24.『魔女 3』
その日ベアトリーチェは、とても大切な用があり後宮から抜け出していた。
女官長を通して頼んだ大切な荷物を取りに行くためだ。それはとても大切なもので、絶対嫌がらせなどで台無しにされたりすることの無いようにしたかった。だからなんとしてでも直接取りに行きたかったのだ。
侍女に変装したベアトリーチェは、あっさりと門番の下を通過することが出来た。そして誰にも気づかれること無く、荷物を受け取ることが出来た。誰も第八妃の顔など知らないから…。
中庭を駆け早く後宮に戻ろうとしたベアトリーチェは、聞き覚えのある声が聞こえることに気付いた。
振り向いた先には、二人で笑いあうアーサーさまとレティがいた。
何を話しているかまではわからない。でも二人ともとても優しい笑顔をしている。それはベアトリーチェが久しく見ていない二人の顔だった。
アーサーさまはこの後宮に来てから、一度も笑顔を見せてくれたことはない。レティシアも最近では談笑しているときですら気まずげにぎこちなくしか微笑まなくなっていた。
今、ベアトリーチェのいない場所で、二人は自然な笑顔で楽しげに談笑を交わしていた。
ベアトリーチェはしばらく茫然と二人の姿を眺め続けた。
「ね、ねぇ、そこの君。」
そんなベアトリーチェに、後ろから声がかかった。びくっとして振り返ると、そこには兵士の姿をした青年がいた。
一瞬、後宮を抜け出したことがばれたかと思ったが、青年は別にベアトリーチェが後宮の側妃だとは気付く様子はなかった。
「ぼーっとしてたみたいだけど、どうかしたの?」
「いえ、何でもないです。」
早く後宮に戻らなければいけない。そう思ったベアトリーチェは青年の質問に手短に答える。だが、青年はなぜかベアトリーチェを離してくれない。
「そ、そう。困ったりしてない?俺でよかったら力になるよ。」
ベアトリーチェの短い返答に、青年は何やら焦ったようになる。
「何もありません。私そろそろ行かないと。」
ベアトリーチェは青年を振り切って行こうとしたが、青年は慌てたようにその手をガシッと掴む。その頬は、少し朱を帯びていた。
「ま、待って。君どこで働いてるの?別に怪しいもんじゃないんだ。こう見えても俺、見習い騎士としては有望株なんだよ。今度一緒に食事にでも行かない?」
焦ったような態度で、早口にまくしたてる青年。その力は強く、ベアトリーチェは手を振りほどくことができない。
「ベアトリーチェ!そこで何をしている。」
困り切ったベアトリーチェの後ろから、声が聞こえた。何度も何度も聞いてきた忘れようのない声。先ほどまでレティシアと暖かく楽しげに話していたその声は、今は冷たく硬質な
響きに変わっていた。
ベアトリーチェの体がびくりっと震える。
「アーサーさま…。」
恐る恐る震えながら振り返ると、そこにはベアトリーチェの思い人が立っていた。その顔から優しい笑顔は消えうせ、こちらを冷たい怒りを持ってにらんでいる。そんな表情を向けられ、ベアトリーチェの心はズキズキと痛む。
「その男はなんだ。」
自らの王に怒気をはらんだ目で睨まれた青年は、混乱したようにベアトリーチェとアーサーを交互に見る。
「へ、陛下…。べ、ベアトリーチェ!?」
それが、この国で噂になっている第八妃の名前と気付いたのだろう。
だが、何故目を剥いてまで自分を茫然とみるのか、ベアトリーチェにはわからなかった。
元よりベアトリーチェの意識は青年のほうに向いてなかった。ただ、恐れるようにアーサーのほうを見ていた。
だから青年が「こんなに可愛い娘が…。」とつぶやいたのにも気づかなかった。だが、アーサーのほうは青年の言葉にぴくりと反応する。
「もう良い。お前は去れ!」
「は、ハイ!」
王に強い語調で言われ、青年は慌てて去っていく。
「何故、後宮から抜け出した。」
「も、申し訳ありません…。」
アーサーの激しく怒った様子に、ベアトリーチェは泣きそうになり、それしか言うことができなかった。
「後宮に不満があるのか。」
ベアトリーチェは慌てて首を振った。出ていけと言われるのが怖かった。
「そんなことありません。」
アーサーはしばらく沈黙すると、重々しく口を開いた。
「さっきの男とはなんでもないんだな。」
「は、はい。はじめて会いました。」
もしかして逢引を疑われたのだろうか。自分については軽率な行動を取ったのだから仕方ない。でも、あの青年まで巻き込むのは気の毒だった。
「本当になんでもないんです…。あの人は中庭を歩いていた私に、親切にしようとして話しかけてくださっただけで。何も悪くないんです。だから…。」
「もういい!」
ベアトリーチェの言葉は、不機嫌なアーサーの言葉で遮られた。
アーサーは頭をガシガシ書くと、怒気を抑えた声で言った。
「後宮に戻るぞ。もう二度と抜け出したりするな。」
そうしてベアトリーチェは後宮まで戻された。
門番には顔を覚えるように写真が渡されてしまった。もうあの門を抜け出すのは不可能だろう。
***
夜、ベッドの中でベアトリーチェは考えた。
アーサーさまはきっとレティのことが好きだ。たぶん、あの時あんなに怒っていたのも、私が側妃として相応しくない行動をとっただけではなく、レティとの時間を邪魔されたせいなのかもしれない。
そしてレティもアーサーさまのことが好きなのかもしれない。自分が久しく見ることができなかった親友の笑顔。彼女が笑えなかったのは、私のせいなのかもしれない。私がいるから、レティは笑えなかったのかもしれない。私のいないあの場所で、アーサーさまの傍で彼女は幸せそうに笑えていたのだから。
アーサーさまとレティはお互い思い合っている。それは、この国にとっても、国民たちにとっても、二人にとってもとても良いことだ。
なのに、自分は喜べなかった。笑いあう二人の姿を見て、悲しい気持ちになった。
大切な人と親友が思いを交し合ってるのだ。祝福してあげなければいけないはずなのに。
なのに…。レティがアーサーのことを思っているのを知っているのに。それでもアーサーさまへの思いを忘れることができない自分。アーサーさまに愛されたいと願ってしまう自分。
ベアトリーチェは悲しかった。そんな自分の心の醜さが。アーサーさまに愛されることのない自分が。自分を置いて二人が遠くへいってしまったことが。
置いていかないで。そう叫びたかった。傍にいさせて。そう言いたかった。それが二人の邪魔になることを知りながら。
そして思った。こんな醜い心を持つ私は、みんなの言うように魔女なのかもしれない。と。
***
中庭でアーサーさまと話をした。
閨すら共にしたというのに、公的な関係は夫婦だというのに、不思議とそういった会話をしたことはなかった気がする。
最初は事務的な会話だったが、ビーチェさまの話がでると変わった。
アーサーさまは私が知らないころのベアトリーチェさまの話をたくさんしてくれた。私もアーサーさまが帰った後のビーチェさまの様子をたくさん話した。それは久しぶりに楽しいと思える時間だった。
アーサーさまについていって、一緒に剣の訓練までしようとした下りは本当に笑ってしまった。
昔のビーチェさまのことを話すアーサーさまの顔はとても優しい顔をしていた。
今、アーサーさまの気持ちは、ビーチェさまに向いていないのかもしれない。それでも感情が違っても大切な思いがあれば、いつの日かビーチェさまと結ばれる日がくるかもしれない。
それがなるべく早い日であることを私は祈った。




