32.『夕日の影』
「舞踏会ですか?」
女官長のルーネがわざわざ自分の部屋にやってきて、伝えた知らせにベアトリーチェは驚いた。
「はい、王弟殿下のご帰国を祝うパーティーです。」
「何故、私にも?」
大陸で最も栄えている国エルサティーナでは、今までも様々な催しが行われてきた。しかし、それに側妃が参加することは少ない。国の顔である正妃という例外を除いて国王の妃は、後宮から出ること自体を良しとされていない。
特にベアトリーチェは今まで他の側妃たちが参加する催しすら、出席することを許されることはなかった。なのに、何故今回は出席することが許されたのか。
「カルゼスさまのご意向で、すべての貴族、王族の方に出席してほしいそうです。側妃も例外無く。」
カルゼスとはアーサーさまの異母弟に当たる殿下の名前だった。今まで隣国のレィツオンに留学していたのだが、この度、帰国されたのだった。
正直、あまり気が進まなかった。この国で自分の味方という存在はほとんどいなく、貴族たちの社交場というべき舞踏会に出てもつらい思いしかしないことは明らかだった。でも、王弟殿下の招待では、断れば失礼になるだろう。
「わかりました…。」
少し参加して、出来るだけ早く場を辞そう。そう考えベアトリーチェは承諾の返事をした。
ルーネが部屋から去り、ひとりになったベアトリーチェは溜息をついた。そして、はたと気づく。
「どうしよう。パーティーに着て行くドレスなんてないわ。」
ベアトリーチェには後ろ盾となってくれている貴族も、王国からの援助もない。だから節約せねばならず、服なんてここ2年仕立てたことがなかった。
日常生活はこの国に来たとき持ってきた服を繕ってなんとかしていたが、舞踏会となればそんなドレスを着て来たらとんでもない失礼になる。しかし自分が今持ってるお金では、新しく仕立てるのすら難しいだろう。それにとてつもない悪評を持つ自分のドレスなど、仕立てたいと思う仕立て屋もいまい。
これではどちらにしろ、失礼になってしまうかもしれない。ベアトリーチェは今更だが参加の承諾をしたことを後悔した。
しかし、後悔しても問題が解決するわけではない。
「どうにかしないと…。」
ベアトリーチェは、フィラルドにいたころから溜めていたお金をじっと見て考えた。
***
「よいしょっ。」
がさごそと土の中で少しもがき、ベアトリーチェは穴の外へ出た。
「ふう、抜け出せたわ。」
ベアトリーチェが考えた手段は既製服を買うことだった。既製服は仕立てるより安く買うことができる。エルサティーナの既製服は質がとても良い。貴族のパーティーでは仕立服を着るものがほとんどだが、仕立て屋のいない地方の貴族などは既製服ですませてしまうこともある。
自慢できるようなものではないが、少なくとも失礼にはならないだろう。
ベアトリーチェは以前見つけた抜け穴から抜け出し、既製服の店に行くことにした。抜け穴から出た先は、後宮の裏手だった。厚い壁に阻まれ、見張りの兵士もほとんどいない。
だからこの抜け穴も見つかることがなかったのだろう。
いくら既製服とはいっても貴族相手の店だ。ちゃんと身ぎれいにしなければいけない。
ベアトリーチェは準備しておいたバッグの中から、タオルを取り出し体の汚れを拭った。
「さて、急がないといけないわ。」
後宮で自分がいなくなっても気づくものなどいないだろうが、見知らぬ王都でお店を見つけドレスを買い帰らなければならないのだ。夜になれば厄介事にまきこまれる確率もたかい。
もしそれで側妃だとばれれば、大事になりかねなかった。
ベアトリーチェは街の方を目指して走った。
***
見知らぬ王都の街を歩き回り、貴族相手の既製服の店を見つけたのは夕日が街を赤く照らしはじめたころだった。
慌てて店に入ったベアトリーチェを、店員の女性は笑顔で迎えた。
「いらっしゃいませ。」
「パーティー用のドレスが欲しいのですが。」
ベアトリーチェの言葉に、店員は頷く。
「かしこまりました。お嬢様の体型ですと、ここにあるものが合うと思いますよ。」
大人っぽくドレスで着飾った店員に案内され、ベアトリーチェは女性というよりはまだ少女という年齢の娘が着るドレスが並べられている場所だった。
