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45.『愚か 4』

 自分のものになったはずだった。誰にも渡さないように閉じ込めていたはずだった。

 だが、それはあっさり自分の手をすり抜けていった。

「ベア!いたら返事をしてくれ!」

 カルザスたちの去った砦を必死で探す。

 頼む、無事でいてくれ…。

 そう祈りながら。

「これは…。」

 目についたのは、花の飾りが掘られたペンダント。後宮でみかける度にベアがつけていたペンダント。

 手で握り締めると、千切れた鎖がかしゃりと軋んだ音を立てる。心臓が凍りつく心地がする。

「ベアトリーチェ!どこにいるんだ!」

 それを打ち消すように大声で叫んだ。

 騎士たちの報告で、あらかたの部屋を捜索し終わった。あとは王族のものしか開けられない扉だけ。

「ベア!」

 探し求めるものの名を呼びながら、扉を開いた。


***


 ベアトリーチェは生きていた…。

 なのに、アーサーの心は晴れることが無かった。あの時見たベアトリーチェの姿…。それから胸の底に淀んでいた感情が、一層濃さをまし消えてくれない。

 あの状況で助かっただけでも、奇跡だと分かっているのに心はおさまらない。

 この手でカルザスを八つ裂きにできたのなら、少しは気が晴れたのかもしれない。だが、カルザスは既に傭兵たちの手にかかり殺されていた。

 王弟の反乱、しかも三大公爵の一人が加担していた。この事件が引き起こした波紋は大きい。若き家長の暴走とはいえ、エラン家は取り潰しを免れないだろう。

 後釜を狙おうと、さもしい貴族たちは動き出している。

 やらなければいけないことは多い。アーサーはベアトリーチェに起きたことを忘れようとするように、政務に没頭した。

 だが、今日は後宮に行かなければならない。

 事件には第三妃の侍女が加担していたという。その侍女もすでに死んでいるが、第三妃についても調べなければならない。

 ベアトリーチェとは顔を合わせたくなかった。今あってもどのような態度を取ればいいかわからない。王都では噂が流れていた。ベアトリーチェがカルザスの愛人で計画に加担していたという。どこからか情報が漏れていたらしい。

 馬鹿げた噂だと思う。ベアトリーチェがそんなものに加担するわけがない。なのに頭には黒い疑念が浮かぶ。もしかしたら…。そう考えてしまう。

 それを振り切るように、アーサーは後宮の廊下で足を進めた。

 はやく済ませて王宮に戻ってしまおう。そう考えていた。

 あんなことがあったあとだ。ベアも出歩いていたりはしないだろう。

 だが、それは裏切られた。目に映る柔らかな蜂蜜色の髪、琥珀色の瞳、少しやせた白い頬。愛しい影。なのに、胸に浮かんでくるのはどす黒い感情だった。

 カルザスの嗤う姿が目に浮かんでくる。

 アーサーは慌てて顔を逸らした。今向き合えば、何を言ってしまうかわからない。そのまま速足で第三妃の部屋に向かう。

 時間ができてからだ…。それからベアとの関係を修復しよう…。

 心に浮かぶ情けない感情を、アーサーはそう言ってまたごまかした。


***


 激務もようやくひと段落した。

 しかし、議会ではベアトリーチェの廃妃の議題があがっていた。一度も渡りがないまま、カルザスに手をつけられたベアトリーチェは側妃たる資格がないというのだ。

 そんな話受け入れられるわけがなかった。やっと手もとに取り返すことができたというのに。

 アーサーは強硬に反対した。レティシアも協力をしてくれた。

 なんとか賛成派を跳ね除けることには成功したが、アーサーの心は疲弊しきっていた。

 部屋に戻るとレティシアがいた。

「おかえりなさいませ、陛下。」

 ここは王と王妃の両方の部屋から通じている夫婦の部屋だった。

「ゼン王国の大使が来て、今回の事件の説明を求めていました。」

「カイトから説明をさせてくれ。あいつなら必要最低限の情報だけ伝えられるはずだ。」

 ここ数日は日の終わりに、仕事の報告だけをして別れた。

 だが、今日のアーサーは違った。ベアトリーチェと会ってしまったことにより、強く意識させられた心の空虚。

 ふらりと体が引き寄せられる。

 レティシアの体からはベアトリーチェと良く似た匂いがする。同じ香水を使っているからだろうか。アーサーの手がレティシアへ伸びる。

「陛下?」

 レティシアという娘は、従順な少女だった。半ば無理やり王妃にしたてあげられてからも、こちらが望むように振る舞ってくれた。心を開いた様子は無くとも、与えられた役目を十分にこなしてくれた。逆らうことは決して無かった。

