36.『そのかたち』
クレイドール公爵は、砦の中の部屋で酒を飲んでいた。
国軍を引き離すことにも、レティシアをさらうことにも成功した。計画は順調だ。
カルザスが国王になれば、それを支援したクレイドールの地位も限りなくあがる。3大公爵家でも飛びぬけた権勢を誇るようになるだろう。いや、この際だ大公と名乗るのも悪くない。
クレイドールがカルザスが王になったときの皮算用をしていると、扉がいきなり開かれすさまじい形相をしたカルザスが飛び込んできた。
「クレイドール!いったい何をしている!」
「で、殿下、一体どうされたのですか。」
鬼気迫る様子のクレイドールは驚いて立ち上がった。
「ベアトリーチェが脱走し、レティシアをつれて逃走した。王妃以外の処置はお前にまかせたはずだ。」
「ベアトリーチェが脱走ですと!?マルチダどういうことだ!」
「今確認に向かいます。」
控えていたマルチダが青い顔をして部屋を飛び出していく。
「全軍を使って、奴らを追いましょう。」
「いや、万一ということがある。傭兵たちには砦の周りを固めさせろ。出口には念入りに兵を置け。その方が確実だ。」
「りょ、了解しました。」
クレイドールは慌てた様子で、カルザスの言うとおりに兵士たちに指示を出した。
***
レティシアと一緒に連れ去られたフラウとカーラは閉じ込められた部屋の中で震えていた。
「どうしよう…。レティシアさまが…。」
「どうしようっていっても。私たちじゃどうにもできないよ。」
二人が閉じ込められた部屋は、牢獄ではないが外から監視できるように窓がつけられていた。外では兵士たちが見張りをしている。
「私たちどうなっちゃうんだろう…。」
「大丈夫よ。きっとアーサーさまが助けにきてくださるわ。」
震えるフラウを、気丈な様子でカーラが慰める。でも、カーラの手も震えを止めることはできなかった。平和なエルサティーナで暮らしてきた少女たちにとって、王妃と一緒にさらわれるという大事件に巻き込まれたことは、大きなショックと恐怖を与えていた。
二人の少女がお互い抱締めあいながら、窓を見た時。
ゴスッ、ザシュッ
ほぼ同時に二つの音が響き、兵士が崩れ落ちた。
「確かここにいるはずよ。」
バタンッと扉が開かれる。
目を見開いた二人の前に現れたのは、蜂蜜色の髪の少女。
「べ、ベアトリーチェ…?」
それは一緒にさらわれ、別の場所に閉じ込められたはずの第八妃の姿だった。舞踏会で見かけた青いドレスのまま、手には何故か剣の鞘らしきものをもっている。
「無事ですか?」
ベアトリーチェの後ろから、王宮で見かけたことがある女騎士が入ってきた。
「うん、大丈夫みたい。レティ、来て大丈夫よ。」
「フラウ!カーラ!良かった。」
ベアトリーチェに呼び掛けられ、後ろから現れたのは誰であろう心配してた王妃であった。フラウとカーラは目の前の光景に混乱する。
助けがくるのは期待していた。でも、現れたのは女騎士はともかくとして、もう一人は魔女と呼ばれレティシアさまに反心があるといわれるベアトリーチェだ。
倒れた兵士を見ると、外傷はない。殴打によって気絶させられていることがわかる。ベアトリーチェの手に握られた鞘をもう一度見る。もしかしてあれで殴ったのだろうか。
「ビーチェさま、無茶しすぎです!」
そんな二人の前で、また驚くべき光景が繰り広げられる。眉尻をさげて、ベアトリーチェを心配そうに抗議するレティシアさま。しかも、ビーチェさまと呼んだ。
それにベアトリーチェは笑って答える。
「大丈夫よ。部屋の方に意識がいっていたもの。隙をついたから、1撃で倒せばなんてことないわ。それにレイアもいたし。」
「それでも、普通の人ならいきなりできることではありませんがね。」
レイアと呼ばれた女騎士は呆れたように溜息をつく。
「ゆっくりしてる暇はないわ。あなたたちも行きましょう。」
「は、はい…。」
蜂蜜色の髪を揺らし、琥珀色の瞳でやさしげに笑うベアトリーチェに、二人は思わず答える。
レイアが部屋の外を見回し、合図してみんなで外にでる。足音をひそめながらも走るベアトリーチェたちに、なるべくついていく。
何度か接触する兵士を倒し、廊下を進んでいく。ほとんどはレイアが倒してしまったが、うちもらした敵をベアトリーチェが鞘を使い気絶させていく。その姿は素人とは思えず呆気にとられるしかなかった。
「レティ、大丈夫?まだ走れる?」
レティシアさまにそう語りかけるベアトリーチェに驚く。
「はい、大丈夫です。」
