34.『ひとりのたたかい』
ベアトリーチェが目を覚ますと、そこは牢屋の中だった。
「おはよう。ビーチェさま。」
体を起こすと、鉄格子の向こうでマルチダがいた。嫌味な笑みを浮かべこちらを見ている。
「……。」
「そう睨まないでよ。」
口を閉ざしマルチダを見返すベアトリーチェにも、マルチダは余裕の表情を浮かべている。
「あんたにいい話を持ってきたのさ。カルザスさまに協力するチャンスを上げようと思ってね。」
「断るわ。」
ベアトリーチェの即断に、マルチダは口角を上げる。
「だろうね。正直、あんたにアーサーへの敵意がないってわかったときは困ったよ。そのかわりにもっといいものがかかってくれたけどね。」
「なんでレティをさらったの?何が目的なの?」
「すべてはカルザスさまが国王になるためさ。」
「どういうこと?」
「あの王妃さまには大層な血が流れているそうじゃないか。だから王妃を手に入れれば、カルザスさまが王権を得ることができる。そのために王妃をさらった。」
「そんな…。」
ベアトリーチェはそんな計画が成功するとは思えなかった。でも同時に思う。野心をもつものが夢に溺れるには十分すぎる血の力だったのかもしれない。
(レティ…。)
陰謀の材料にされた親友を思いベアトリーチェの心は痛んだ。
「ここは何代前かの王様が、側妃にすらできなかった愛人を囲っていた建物なんだがね。毎日、その女に会いたいがために、王様は後宮とこの建物を繋いじまったのさ。貴重な魔法装置までつぎ込んでね。」
マルチダはもはやベアトリーチェには何を話しても大丈夫と思っているらしい。その口調は饒舌だった。
「王様が死んじまって建物も閉鎖されて、誰にも忘れられちまってたんだけど、エラン公爵家にはその情報が残ってたのさ。王妃の誘拐に利用できると思ったんだけど、転送先につながってたのはあんたの部屋。だからあんたを懐柔するために、私が送り込まれたんだよ。アーサーに冷遇されて恨みをもってるだろうあんたなら、協力が得られるだろうとおもってね。見込みが違ったけどね。代わりに食いついたのがなんと王妃だったのさ。滑稽だったよ。まわりからは最悪の仲だと思われている二人が実は仲良しで、心配のあまりあっさり罠に落ちるなんてね。おかげで計画は大成功さ。」
「こんな計画が成功すると思うの。考え直しなさい!」
「こっちに王妃がいる以上、あちらは手出しできないさ。国軍は既に遠くにいって、王のまわりには近衛騎士団しかいない。こっちも雇った傭兵たちがいる。戦力は互角さ。あいつらは指をくわえてみているしかないんだよ。カルザスさまが新しい国王になられるのさ。あんたも今から媚をうってみたらどうだい?もっと待遇のいい側妃ぐらいにはしてもらえるかもよ。」
こんな方法で王権を奪ったとしても、そんな国が認められるはずがない。それでもマルチダは信じ切っていた。そしてそれはマルチダの後ろにいる王弟と公爵も同じなのだろう。そこには狂気と妄信があった。
マルチダが去ったあとには、静寂があった。ベアトリーチェの見張りはいない。監視する価値すらないと思ったのかもしれない。
幸運だと思った。
レティを助け出さなければならない。カルザスたちの計画に成功することはないだろう。
しかし、それはアーサーさまやレティの安全が保証されていることとはまったく違う。この狂気を止められなければ、この国そのものが大きな傷を負うことになる。
見張りがいない今なら、牢屋から抜け出せれば自分にも何かできるかもしれない。
鉄格子は頑丈で、自分の力ではどうにもできない。扉をおしたり引いたりしてみるが、鍵はきっちり締められている。この牢屋には窓も無い。
「無理なの…?いえ、まだよ。」
諦めかけたベアトリーチェだが、首を振る。だめだ、大切な親友の、そして最愛の人の危機なのだ。自分に出来ることなんてたかが知れているとしても、それでも諦めてはいけない。
ベアトリーチェはもう一度、牢屋を一からチェックしはじめた。ここはずっと前の王が、愛人を閉じ込めるために作ったものだという。何故、牢屋があったり砦のような構造をしているのかはわからない。物騒な時代だったのかもしれない。
しかし、王が作ったというならば、そこに自分が閉じ込められたときの対策などもしているのではないだろうか。
何か仕掛けがないか壁を探っていたベアトリーチェは、壁に薄くほられた紋章を見つけた。
「これは、エルサティーナ王家の紋章。」
それは元は分家であるフィラルドの紋章に似ていた。それを良く見ようと手でこすったとき、その紋章がぽわーっと青白い光を放った。
石造りの壁が割れる。そしてベアトリーチェの前に急な階段があらわれた。
「魔法装置による扉?王家に関わるものを認証にしていたの?」
この建物を作った王は、貴重な転送魔法の装置ですらつぎ込んだのだ。これぐらいの仕掛けはしていたのかもしれない。そしてフィラルド王家はエルサティーナの分家だ。その血が離れてからは、時間が経っていたが、それでも認証に必要なものが残っていたのかもしれない。
ベアトリーチェは初めてフィラルド王家に生まれたことを感謝した。牢屋の向こうから部屋を見回し、誰もみていないことを確認すると階段を上ていった。
自分ひとりではレティを救出できないかもしれない。その時は、情報を持ち帰ることが何よりアーサーさまの助けになるはずだ。牢屋から見た景色を、ベアトリーチェは頭に刻み込んだ。
階段の先は細い穴になっていた。通気口か何かなのかもしれない。縦長の穴が開いた部分を通ると、下の様子が見えた。建物の廊下を、ガラの悪い傭兵たちがうろついている。
