていったら楽団の人に迷惑をかけてしまう。
「迷惑じゃねーよ。」
聞こえた声に驚き顔を上げると、マーセルがこちらから顔を背けながら言った。
「というか、お前みたいな旅慣れて無い奴をここで放り出したほうが、あとあと心配になって迷惑になりそうだ。」
「あ、それは言えてる!」
「確かにそうかも。」
マーセルのぶっきらぼうな言葉に、ルミたち女性陣が意を得たように同意した。
「うっ…、僕そこまで心配そうに見えますか?」
「心配でしょう。旅慣れてないお坊ちゃんって感じだもん。」
散々な言われようにベアトリーチェは言葉に詰まってしまう。でも、確かに危険な森に入りかけたのは事実なのだ。マーセルたちの言うことは的を射ている。
「あたしたちはこんな所帯だから、一人増えたところで問題ないさ。遠慮なんてしなくていいんだよ。」
目的のない旅。だから、一緒に行動してくれるという人たちがいるのなら、一緒に連れてってもらうのも悪くないのかもしれない。
「それじゃあ、お世話になります。」
ベアトリーチェの言葉に、馬車のみんなは微笑んだ。
「それじゃあ、アルガに向かってくれ。」
「おう…。」
馬車の御者を務めていたウッドが短く返事をする。そういえば馬車はゆっくり進んでいた気がする。自分が行先を言わなかったので、あまり進まないようにしてくれていたのかもしれない。
申し訳なく思いながら、彼らの心遣いに感謝した。
王妃だった頃いろいろなことを勉強したつもりでも、旅に出てからは失敗し通しだ。自分はまだ何もしらないのかもしれない。
「あっ。」
ベアトリーチェはふと重大なことに気付いた。
「どうしたの、ベル?」
急に叫び声をあげたベアトリーチェに、ルミが不思議そうに聞く。
「そういえば食事代を払っていませんでした。」
食堂で食事をした後、マーセルたちに手を貸して、そのまま満足して立ち去ってしまった。食事した料理の代金を払ってないことに、いまさら気付いたのだ。
これでは食い逃げではないか。ベアトリーチェの頬に汗が伝う。
「ああ、それならあたしたちが払っておいたから大丈夫さ。」
「あうっ、ご、ごめんなさい…。お返しします…。」
ベアトリーチェは慌てて荷物袋をごそごそ漁る。
「いいのいいの。それにオーナーに今後の食事代をただにするように言ってやったから全然損してないよ。ベルも私たちの仲間になったわけだし、むしろ払ったのがミスだったかも!?ああー、失敗した!」
マーサが言い放つ。
そんなことまで決めさせてしまったのか。楽団たちのバイタリティに、ベアトリーチェの頬に違う汗が伝い、自業自得とはいえあまりのオーナーの処遇にベアトリーチェは少し同情してしまった。