やはりベアトリーチェも女性なので服を見るのは好きだった。仕方なく買いにきたとはいえ、お店に並べられたドレスに思わず目移りする。
少し大人っぽいデザインのものに目が行き、自分では背が足りないのが遠目でもわかり溜息をつく。
そんなベアトリーチェの姿に、店員の女性はくすっと笑う。店員はベアトリーチェを地方貴族の娘だと思っていた。
カルゼス王弟殿下の帰国パーティーには多くの貴族が招待された。既にこの店には招待されたそんな貴族たちがたくさん訪れていた。
意中の相手でも来るのだろうか。大人向けのドレスを見て溜息をはいた少女を見つめる。やわらかそうな蜂蜜色の髪に、少し幼げだが十分に可愛らしい容姿。着ているものはあまり上等ではないが、地方貴族の娘ではこういう格好をしているものも数人いた。
ちゃんと着飾れば、意中の相手の心を動かすことも十分に出来るだろう。
「お嬢様、迷われていらっしゃるなら、こんなのはどうでしょうか。」
店員が差し出してきたドレスを見る。
青い生地で作られたシンプルなラインのドレス。肩が出ていて肌の露出がいくつかあるが、下品なことはなく上品にまとまっている。大人っぽいドレスだが、ベアトリーチェの背格好でもちゃんと着れそうだった。
進んで参加したいパーティーではなかったが、どうせ着るなら気に入ったものがいいと思った。どうせ、服を買う機会などしばらくはないだろうし。
「それでお願いします。」
「かしこまりました。」
店員の差し出したドレスを気に入ったベアトリーチェは、すぐに買うことに決めた。
ドレスを包んでくれた店員に金貨を支払い、店を出た。
外はもう日が落ちかけている。
城の方へ急いで歩き出した。
行商などが行われている区画を通り過ぎようとしたとき、ベアトリーチェの耳に喧騒が聞こえた。
「おい、てめぇ!人に馬車をぶつけておいてただですまそうってのか。」
「す、すいません。だけど、あんたの方から馬車の方に…。」
「なに!?俺がわざとぶつかりにいったってのか?」
「い、いえ…。そういうわけじゃありませんが…。」
野菜を載せた荷馬車に乗った初老のおじさんが、柄の悪い男に胸倉をつかまれていた。
「じゃあ、俺はお前のせいで怪我しちまったってわけだ。治療費ぐらいもらっていいよな。」
男はニヤニヤ笑いながら、おじさんの懐を探り貨幣の入った袋を取り出す。そして中身を確認してにやっと口を吊り上げる。
「まあ、これだけで勘弁してやるよ。」
辺りの野次馬は、その姿を見て口々に話す。
「あの人自分から馬車にぶつかっていったのよ。怪我だってかすり傷だし。かわいそうよ。誰か助けてあげて。」
「そうはいってもあいつ剣をもってるぞ。たぶん、北の戦争が終わって流れてきた元傭兵だ。俺たちじゃどうにもできねぇ。」
「警邏の兵士が来るのを待つしかないよ…。」
今まで大人しくしていたおじさんだが、お金の入った袋をとられ男にすがりつく。
「それだけは勘弁してださい。一週間分の稼ぎなんです。」
その態度に気の短いそうな男はむっと顔色を変える。
「うるせぇ。大人しくわたさねぇと痛い目見るぞ。」
どんっとおじさんを突き飛ばすと、腰から剣を取り振りかぶる。鞘にはおさまっているが、殴られればただではすまない。
「きゃあっ」
周りの群衆から悲鳴があがる。
鞘に収まった剣は、そのままおじさんの頭に振り下ろされる。
しかし、その剣は横から弾かれ、地面にたたきつけられた。
そこに立っていたのはベアトリーチェだった。咄嗟に荷馬車に置いてあった棒を取り、相手の剣を横から弾いたのだ。
「なんだてめぇ!って女、しかも貴族か?」
野次馬たちはベアトリーチェの登場にざわつく。まだ少女といってもいい年齢の娘が初老の男性の助けに入ったこと。そして容姿や服装から見てその少女が貴族だったからだ。
男も一瞬その姿を見て驚いたが、再びにやついた笑みを取り戻す。
「なんだ?もしかして俺の相手でもするってのかい?お嬢ちゃん。」
片手に持った剣をちらつかせ、目の間の少女を威嚇する。しかしベアトリーチェは動じず、棒を構え相手を真剣な目で見る。
「その人の袋を返してあげてください。大切なものだそうです。」
そんなベアトリーチェの言葉を、男は鼻で笑う。
「貴族のお嬢ちゃんが正義の味方気取りか?痛い目みるぜ?」
「あなたにできるのですか?」
