51.『旅の仲間 5』
わあああああ
食堂とは思えないほどの歓声が響く。
(うまくできたのかな…。)
その様子を見たベアトリーチェは演奏を終え、ほっと胸をなで下ろした。この様子なら報酬も値切られることもないのではないだろうか。
「すごい、すごいよベル!」
「わっ。」
ルミが突然飛びついてきた。ベアトリーチェは驚いて声を上げる。ルミは興奮したように顔を紅潮させ、自分の体にしがみついてくる。
「うん。凄いね。」
音楽って凄い…。こんなに多くの人を感動させられるのだから。
マーサやイレナがベルのもとへ駆け寄ろうとしたとき。
「あー、あいつ逃げようとしてるぞ!」
こそこそと立ち去ろうとしている食堂のオーナーを、ルモが見つけた。
「なんですって!」
「往生際のわるいやつだね!」
「むきー!」
楽団員たちはすぐさまステージを駆け降り、オーナの周りを囲む。青い顔をするオーナーにマーサたちが悪乗りして報酬のうわのせを要求する。それにお客さんたちも味方して食堂はちょっとした騒ぎになった。
(もう、大丈夫かな。)
その様子をみてベアトリーチェは微笑むと静かにステージを立ち去った。
***
食堂から出たベアトリーチェは、街の出口へと歩き始めた。太陽は西の空にあり、大分時間が経っている。次の街へと出発しなければならない。
「ちょっとまってよ、ベル!」
そんなベアトリーチェの後ろから声がかかった。振り向いてみると焦った顔のマーサがいた。その後ろにはルミとルモもいた。
「なんで黙って行っちゃう。」
マーサはベアトリーチェが立ち止まるのをみて安心した表情を見せると、すぐにすねた顔をする。
「もう大丈夫かなって思ったんだけど。」
「もう、お礼も言う前にいなくなっちゃってるんだもん。焦ったよ。」
「ご、ごめんね。」
なんだか申し訳なくなりベアトリーチェは謝る。
「ベルのおかげであのケチオーナーから、報酬きっちりとりたててやれたぜ!」
「それだけじゃないのよ。ボーナスも貰っちゃった。ベルのおかげよ!ありがとうね!」
ルミとルモが笑顔で言うのをみて、ベアトリーチェは本当に手伝って良かったと思った。
「それは良かった。こちらこそ楽しい時間をありがとう。それでは。」
そう言って満足して去っていこうとするベアトリーチェを、またマーサは慌てて引き留めた。
「どうかしました?」
マーサより身長が低いベアトリーチェは、自然と見上げる形になって首をかしげる。
「ね、ねぇ、ベルはいまどこの楽団にも入ってないんでしょう。私たちの楽団に入って見ない?」
「僕が楽団に?」
「うんうん、ベルなら絶対人気者になれると思うよ。」
彼らの力になれたのは嬉しかったが、自分の実力が本物の演奏家には全然及ばないと思っているベアトリーチェはその申し出に驚いた。
「おまえら勝手に勧誘するんじゃねぇ。」
期待するようにマーサとルミ、ルモがベアトリーチェの顔を見ていると、後ろから不機嫌な声がかかる。そこにいたのは腕を組んでしかめっ面をしたマーセルだった。
「む、もしかして反対するの?ベルの演奏ものすごかったじゃん。ベルが入ってくれれば、私たちの楽団ももっと良くなるよ。」
マーサも不機嫌な顔をしてマーセルに食って掛かるが、そんなマーサを無視してマーセルはベアトリーチェに話しかける。
「おい、おまえに聞きたいことがある。」
「はい、なんでしょうか。」
ベアトリーチェは首を傾げた。
「なんでセレナーデの23小節目のコン・モートを無視した。」
「コン・モート?」
「そうだ。あそこはルフェルが憧れる女性の活発さを表現するためコン・モートの表現記号が入れてある。だが、お前はそれを無視していた。」
「もう、お客さんは喜んでたんだからいいじゃん。」
マーセルの質問に、マーサが反論する。
ベアトリーチェは数瞬黙りこくったが、申し訳なさそうにおずおずと口を開いた。
「あの…ごめんなさい…コン・モートってなんですか…?」
「はあ?」
予想だにしない答えに、マーセルは間抜けな声を上げる。
「コン・モートは動きをつけてという記号だ。それくらい知ってるだろう。」
「ごめんなさい。音楽を習ったことはないから。」
ベアトリーチェは音楽が好きだが、正式に習うことはでき無かった。アーサーさまがフィラルドにいたころは演奏会に連れてってもらえたりしたが、いなくなってからは聞く機会も減った。それでも聞いた曲を魔笛で練習して吹けるようになっていった。
「習ったことがないだと?じゃあ、今回の曲はどうやって吹いたんだ。」
「何度か聞いたことあった曲があったから。それに今日もあなたたちの演奏を聞けたし。」
マーセルはそういうベアトリーチェの顔をしばし見つめたが、はぁと溜息をついた。
「とにかくだ。俺たちは演奏で食っていく人間だ。あんたの演奏はたしかに素晴らしかった。素人とは思えない素晴らしさだった。それでも真剣に音楽を志して無い奴を、俺たちの楽団にいれるわけにはいかない。」
