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39.『命ある限り』

 カルザスは茫然と、部屋の中を見つめた。

 王宮へとつながる転送装置のあった間、そこはぼろぼろになっていた。地面に刻まれた魔法陣は、ところどころ傷つけられ形を失っている。

 古き時代より引き継がれた貴重な魔法装置は、その力を失っていた。

 一度は攫うことに成功したはずのレティシアの姿は当然のごとくない。

「ばかな…。私の計画が…。私の王になる運命が…。」

 その横を素早く、ひとつの影が走り抜けていった。蜂蜜色の髪、茶色の瞳の、一見普通の女。しかし、自分の計画を狂わせすべて台無しにした女。

 兵士たちも部屋の中を見ていたせいか、反応が遅れた。その隙に少女は、通路の向こうへ駆け出していた。

「ベアトリーチェ!奴を逃すな!必ず捕まえて私の元へ連れてこい!」

 カルザスは叫んだ。


***


 砦にひとり残されたベアトリーチェは、自分に何が出来るかを考えた。

 見つけたのは後宮へ飛んだ4人がいた場所に残された一振りの剣。きっとレイアが残してくれたものだろう。

 ベアトリーチェはそれで転送装置を破壊することにした。これをこのままにしておけば、後宮に兵士が侵入して、命を失う人がいるかもしれない。

 ベアトリーチェは魔法陣に剣を叩きつけた。何度も何度も繰り返し。魔法陣が刻まれた床は固く、剣は歯がこぼれ、手からは血が滲んだ。

 それでも今できることをしようと、ベアトリーチェは何度も剣を振るった。

 そしてカルザスが来るまでになんとか魔法装置を破壊し終えたベアトリーチェは部屋の、死角に隠れ茫然とする兵士たちの隙をついて逃げ出した。

 ベアトリーチェは逃げまわった。少しでも助けが来るまで時間を稼ごうと。兵士たちの間をすり抜け、隠れ、抵抗し。復讐心にかられたカルザスの生け捕りにしろという命令が、ベアトリーチェにとって幸いだった。

 力の限り、体力のある限り、逃げ続けた。

 しかしそれでも逃げ切れなかった。追い詰められたベアトリーチェは、遂に捕まりカルザスの元へ連行された。


***


 捕らえられ連れてきた先、目の前にはカルザスと顔を青くしたクレイドールがいた。

「このガキが!」

 ベアトリーチェを見て、クレイドールはすぐさま拳を振り上げベアトリーチェの頬を打つ。鈍い音が響き、鼻腔に血の匂いが漂う。それでもベアトリーチェは表情を崩さなかった。

 クレイドールはまたベアトリーチェを殴りつけようとしたが、それをカルザスは止めた。

「まあ、待て。」

 カルザスは表情を変えないベアトリーチェを見る。

「この期に及んで命乞いをしないとは大した度胸だな。」

 カルザスの瞳には怒りが灯っていたものの、冷静さを保とうとする王族のプライドと、追い詰めたものを嗜虐しようとする愉悦が見えた。

「………。」

 ベアトリーチェは沈黙で答える。その表情を見て、カルザスは含み笑いを浮かべる。

「もしかして、助けが来ると思っているのか?」

 その声には相手を見下すような憐れみが織り交ざっている。

「近衛騎士団は撤退したぞ。お前を見捨ててな。」

 カルザスの言葉を聞いてベアトリーチェは、心がすとんとひとつの場所へ落ちたような感覚を覚えた。絶望より、悲しみより、納得したといったところだろうか。やっぱり…。そう思ってしまったのかもしれない。

 その感情さえベアトリーチェは表に出さなかった。

「それでは、あなたの計画も終わりですね。」

 騎士団が撤退したということは、アーサーさまは王城に戻られたということだ。傭兵だけでは王城の守りを突破することは不可能だ。それはカルザスの企みが詰んだことを意味する。

「そうだな。その通りだ。ベアトリーチェ、お前にはしてやられたよ。お前がいたために、私の計画は全て崩れた。王になるはずの私が、こんな砦で朽ち果てなければいけない。」

「いえ、あなたの計画は最初から不可能だったわ。たとえ成功してもあなたは王になることなんてできなかった。それどころか、無辜の民まで巻き込んむ災いが起きかねなかった。そんなこと王になるべき人間がすることじゃない。」

「お前に何がわかる!」

 カルザスはベアトリーチェの前で初めて激昂した。

「ただ先に生まれただけで、ほとんどのものが奴のほうだけを向いて微笑む。民も、臣下も、女たちも!後にうまれただけで、立場は低く、軽んじられる。ただ生まれた年の違いだけで、奴はほとんどのものを得て、私は多くのものを失った。私はそれを取り返そうとしただけだ!」