男は挑発の言葉をベアトリーチェに返され、顔を真っ赤にする。
「生意気な餓鬼が。俺が世間ってものをおしえてやるよ!」
剣を大きく振りかぶりベアトリーチェ目がけて振り下ろそうとする。
だが、その前にベアトリーチェが下段から弧を描くように突き上げた棒が男の顎を直撃した。死角から顎への一撃が脳を揺さぶり、男は足元から崩れ地面に倒れ伏す。
それはベアトリーチェがアーサーから習った護身術だった。フィラルドにいたころ、アーサーの剣の稽古にまで付き合いたがったベアトリーチェだが、アーサーは難色を示した。剣の技術は、生死のやり取りでもある。生半可な技術を身に着けていても、逆に命取りになりかねないし、人を殺めてしまうこともある。
アーサーが唯一教えたのは、得物を使って相手を昏倒させるこの技だった。
もちろん、元傭兵の男が本気にさせたならばベアトリーチェが勝つことは無理だっただろう。しかしベアトリーチェは、相手の感情を乱し、油断を突き、一度のチャンスでその攻撃を成功させた。
「おい、あの娘あいつを倒しちまったぞ。」
「凄いぞ!」
小柄な貴族の少女が、大きな男を倒してしまったのを見て周りは騒ぎ出す。それはやがてベアトリーチェへの賞賛の声になる。人々はあの少女が誰なのか噂しあい、彼女に話しかけたそうな様子だった。
しかし、ベアトリーチェは周りの様子に気を止めることなく、日が大分陰ってしまった空を見て顔を曇らした。
「急いで帰らないと。おじさん、これをどうぞ。」
「あ、ああ、ありがとう。」
ベアトリーチェから袋を受け取った初老の男性は、こんな少女が自分を救ってくれたことが信じられず、呆然としたままお礼を言う。
「すいません、私は帰らなければいけないので、この人を警邏の兵士に引き渡すのをお願いします。それでは。」
ベアトリーチェは挨拶をしてすぐに立ち去った。日は暮れかけていたし、警邏の兵士に接触すれば、自分自身もまずいことになる。
ベアトリーチェは城の方へ向かって走った。落ちかけた夕日に照らされ、大きく美しい城はオレンジと薄やみのコントラストで彩られている。その後ろにあるのがベアトリーチェの変える場所、後宮だった。
「おーい、待ってくれ。」
走っているベアトリーチェの後ろから声がかかった。それはさっきの初老の男性だった。
「どうしたんですか?」
「いや、あんた、お礼もする暇も無く立ち去っちまうから。」
「お礼なんていらないです。」
ベアトリーチェは笑って首を振る。その人の良すぎる態度におじさんは溜息を尽く。
「確かに貴族のお嬢さんにちゃんとお礼するのは難しいが。あんた急いでるんだろう?わしの荷馬車に乗って行かないか?荷馬車といっても野菜を乗せる馬車だから汚いことはないよ。」
おじさんの申し出にベアトリーチェは戸惑ったが、頷くことにした。断るのは申しわけないし、自分も走って息が切れてきたころだ。急いでるのだからとても助かる申し出だった。
「いやぁ、最近はあんなやからが増えて王都も物騒になってきたなぁ。」
「そうなんですか?」
「ああ、北の戦争が終わったせいで職にあぶれた元傭兵たちが、王都に流れ込んできてるんだ。何故かここエルサティーナには特に多く入ってきてね。おかげでそこかしこで騒動が起きているんだよ。」
荷馬車に乗り流れる景色を見ながら、おじさんと話す。夕日に照らされる王都の街並みは綺麗だったが、おじさんの話では見た目通りの平穏さではないらしい。
そんなベアトリーチェの耳に、通りかかった酒場から歌が聞こえてきた。あの、歌だ…。
「ああ、良い歌だねぇ。いつ聞いてもいい歌だ。わしも大好きさ。レティシアさまは結婚式のときに一目みたが、とても美しい方でいらっしゃった。」
「はい、とても美しい方です。」
「そうか。あんたは貴族だから目にする機会も多いのか。優しい方なんだろう。」
「ええ、本当に優しい方です。」
親友が褒められてるのに、あの歌が聞こえると、胸が痛む…。
「ベアトリーチェって女は本当にひどい奴だ。あんなに素晴らしい方をいじめるなんて。それも今じゃ罰を受けてるらしいが、自業自得だよ。本当に良かったよ。アーサーさまがレティシアさまを助けてくださって。」
「……。」