「そうですね。」
マーセルの言葉に、ベアトリーチェは頷いた。彼らは真剣に音楽をやっている。だからあんなに素晴らしい演奏ができるのだ。
あっさりと自分の言葉に頷いたベアトリーチェに、マーセルが微妙な顔をする。しかめっ面をして頭をがしがし掻き毟ると。
「あー、もう。こんなこと言いたかったわけじゃないんだ。とにかくあんたのおかげで助かったよ。お礼を言いたい。ありがとう。」
「いえ、気にしないでください。僕も楽しかったです。」
「あと、これだ。」
そう言ってマーセルは何かの袋をベアトリーチェの手に置いた。ちゃりっと金属の鳴る音がする。お金が入っているのだろうか。
「あの…、これは?」
目をぱちくりさせたずねるベアトリーチェに、マーセルは言った。
「あんたの演奏の分の報酬だ。」
「そんな受け取れません。」
自分は魔笛を吹いただけで、報酬は彼らの演奏への対価なのだ。ベアトリーチェは慌てて首をふった。
「受け取ってくれ。俺たちはプロだ。協力してもらったからにはちゃんと報酬は払う。」
しかしマーセルにそう言われ、受け取ることにした。
「ありがとうございます。それでは僕は行かなきゃいけないので。」
どこに行くかは決めてないが、王都からはなるべく離れなければならない。
「ベル、いっちゃうの?」
ルミが悲しそうな顔でベアトリーチェの顔を見る。
「マーセルのケチ!」
ルモがすねたような顔で叫ぶ。そんな双子の頭を撫でで、ベアトリーチェは別れの挨拶をした。
「それじゃあ、みなさんがんばってください。」
「じゃあな。」
「じゃあね…。」
「ばいばい…。」
マーセル以外のメンバーは消沈したような顔をしていた。名残惜しいような申し訳ないような気もしながらも、ベアトリーチェは振り返り歩き出す。
道をしばらく進んでいると、ちゃりっとまた硬貨の入った袋がなった。あらためてベアトリーチェはその袋を見つめる。後宮から持ち出したお金に比べ、それはとても少ない。
でも、はじめて自分で稼いだお金かもしれない。
「楽しかったなぁ…。」
ステージに立ったときの緊張、みんなで音を合わせて音楽を奏でていく楽しさ、喜ぶお客さんの拍手と歓声。何もかもがはじめての経験だった。
もう自分は王族ではないので、いずれ仕事を見つけなければならない。音楽でお金を稼ぐ。それはとても素晴らしいことに思えた。
自分に出来ることではないと思うけれども。
ベアトリーチェは手にした袋のわずかな重みを感じながら、微笑んで歩き出した。
***
「あーあ、いっちゃったよぉ」
「マーセルのケチー。バカー。」
そんな風に言う団員たちに、マーセルは不機嫌に言い返した。
「うるせぇな。俺には団長としてメンバーを選ぶ義務があるんだ。」
「そんなこと言ってるから、いつまでたっても魔笛の奏者がみつからないんだよ。ああー、もう本当に凄い子だったのに。」
確かにそうだった。後悔がないかと言われれば、かなりあると言える。しかし一緒にやるなら、本気で音楽に取り組む人間が欲しかった。あの少年の場合、不真面目とはちょっと違うのかもしれないが…。
「まあしょうがないよ。縁があればまた会えるさ。私たちもそろそろ出発しないと。」
オーナーとの交渉でその場にはいなかったイレナが溜息をはきながらいう。
「……。」
ウッドも喋らないがどこか落ち込んだ様子だった。
マーセルの胸にもみんなと同じように残念な気持ちがわだかまっていた。
そんな6人のもとに、街の人があわてたようにかけてくる。
「おい、あんたら、あのぼっちゃんと一緒に行かないのか?」
「はあ?」
何故、関係のない町人にまでに言われるのか。聞き返したマーセルに、町人は血相を変えて言う。
「それがあのぼっちゃん、カーナンタの森のほうに歩いていったっていうんだよ。しかもひとりで。」
「カーナンタの森だと!?」
野犬がでるといわれる危険な森だ。普通の旅人は迂回して進路をとるか。馬車をつかって明るいうちにすぐに走り去る。
今から歩いて向かえば、必ず森の中で日が落ちる。
「なんでそんな場所に…。」
そう考えて、マーセルは少年の世間知らずそうな素行を思い出す。服もまだ汚れてはおらず旅慣れてない様子だった。
「マーセル~…。」
ルミとルモが不安そうな顔でこちらを見てきている。他の団員たちをみると、みんな同じ顔をしていた。
「仕方ねぇ。親方のところにいって馬車をとってこい。すぐに追いかけるぞ。」
「わーい!」
「やったあ!」
みんなから歓声があがる。その様子に溜息をつきながら、マーセルは意識を切り替え大声で言った。
「まだ仲間にいれるって決めたわけじゃないからな。さっさと準備しろ。見失ってもしらんぞ。」
マーセルの号令に5人は、すぐにベルを追いかける準備にとりかかった。