42.『愚か 1』
間違ったのかもしれない…。
カイトはそう思った。
カルザスの反逆から一ヶ月の時が時が経った。計画に失敗したカルザスたちは砦を逃げ出し、レィツオンに逃げ込もうとした。しかし、レィツオンはこれを拒否した。エルサティーナ国軍がカルザスたちを追い詰めたときには、計画の失敗に逆上し国軍に命乞いしようとした傭兵たちの手でカルザスたちは殺されていた。
それで事件に加担した傭兵たちが許されるわけもなく、処刑を含む重い罰が与えられた。カルザスを唆したとみられるレィツオンにも制裁を行った。
事件後の膨大な事後処理も落ち着きを見せ始め、エルサティーナは元の姿を取り戻し始めていた。一部を除いて。
後宮からベアトリーチェの姿は消えていた。いついなくなったのかはわからない。いつの間にか、後宮から姿を消していた。
ベアトリーチェの廃妃の話は、アーサーさまとレティシアさまの強い反対で避けられた。しかし全ての処理が終わったとき、第八妃はもういなかった。
捜索命令は出された。いつ出て行ったのかもわからない、ほとんどのものが顔もしらない側妃は見つかることはなかった。
それからアーサーさまの様子も変わった。
政務や国事のときには、いつもと変わらない様子を見せる。しかし何も仕事がない時間があると、あの第八妃が去った部屋に入り浸っていた。
王の命令であの部屋は、誰も入ることを許されずそのままになっている。
何をしているのかと疑問に思ったが、目撃した侍女によるとただ部屋の中で何時間も佇んでいるらしい。
あれから他の側妃のもとへ訪れたことは一度も無い。
ずっとアーサーさまはレティシアさまと想いあってるのだと思い込んでいた。そしてベアトリーチェは価値のない側妃だと思っていた。あの噂を信じていたわけではない。しかし影響は受けてしまっていたのだろう。
今思えばあの少女が側妃となったときから、アーサーさまの様子はおかしかったのかもしれない。アーサーさまは王の責務として定期的に後宮に通っていた。それがレティシアさまが王妃になってからめっきり少なくなった。それはレティシアさまへの愛ゆえなのだと思っていた。そうかと思えば短期間に何度も後宮へ出向くときもあり、侍女たちの間で王と王妃の仲の不安が囁かれた。
側妃に対しても以前はバランス良く訪れていたが、彼女が来て以降は気まぐれといっていいほど偏るようになった。それどころか後宮に行き、どの側妃の部屋も訪れることなく帰ってくるときもあった。そして一度も、ベアトリーチェの部屋だけは訪れることは無かった。
それは全部、他の側妃のもとを訪れるふりをして、ベアトリーチェに会いにいっていたのかもしれない。
良政を敷くよき王で、賢いレティシアさまを妻として迎えてからはさらにエルサティーナは栄えた。しかしアーサーさま自身は、いまいち政務に身が入ってなかったのでは。それはごくわずかである上に、レティシアさまや周りがフォローしていたので誰も気づかなかったが。
あの時の選択は今でも正しいと思っている。あの状況に会ったらまた同じ選択をするだろう。それは変わらない。
側妃の命では、王と王妃の安全にはかえられない。
しかし、何かできることがあったのでは…。
時折、光を失った瞳を見せる国王を見ると、カイトはそう思わざるを得なかった。
***
「アーサーさま…。もし、私ががんばって努力し続けて、立派な淑女になれたなら、その時はあなたの妻として迎えに来てくれますか…?」
目の前の少女は、泣きじゃくりながらそう言った。
生まれながらにして不幸を背負った少女。この少女に幸せを与えてあげたい。
そう思った…。
***
ベアトリーチェが15歳になったとき、フィラルドへ彼女を正妃に迎えたいと打診した。
やっと約束を果たせると、アーサーは思った。久しぶりに見た彼女は、以前と変わらず優しい少女で、それでいて成長し可愛さの中にほのかな美しさを芽生えさせはじめていた。
久しぶりの再会、無邪気に自分を慕う態度はそのまま、淑女としての礼節を身に着け成長した彼女。これからは彼女と一緒にいられるのだと思っていた。
自分はずっとベアトリーチェのことが好きだったのかもしれない。それは彼女の約束より以前から。しかし、その思いに気付くことはなかった。彼女と約束した、その言葉が自分の想いをごまかし続けていた。本当は、自分が彼女を欲しくてたまらなかったのに。
その思いをきちんと自覚していたら、こんな大きな過ちを犯すことも無かったのだろうか。
状況が変わったのは、レティシアという少女がアラスト聖国の皇族の末裔と分かったときだった。
その血筋は大陸に存在する全ての国家の上に立ちえる血筋。どこかの野心ある国家が、彼女を担ぎ上げれば大陸は無用の戦乱に巻き込まれる。
アーサーは王だった。しかも大陸を代表しその秩序を安定させる大国エルサティーナの王。その肩には自国だけにとどまらない、多くの民の命を背負っている。
また王としては若く、その王権は絶対では無かった。良政をしいているからこそみな従ってくれているが、味方の貴族たちの後ろ盾なしには王権を保つことはできない。
アーサーにはレティシアを正妃として迎えるしか選択肢はなかった。
そしてそれはベアトリーチェを手放すという選択でもあった。
ベアトリーチェを手放す。そんなことは考えられなかった。アーサーはその根拠となる自らの想いも自覚しないまま、焦燥感に捕らわれた。そして悪あがきをする。
むりやりに第八妃という例外を作り、ベアトリーチェをその位置に収めた。それは身勝手なわがままだった。
それからの日々は忙しかった。レティシアという古き血筋を引く王妃を手に入れたことで、他国が抱く不安を解消しなければならない。エルサティーナという信頼ある国家が手に入れたことで、まわりが受けた衝撃はそれほど大きくはなかったが、それでも内外に波紋が広がった。それを治めるために、アーサーたちは奔走した。
幸いレティシアは優秀な少女だった。こちらが望むことを確実にこなしてくれる。王妃としての振る舞いは、見事というほどだった。
レティシアを王妃という位置に収め、アーサーも王としての役目を果たし、国家はその体制を整えた。
アーサー自身におけるベアトリーチェという問題を残して。