「いやぁ!」

 だからレティシアがそう拒絶したときアーサーは驚いた。

 レティシアは泣きそうな顔をしていた。大人びた様子でこの国の王妃として振る舞っていた少女。だが、いまの表情は年相応の幼さを見せていた。

 泣き崩れそうになりながら、目じりに涙をため、レティシアはアーサーを見る。

「なんで…。」

 つっかえながら、レティシアは言葉を絞り出す。それが事件に巻き込まれてなお、王妃としての職務をこなしていたこの少女の、溜めに溜めこんでいた本心だと分かった。

「なんでビーチェさまを守ってくださらなかったんですか!なんでビーチェさまを愛してくださらなかったんですか!なんで、なんでっ…。」

 その言葉はアーサーの胸をえぐる。自らの情けなさを胸に突きつける。だが、続く言葉にアーサーはそれが吹き飛ぶほどの衝撃を受けた。

「あんなにビーチェさまはあなたを愛していたのに!あんな後宮に置かれてからも、ずっとずっと愛していたのに!」

 頭を打ち付けられたような気がした。レティシアの口からでた言葉が信じられなくて。

「ベアが私を愛していた…?」

 耳に入った言葉を茫然と呟く。

「そうです!後宮に置かれて、あんな冷遇を受けてなお、あなたのことをずっと愛していました!この三年もの間ずっと!」

「嘘だ…。そんなはずは…。」

 ベアは自分を恨んでるはずなのだ。あの約束を守れなかった自分を。第八妃という低い位に、無理やり彼女を押し込めた自分を。

「なら、あれを見てみればいいじゃないですか!あの中に何が入ってるか!そうすればわかりますよ!ビーチェさまがどれだけあなたのことを思っていたのか。」

 そう言ってレティシアが指し示したのは、砦から持ち帰ったベアトリーチェのペンダントだった。部屋の前で拒絶されてから、ずっとベアトリーチェがつけていたもの。

 アーサーはふらつく足で、そちらへ歩みを進める。

 ペンダントは中が開く構造をしていた。

 震える手でそれを開けたアーサーは息を止めた。

 中に入ってたのは自分の写真。どこで手に入れたのかはわからない。新聞の写真の切り抜きなのかもしれない。花の飾りのペンダントの中、笑う自分の姿があった。

 2年間、ベアトリーチェはずっとこれをつけていたのだ。

「ベア!」

 アーサーは大きく叫び駆け出した。

 無我夢中で走り後宮のあの部屋へと向かう。まわりは驚いた顔をしていたが、気にする余裕はなかった。ただ、ベアトリーチェに会いたかった。

 ベアトリーチェの部屋の前にたどり着き、勢いのまま扉を開ける。

 ちゃんとベアトリーチェと話さなければいけない。今度こそ向き合って。

 だが、部屋にはだれもいなかった。

 側妃の私室とは思えないさびれた部屋、ろくな家具も置かれていない、うす暗い部屋がそこにはあった。

 そこには部屋の主のベアトリーチェはおろか、侍女の姿すらない。

「なんだ…。これは…。」

 呟くアーサーに、国王を追いかけてきた女官長のルーネが話しかけてきた。

「どうされたのですか、陛下。こんなにも急に後宮に訪れになられるとは。」

「なんだこの部屋は!ベアトリーチェはどこにいる!」

 自分の質問には答える様子なく尋ね返すアーサーに、ルーネは訝しげな表情を隠しながら答える。アーサーがここまで動揺した姿などルーネは見たことなかった。

「そこはベアトリーチェさまの部屋ですが。ベアトリーチェさまについては最近見かけた記憶はありません。」

「見かけた記憶はないだと?ベアの侍女はどうした?何か連絡があるはずだろう。」

 アーサーの言葉を聞き、ルーネは今度ははっきりと不審げな顔をした。

「ベアトリーチェさまの侍女はおりませぬ。」

「侍女がいない?どういうことだ?」

 アーサーはルーネの口から語られる、ベアトリーチェの情報にさらに混乱させられた。

「あなたさまのご意志ではないのですか?側妃へ国からの援助はすべて王命によって行われると。後宮が作られたとき法でそう決められていたはずです。」

「……。」

 言われてみれば、確かにそういう法があった。側妃たちの身勝手な散財が問題になったとき作られた法だ。しかしアーサーは、ベアトリーチェを王妃にするつもりだった。だから特に後宮に関心を払ったことは無かった。側妃たちの望みは侍女から王宮に聞き入れ、問題がなければ王命として実行されるようにしていた。

