40.『呪い』
「ベア!ベアトリーチェ!どこにいる!」
声が…。声が聞こえる。アーサーさまの声。この世で一番愛おしい人の声。もう一度聞きたいと願ったあの声が。
(こないで…。こないでください…。アーサーさま…。)
それなのにベアトリーチェは願った。あの人がここに来ないことを…。
***
「暴れるなよ。」
押さえつけられ、首に針が刺さる痛みがはしる。続いて薬液が体の中に入って行く。
(なに…。)
喋ろうとしてベアトリーチェは、唇が動かないことに気付いた。それだけじゃない。腕も足も指すらも動かせない。
「安心しろ。命を奪うような薬じゃない。」
体はまったく動かないのに、意識だけはあってカルザスの声が耳に入ってくる。
「ただ、体が動かせなくなるだけだ。人形のようにな。」
そして体をひきずられ、どこかの部屋へと連れて行かれる。引きずられながら、見えたのは何かを拘束するような道具たち。
「ここはな。この砦を作った王が、もう別れたいと言い出した愛人を閉じ込めた場所だ。」
体の向きを変えられた。薬を打たれてから、はじめてカルザスと目が合う。破滅を前に、最後の愉悦を楽しもうとする、狂気の笑み。
両手を無理やり頭上にあげられる。鉄の輪が両腕に填められたのが冷たい感触でわかった。それは両足も同じだった。
ベアトリーチェはカルザスが何をしようとしているのかわからなかった。
「お前のことは計画のときよく調べた。今まで一度もアーサーの渡りが無いとな。」
カルザスの手がベアトリーチェの体に触れる。ベアトリーチェの体がびくりと震えた。その感触を感じて、カルザスはまた笑った。
「この部屋の扉も王族のものしか開けることはできない。」
カルザスはベアトリーチェの顔に、いっそ愛しげに唇を近づける。
「もし、お前が助かるのだとしたら。お前に助けがくるのだとしたら。その男はお前のどんな姿をみることになるだろうな。」
そしてまるで睦言のように優しげにつぶやいた。
(いやっ…。いやぁっ…。)
カルザスの考えを悟り、ベアトリーチェの体が大きく震える。抵抗したいのに、体も指もひとつも動かせない。
人形となったベアトリーチェに、破滅に身を沈めかけた男が、この上ない愉悦を浮かべ覆いかぶさっていく。
そして絶望の暗闇が、ベアトリーチェの目に映る全ての光を覆い尽くした。
***
「ベアトリーチェ!どこにいるんだ!」
声はだんだんと近づいてくる。会いたかった人、大好きな人、今この場所に一番来てほしくない人。
「ベア!」
バタンッ
扉が開かれる。
目に映ったのは金色の髪、翡翠の瞳。ベアトリーチェは見た。助けに来てくれたアーサーの姿を。
アーサーは扉を開けたところで立ちすくむ。
その瞳に映る、汚れた自分の姿。
「ビーチェさま!…っ!いやあ!」
後から入ってきたレティが、中に入り悲鳴をあげる。
「だめ!入ってこないで!」
振り返り、後ろの騎士たちに必死の声で命令する。
「ビーチェさま!ビーチェさま!」
レティシアは泣きそうな声で駆け寄り、騎士たちから受け取ったマントを体に被せてくれる。
それでもベアトリーチェは見つめ続けた。アーサーだけを。
今だ動かぬ体で、両の目から涙を流し。
「みないで…、みないでください…アーサーさま…。」
掠れた声にならない声で。呟き続けた。
それは小さな、小さな悲鳴だった。