その言葉にベアトリーチェはうつむいて言葉を返すことができなかった。おじさんはベアトリーチェの沈黙に気付かず話を進め、ベアトリーチェも気付かれないように相槌をうった。
流れる景色の中、ベアトリーチェはふと山の方の妙な建物が目に付いた。城のような構造だが高さはずいぶんと低い。沈みかけた夕日に照らされ山奥で赤々しく光っている。
「あれは…?」
ベアトリーチェのつぶやきが耳に入った男性が振り向く。
「ああ、あれかい。あれはずっと前の王様が作った建物さ。なんでも側妃にも出来なかった愛人をあそこに囲っていたらしい。今じゃ閉鎖されてるよ。」
「そうなんですか…。」
その建物は石造りの砦のようだった。
「あそこには近づかない方がいい。最近、妙な連中がいるって話だ。王都からずいぶん離れてるからな。」
「妙な連中?」
「ああ、そいつらも元傭兵だって噂はあるけど、いったい何をやってるんだか。」
山肌を赤く照らす夕日は、その建物を赤い闇に染め上げていた。自分がエルサティーナに来たころは王都はずっと治安の良い場所として有名だった。それは警備の厳しさというより、王の人徳によるものが多かった。
だが、男性の話を聞き、実際に目にするとそこにわずかな闇が浸食しはじめていることがわかる。それがすぐ消えてしまう闇なのか、何か大きな災禍の前兆なのかはわからなかった。
(アーサーさまは気付いてらっしゃるのかしら…。)
不安に締め付けられた胸は、大切な人のことを思う。
「ここでいいのかい?」
初老の男性は、ベアトリーチェが馬車を降りた場所を見て驚いた。
てっきり王城まで行くと思ったのだが、そこから横道にそれ、ここは王都のはずれだった。
「はい、大丈夫です。」
ベアトリーチェは王宮に正面から入ることはできない。こっちのほうが自分の目指す後宮には近かった。
「ありがとうございます。」
ぺこりとお礼を言うベアトリーチェに、おじさんは頭をかくと。
「まあ、いいけどよ。こちらこそ、あんたに助けてもらってありがとう。」
男性はさらに王都の端の方へ走って消えていく少女を見送った。
「そういえば、名前も聞いてなかったな。」
その少女が王都でひどい悪評を持つ最下位の側妃だったと、知ることはなかった。
***
抜け穴から後宮に戻ったベアトリーチェは、誰にも見つからないように自分の部屋に戻ろうとした。ベアトリーチェが何をしていても気にするものなどいないはずだが、それでも用心するに越したことは無い。
「ベアトリーチェさま、今日は一度も見ませんでしたがどうされていたんですか?」
声を掛けられ振り向くと、マルチダがいた。ベアトリーチェはさりげなく荷物を隠す。
「そう?ちょっと散歩したりしてたし、すれ違って会えなかったのかしら。」
「そうですか?」
マルチダはベアトリーチェのその動作に気付いた様子が無く安心した。
「ベアトリーチェさま、もうすぐ舞踏会でいらっしゃいますね。」
「ええ、そうだけど。」
「私も第三妃さまのお付きとして参加するのです。楽しみですね。」
「そうね…。」
気鬱さからベアトリーチェの返事はぎこちないものになる。その様子を見て、マルチダは笑顔になると。
「ご安心ください。パーティー主役であるカルゼスさまはとても良い方です。それに噂も信じていらっしゃいません。決してベアトリーチェさまに不快な思いはさせないかと。」
「そうなの。」
「はい、舞踏会では一度話されてみてください。」
マルチダの言葉に、ベアトリーチェは疑問を覚える。
「カルゼスさまをご存知なの?」
「クレイドールさまと親しくいらっしゃったので。」
「そう…。」
ベアトリーチェはその態度にも違和感を感じた。そもそも舞踏会でのお付きの侍女は、側妃たちの中からお気に入りの侍女が選ばれるはずだ。彼女は第三妃に対して、そうなるよう働きかけてるようには見えない。
また主人の友人だからといって、侍女たちまで人となりを知るわけではない。まともな交流が持てるのは、主人に近い立場の高い侍女たちだけだろう。彼女はそうだったのだろうか。ではなぜ、今は第三妃の侍女に移されたのだろうか。
そして彼女はベアトリーチェが舞踏会に参加するという前提で話していた。断ると思わなかったのか。それとも承諾したことを知っていたのか。
ベアトリーチェの中に沸きだした疑問は消えることは無かった。