「だからってたくさんの人を巻き込んで不幸にしていいわけがないわ。」

 ベアトリーチェの言葉に、カルザスは一瞬沈黙したが、喉の奥から絞り出すようにまた笑った。

「くっくっく。この状況でのご高説、感謝して受け取ろう。」

 腰の剣を引き抜き、ベアトリーチェの目に突きつける。

「礼として最初に斬られる箇所を選ぶ権利をやろう。目がいいか?それとも耳か?ああ、残念ながら心臓は許可できん。楽に死んで欲しくはないからな。」

「そんなものいらないわ!」

 ベアトリーチェはその瞬間足を大きく振り上げた。カルザスの剣を持つ手を蹴りぬく。

「ぬっ」

 剣が剥き身のまま宙を舞い、全員に動揺が走った。その隙に降ろした足でそのまま兵士の足を踏み抜き、頭を使って顎をうつ。

「ぐはっ」

 腕を振り拘束を抜け出し、そのままの勢いで駆け抜ける。兵士たちもベアトリーチェを捕まえようと手を伸ばす。服がひっぱられバランスが崩れそうになるが、体勢を立て直し走る。

 生きなければならない。

 たとえ自分の帰りを待つ人がいなくても。誰もが自分が生き残ることを望んでいないのだとしても。

 私が死ねばレティは傷つく。私はあの子に自分の命を背負わせてしまった。

 だから、生きなければならない。

 たとえそれが不可能なことだとしても。どんなに絶望的な状況でも。

 一歩でも、一秒でも、遠く、永く、生きなければならない。

 それが命ある者の、私に残された最後の責務。

 そして会いたいと思った。アーサーさまに。

 いつも自分に勇気をくれたあの笑顔に、幸せをくれたあの微笑みに、もう一度会いたい。

 ブチッ

 何かがちぎれる音がした。

 ぐらりと視界が横倒しになっていく。床がせまり、顔から地面にこすり付けられる。

 ベアトリーチェはバランスを崩し、倒れたのだとその時理解した。  

「取り押さえろ!」

 カルザスの声がひびく。

 体のうえにたくさんの重みがのしかかり、腕ひとつ動かせなくなる。

「本当に諦めの悪いやつだ。よくこれだけ何度もあがけるものだ。」

 押さえつけられたベアトリーチェはカルザスを見て驚いた。いやカルザスの右手に持っているものを見て驚いた。

「ん、なんだこれは?」

 カルザスも自らの右手に握ったものに気付いたらしい。逃げるベアトリーチェに追いすがり、必死に手を伸ばして掴んだものだった。鎖はちぎれたが、その時ベアトリーチェもバランスを崩し取り押さえることが出来た。

 改めて見てみると花の細工が施されたペンダントだった。カルザスはそれが縦に開く構造になっていることに気付く。

 なんと無しにそれを開けたカルザスは、不意に狂ったように笑い出した。

「ハッハッハッハ!ハッハハ!そうか!そうだったのか!」

 中に入っていたのはアーサーの写真だった。この女はずっとアーサーの写真を身に着けていたのだ。

「お前もあいつを愛しているのか。だからレティシアを取り返し、私の計画を邪魔したというのか。あれだけの冷遇を受けていたというのに。愚かな、愚かな女だ。」

 カルザスとベアトリーチェの瞳が会う。

「それでお前は何か得をしたか?あんな王に生まれついただけの何もしていない男に、そこまで尽くす価値はあったか?あの男はお前に何かしてくれたか?助けさえ来ることも無く、見捨てられてお前は満足だったか?」

 ベアトリーチェは答える。強い瞳で。

「親友のレティを助けられた。災いに多くの人が巻き込まれるのを防げた。あの人はこの国を支える立派な王よ。たくさんの人の命を支えている素晴らしい人。アーサーさまは私に大切なことを教えてくれた。笑うこと、幸せなこと、がんばること、慈しむこと。そのアーサーさまを助けられた。私は後悔なんてしてない。」

「馬鹿な女だ。」

 カルザスは一言呟くと、クレイドールの方を向いた。

「クレイドール、あれを持ってこい。」

「あれと言いますと。」

「レティシアがどうしても言うことを聞かなかったときのために準備した薬だ。」

「は、はあ、あの薬ですか。しかしどうして。」

「もう必要のないものだ。最後の余興に使ってやる。」

 クレイドールは戸惑った顔をしながらも、カルザスの言う通りのものを持ってくる。それは薬液が入った注射だった。

「何をするつもりなの。」

 地面に押さえつけられたまま、ベアトリーチェは尋ねる。

「お前を生かして帰してやるのだよ。」

「どういうこと。」

 ベアトリーチェはカルザスが何を考えているのかわからなかった。

「お前をもう一度、愛しのアーサーに会わせてやろうというのだ。その目で見るが良い。お前が助けたものたちが、お前をどういう瞳で見るのか。」

 カルザスは薄く笑った。その目には狂気の光が灯っていた。


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