 そしてそのまま、その法について忘れ去っていた。

 思い出す。ベアトリーチェを第八妃にしたとき、それを必死に押し通しただけで、それ以外の法改正や命令については何もしていなかったことを。

「では、ベアトリーチェはどうやって暮らしていたのだ…。侍女も居ないのにこの後宮で…。」

「ご自分で洗濯や掃除などはされていたようです。衣装については、なんとかお金をやりくりされていたようです。売り買いには私も協力いたしましたが。」

 ぐらりと意識がかすむ。

 何故、言ってくれなかった。

 そう言いかけて思い出す。最初の頃この女官長、何度かベアトリーチェさまの元を訪れないのか聞いてきたことを。そのたびに会う勇気のなかった自分は跳ね除けてきた。

 後宮はいろんな感情が渦巻く危険な場所だ。昔に比べると平和になったとはいえ、いつ災禍の渦がおこるかわからない。

 ルーネという女性はそれをなるべく無関心でいることで乗り越えてきた女性だ。

 あの提言が、この女官長の精一杯の抗議だったのだろう。

「ではベアトリーチェは、ずっと一人で後宮で暮らしていたのか。何の援助も無く。」

「はい。その通りです。」

 震えるアーサーの言葉に帰ってきたのは、短く残酷な答えだった。


***


 あれから、アーサーはベアトリーチェの置かれていた過酷な状況をようやく知った。

 フィラルドからもエルサティーナからも支援は無く、まわりには侍女すらもいなかった。たまにアーサーが送った贈り物は、たちの悪い文官により着服されていた。冷遇を受けている側妃へのものなら着服しても気づかれないと思ったらしい。アーサーの贈りものは誕生日以降、全てベアトリーチェのもとに届いてなかった。文官には重い処分を科した。だが、それでベアトリーチェが帰ってくるわけでもない。

 ベアトリーチェはいなくなっていた。それがいつなのかすらもわからずに。アーサーが気付いたときには後宮から姿を消していた。

 あらためて自分がベアトリーチェを置いた境遇について思い知らされる。消えてすら今のいままで誰にも気づかれなかった孤独な側妃。部屋の中の家具も、残されたドレスもみな大国の側妃の持つものとは思えなかった。

 こんなはずでは無かった。エルサティーナの側妃になった時点で、少なくとも物質的には満たされた生活を送れているのだと思い込んでいた。

 アーサーの座るベッドのシーツは擦り切れていた。

 いったい自分は何をやっていたのだろう。

 父である国王からも愛されず、周りを敵で囲まれ、ひたすらに冷遇されてきた少女を救いたいとおもった。自分の傍で十分な幸せを与えてあげたいと思ったはずなのに。

 なのに自分が実際に彼女にしたことは…。

 彼女から名誉を奪い、親友を奪い、冷たい後宮に押し込み、周りの悪意の視線にさらしたままにした。そのうえで、王族としての生活すら奪い去った。

 彼女の親族たちがしてきた所業と同じ、いやそれすら生ぬるいと思える酷いことをした。

 彼女を助けられなかったとき側近たちを恨んだ。だが、それも今なら自分のせいだったとわかる。側近たちは自分の意思を汲んで行動してくれる。自分の態度がこの国における彼女の価値を失わせ、周りの人間に彼女を見捨てさせた。

 全て自分の罪だった。だが、罰を負ったのは自分ではない。何の罪もないベアトリーチェなのだ…。

 彼女は自分を愛してくれていたという。

 顔を上げると、机の上におかれた写真が目に入る。映っているのは自分とレティシアが並んで立つ姿。国の記念式典のときに配られたものだ。

 彼女にとっては辛い写真のはずなのに、それは部屋の中で綺麗に磨かれたまま置かれていた。

 彼女はどんな思いでこの写真を見ていたのか。

 部屋のそこかしこを見るたびに、彼女の苦境と想いを知らされる。誕生日に贈ったあのりぼんも、何か手がかりがないかと漁った棚で見つけた。

 血で汚れてしまった純白のりぼんは何度も洗った後と共に、汚されてすら宝物のように大切にしまわれていた。

 三年間、自分はどれだけ彼女に辛い思いをさせたのか。自分を愛してくれてたというなら、どれほど心が引き裂かれる思いをしたのか。

 抱締めれば良かったのだ。

 今さら簡単な答えに気が付く。そうすればすべてが解決していた。

 いや、たとえ恨まれていても、そうすれば良かった。それから謝って、何度でも彼女が許してくれるまで想いを伝えれば良かった。

 彼女が一番傷ついたときこそ、そうすべきだった。カルザスへの恨みになど囚われず、傍にいるべきだった。本当に辛い思いをしているのは誰か、少しでも考えればすぐにわかったはずなのに。

 だが、そのどれも自分はやらなかった。目を逸らし続けた。挙句の果てに最後は、傷ついた彼女を無視して通り過ぎた。

 出ていかれても仕方がない。そう言うことすらおこがましい。

 何度も出て行かれて当然の仕打ちをしてもなお、彼女はこの場所に留まり続けてくれていたのだから。

 そして自分とこの国のため行動し、彼女は傷つき果て、ついにこの場所から去っていった。

 アーサーは頭を抱えた。

 自分がしでかしたことを、ようやく今になって気が付いた。今更、遅すぎる時になって。彼女がいなくなって、手を伸ばしても届く位置にいなくなってようやく…。

 彼女はおそらく、もうここへは戻ってこないだろう。

 それでも。

「頼む…。帰ってきてくれ…。」

 その願いを消すことはできなかった。

「すまない…。私が間違っていた…。愚かだった…。」

 取り返しようのない間違いを犯してきたのに。

「愛しているのだ、お前を。もう二度と傷つけたりしない…。だから頼む…。」

 請う資格すらない願いは、絞り出るように口から出てくる。

「帰ってきてくれ…ベア…。」

 愚かな男の言葉は、誰もいない部屋の中で響き、飛び去った少女へとは届かない。


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