20.『演奏会』
「演奏会?」
「ええ、そうです。この前お話したクルーダ伯爵夫人と、そのお知り合いのレンディ侯爵などが集まって開く小規模な演奏会です。ビーチェさまも参加されませんか?」
久しぶりにレティシアと薔薇園で会ったベアトリーチェは、レティシアの口から出された提案に少し悩んだ。あれ以来、気まずい感情を内に挟んでしまった二人の関係。
お互い笑いあってもどこか、悲しい感情がつきまとう。そんな空気を振り払いたくて、レティシアはベアトリーチェを音楽会へと誘った。
「でも、大丈夫かしら。勝手に後宮から出て…。」
通常、王の妃たちは後宮から出ることを許されない。他の男と通じ合い、子供が出来たなどとなったら困るからだ。唯一、王宮に居室を構える正妃だけが、後宮と王宮を自由に出入りできる。
「大丈夫です。陛下には秘密にしていますから。参加する方にも、ビーチェさまの正体は明かさず客人として扱っていただくようにします。」
それなら参加しても問題はなさそうだ。ベアトリーチェは思った。
アーサーさまから銀の魔笛を貰って以来、ベアトリーチェは音楽が大好きだった。それにこの国では孤独だったが、演奏会に参加できるようになれば親しい人も出来るかもしれない。何よりレティシアと一緒にいられる。
ベアトリーチェは少し心を弾ませながら、レティシアの申し出を受けることにした。
***
「何故こんなとこにいる、ベアトリーチェ。」
楽しく時間になるはずだった演奏会のとき。だが、その場の空気は重く凍えていた。
レティシアと一緒に演奏会の場所へと訪れたベアトリーチェ。王宮に数多くある談話室の一室。余計な家具などが取り払われ広々となった部屋が演奏会の舞台だった。主催者であるクルーダ伯爵夫人は既に来ていて、レティシアが訪れると演奏しやすそうな木椅子から立ち上がり優雅な挨拶を交わした。まだレンディ侯爵が来ないらしく、三人で差し障りのない談笑をしながら侯爵を待つことになった。
談話室の扉が開いたのはそれから間も無くのこと。三人は振り向き、レンディ侯爵へ挨拶しようと立ち上がった。
だが、姿を現したのは三人が予想だにしなかった人だった。
その人物は普段の冷静な雰囲気とは程遠い、凍りつくような視線で部屋を見回した。
「何故こんなところにいる、ベアトリーチェ。側妃は後宮から出ることを禁止されているはずだ。」
睨みつけるような視線にベアトリーチェの体がびくっと震える。
扉から現れたのは、この国の王アーサーだった。レティシアは茫然としたように、その姿を見つめた。
ベアトリーチェを誘うので、今日の会はアーサーに秘密にしていた。しかも今日、アーサーさまは政務で街の方に下りているはずだった。
何故、と混乱に陥りけかけたレティシアだが、ベアトリーチェを冷たく睨みつけるアーサーを見てすぐさま意識を戻す。
「お待ちください、アーサーさま。ベアトリーチェさまは悪くありません。私がベアトリーチェさまに無理を言ってお誘いしたのです。」
レティシアはアーサーに睨みつけられ、顔を青くするベアトリーチェを庇うように立った。しかし、アーサーの表情は変わらない。
「だが、了承したのはベアトリーチェ自身のはずだ。側妃という立場として許されないと知りながら。」
「も…申し訳ありません。」
ベアトリーチェは言い訳も思いつかずひたすら頭を下げた。声が震え、その目じりに涙が浮かぶ。
王の突然の登場に、またその激怒にクルーダ伯爵夫人はただただ固まっていた。
「側妃としてふさわしく振舞うよう言ったはずだ。」
「はい…。」
震えてアーサーを見上げるベアトリーチェに、アーサーは一歩近づいた。
びくりっとベアトリーチェの肩が揺れる。
怖かった…。ただでさえ同情で妃にしてもらい、迷惑をかけている自分。それなのにアーサーさまの言葉を無視して、側妃としての決まりごとを破ってしまった。もういらないと言われるのでは、見捨てられてしまうのでは…。
幼い頃優しく微笑んでくれた表情が、怒りを含んだ冷たい顔で自分を睨んでくる。どうしようもなく怖かった。
「………。」
アーサーはそんなベアトリーチェを黙って見つめると、ふいに視線を外した。
「もうよい。今すぐ後宮に戻れ。それで不問とする。」
そう言うと、アーサーはレティシアの手を取り「演奏会へはもう参加するな。」と言って去っていった。手を固く結んだまま去っていく二人を、ベアトリーチェは見送ると、クルーダ伯爵夫人に挨拶をし逃げるように後宮へと戻った。
自分のせいでレティシアが演奏会に参加できなくなってしまったと、ベアトリーチェは心を痛めた。だが後日、後宮の侍女たちがそのことで噂話をしていた。
王妃が演奏会への参加を王に止められたらしい。なんでも、レンディ侯爵は音楽会を利用して、さまざまな女性に手を出し浮名を流す男性だったらしい。王妃を愛する王は、それを心配し王妃の演奏会への参加を禁止したらしいと。
ベアトリーチェはレティシアの手を取り去っていったアーサーさまの姿を思い浮かべた。
アーサーさまはレティを愛していらっしゃる。
なら自分が入り込む余地など、アーサーさまに愛される可能性などもうないのかもしれない…。そう思った。