通気口はたくさん枝分かれしている。もしかしたらレティのいる部屋にもつながっているかもしれない。この通路を使えば、レティを助けられるかも。しかし、通気口から床までの距離は高い。一度下りれば、再び上るのは難しいだろう。そうなると、傭兵たちの包囲網を脱出せねばならない。それはベアトリーチェ一人では無理だった。
アーサーさまに知らせて騎士団の人を連れて来よう。そう考えたベアトリーチェは、外にでられる道を探した。途中、レティシア付きの侍女たちが囚われている部屋を見つけたので、そのおおよその配置も記憶した。
やがて出口が見つかった。牢屋と同じく魔法での開く構造になっていたらしい。ベアトリーチェが手を触れるとあっさり開いた。外は鬱蒼とした森がしげっている。すでに真っ暗だ。周りに見張りはいない。ベアトリーチェは出口の場所から飛び降りた。
タンッと小さな音がたった。周りをみまわす。誰かに気付かれた様子はない。
とにかくアーサーさまのもとに急がなければならない。ベアトリーチェは夜の森を王宮に向かって駆け出した。
***
レティシア王妃殿下がいなくなったことは侍女たちによって王国に知らされた。行先は告げられていなかったが、見張りの兵士たちの証言で後宮にはいったとわかる。
しかし後宮のどこにも王妃の姿は無かった。王宮は大騒ぎになる。王宮中をさがしても、レティシアの姿は無かった。それと同時に気付く。カルザス王弟殿下とクレイドール公爵も姿を消していることに。
混乱する王宮に知らせが届けられたのは、それから一刻ほど経ってからのことだった。
『カルザス殿下は正当なる王位継承権を有し、レティシアさまを妻として迎え真なるエルサティーナの国王となる。アーサー陛下におきましては、潔く王権を移譲するよう願います。』
招集された重臣会議によって、対策が話し合われた。そして集められた情報により、カルザスたちが先代の王が作った砦に傭兵たちを集め立てこもったことを知る。
近衛騎士団がただちに召集され、砦のまわりに配置された。しかし、王妃が人質として取られている以上、それからは動きようがなかった。
アーサーの近衛騎士団と、カルザスの雇った傭兵たちはそのままにらみ合うことになった。
***
「まて!怪しいやつだ!」
森を長いこと走っていたベアトリーチェは、いきなり拘束された。
一瞬、傭兵たちに捕まったのかと思ったが、鎧を見て知る。エルサティーナの近衛騎士団だ。良かった、なんとかなりそうだ。
「待ってください。私は第八妃のベアトリーチェです。」
そう名乗ったベアトリーチェに、騎士たちは驚く。
「なんで第八妃がこんなところにいる。」
「レティシアさまと一緒にさらわれました。なんとか逃げ出すことができました。アーサーさまにお伝えしたいことがあります。どうか、陛下にお目通りさせてください。」
隠し通路の情報を教えれば近衛騎士たちの力で、レティを助けることが出来るはずだ。ベアトリーチェはほっと息をついた。
しかし。
「怪しいぞ。ベアトリーチェといえば、レティシアさまを恨んでいる魔女じゃないか。奴らに協力しているのではないか。」
一人の騎士が言った。
「違います!レティを助けられるかもしれない情報があるんです。お願いです。アーサーさまの所へ。」
「レティなどと王妃殿下に馴れ馴れしい。やはりアーサー陛下を罠にはめようとしているに違いない。拘束して閉じ込めておこう。」
そんな…。それではレティは助からないではないか。
「お願いです。信じてください。」
ベアトリーチェは必死で訴えた。
「お前のような魔女など、信じられるものか。」
だが、騎士たちの冷たい瞳は変わらない。
ベアトリーチェは俯いた。だめだ…信じて貰えない…。このままじゃ、レティは囚われたまま、アーサーさまもこの国も大変なことになる。絶望が心を浸食する。でも、諦めてはいけない。絶対に、諦めたりはしない。
「では…、信じなくていいです。」
再び顔を上げたベアトリーチェの瞳には強い光が宿っていた。
「なんだと?」
「信じなくてもいいです。それでも私についてきてください。私はカルザスの手先で、これは罠かもしれません。でも、万に一つ本当なら、レティシアさまを助けることができる。私がどんなに怪しくても、騎士の命ひとつで王妃の命を買える可能性があるなら安いはずよ!」
ベアトリーチェの放つ強い気配に、騎士たちは気圧される。
「なにを…馬鹿なことを…。」
騎士たちはうめくように呟いた。
「その提案、乗ろう。」
声が聞こえてきたのは、騎士たちの向こうからだった。そこには一人の女騎士が立っていた。
「レイア副隊長!?」
騎士たちは驚いてざわつきだす。
「確かにその女の言うとおりだ。アーサー陛下のもとに連れて行くことは出来ないが、私たち騎士が命を張る分には問題ない。」
「ですが…しかし…。」
「もちろんお前たちがついてくる必要はない。こんな話に乗るのは私一人で充分だ。お前達は戻れ。」
レイアの命令で拘束が解かれ、ベアトリーチェは解放された。騎士たちは帰り、ベアトリーチェとレイアだけが残された。
「ありがとう。」
そう言ったベアトリーチェをレイアは冷たく見返した。抜き放たれた剣が、ベアトリーチェの首筋に触れる。
「お前を信用したわけではない。それでも、レティシアさまを助けられる可能性があるなら、命をかけるのが騎士だ。だが、もしお前の言うことが嘘だったら、この首が胴とつながっているとは思うなよ。」
レイアの言葉に、ベアトリーチェは目をそらさずに答えた。
「ええ、わかったわ。」
たとえ一人でも、信用されなくとも味方ができた。レティを助けられる可能性がつながった。ベアトリーチェはレイアに感謝した。