そしてレティシアさまが笑顔で返事をしたことにさらに驚く。
その笑顔は、王宮で見たどんな表情よりも嬉しそうだった。敵にさらわれ、まだかこまれている最中なのに、安心したような顔をしている。
「あなたたちも大丈夫?」
そう声をかけられ、フラウとカーラはぎょっとしながらも答える。
「だ、大丈夫です。」
思い出す。レティシアさまがいつもベアトリーチェさまはそんな方ではないと噂に対して言っていたことを。私たちまわりの人間はそれを、レティシアさまの優しさゆえにでた言葉だと思った。自分をいじめた相手すら、憐れみを与えるレティシアさまの深い優しさに感激した。
でも、それは違ったのかもしれない。
ふと気づくと、レティシアさまは悲しい表情をしているときがあった。それはアーサーさまを思う故だと、城のものたちは噂しあったものだ。でも、今、ベアトリーチェの隣にいるレティシアさまに、悲しみの色はまったく見えない。
本当に、レティシアさまの言った通り、ベアトリーチェとレティシアさまは仲が良かったのかもしれない。こんな恐ろしい敵中ですら、微笑みあえるほどに。
「カルザスたちはどうやら砦の周囲に、兵士を配したようです。ベアトリーチェさまが使った隠し通路は使えませんか。」
一旦みんなで適当な部屋に隠れ、偵察から戻ってきたレイアが告げる。
「牢獄以外からは天井が高すぎて、登れないと思うわ。牢獄は錠が掛けられてたから、中には入れないと思う。それに隠し通路を抜けても、兵士たちの網を突破しなきゃいけない。」
「そうですか…。仕方ありません。私が道を切り開くしかありませんね。出来うる限りの敵を引き付けるので、なんとかお逃げください。」
レイアの握る剣に力がこもる。
「いえ、奥に行きましょう。」
「え?ビーチェさま?」
3人はベアトリーチェの言葉の意味がわからず、思わず聞き返す。
「私たちがさらわれたとき、部屋にいきなり兵士たちがあらわれたのを覚えてる?この砦には後宮とつながる転送装置があるはず。隠し通路を通っていた時、警備の兵士が多く立っている部屋を見つけたの。きっとそこにあるはず。そこを目指しましょう。」
「はい。」
レティシアは一も二もなく同意した。
「わかりました。」
レイアも頷いた。あれだけの傭兵を相手に、レティシアさまだけでも逃がせるかといったら難しかった。それならこの少女の考えに賭けてみようとおもった。
「あなたたちもそれでいい?」
こちらを見たベアトリーチェに、フラウとカーラもベアトリーチェについていくことにした。
***
砦の周りを傭兵で囲み、直接の配下の兵士たちでベアトリーチェたちの捜索を行っていた。護衛の女騎士は相当腕が立つらしく、何人かの兵士がやられてしまっていた。
「くそ、まだ奴らを捕らえられんのか。」
カルザスは苛立ちに、床を蹴り毒づく。
「まあまあ、どうせ奴らは袋のネズミです。まもなく捕らえられるでしょう。」
それをクレイドールが宥める。
兵士たちが戻ってきて、ベアトリーチェたちは砦の奥へ向かったと報告した。
「奥だと…。どういうことだ。」
「どうやら魔法装置の場所を感づいたようですね。しかし、あれには細工がしてあります。王妃を脱出させることはできませんよ。」
「そうだな。奴らをあそこに追い詰めれば少なくとも、レティシアだけは手に入れられる。」
クレイドールとカルザスはにやりと笑った。
「カルザスさま!」
その時、牢獄を調べに行かせたマルチダが戻ってきた。
「マルチダか。何故、ベアトリーチェは逃げ出した。」
「それが、牢獄に隠し通路があったらしく。」
「なんだと、あの牢獄は兵士たちに調べさせたはずだ。」
「それが…。魔法による認証を使った扉を使ったものだったようです。」
「なんだと!?あれは王家のもの以外使えないはずだぞ。」
「ベアトリーチェはエルサティーナの分家、フィラルド王家の血のものです。もしかしたら、それで認証しているのかもしれません。」
マルチダの報告を聞いて、カルザスは真っ青になる。
「しまった。レティシアに逃げられる。全員で追うぞ。」
「ど、どういうことですか。」
状況を把握しきれないクレイドールに、カルザスがどなりつける。
「ベアトリーチェでもこの砦の魔法が発動するのだ。奴がもしレティシアを逃がそうとしたら…。」
カルザスの言葉を聞くうちにクレイドールの顔も真っ青になる。
「いそげ!全兵士に告げ!転送の間へ急げと!」
カルザスの号令で、兵士たちはベアトリーチェを追いかけはじめた。