2.『希望を胸に』
エルサティーナへと向かう馬車に乗りながら、ベアトリーチェは喜びに胸を高鳴らせていた。
「ほら、見て見てウサギがいたわ!」
外の景色を彩る木々の山はエルサティーナの国境に面しているサウザンと言う広大な森だ。自然に溢れながらも、その森を横断するように作られた街道はとてもなめらかに整備されていて、エルサティーナの国力と余裕を示していた。
ベアトリーチェの祖国フィラルドはエルサティーナからはあまり近いとはいえない国だ。
馬車を使っても一週間以上かかる道のりだ。きちんと休みはとっているとはいえ、王族に生まれたベアトリーチェにとって楽な旅ではないはずだ。
だというのに、ベアトリーチェの顔には疲れの色は見えない。それどころか、旅だってから日を経てエルサティーナに近づくごとにベアトリーチェの笑顔は増えていった。
今もベアトリーチェはしきりに窓の外を見ながら、見つけたものをレティシアに報告する。
レティシアはその興奮に頬を染めたた少々子供っぽい表情の自分が遣える王女を見つめ、一緒に幸せそうに微笑み、何かあるたびに自分に話しかける王女の言葉に一つ一つ丁寧に頷いていく。彼女がくすりと笑うと、彼女の美しい銀糸の髪が風に揺れた。
レティシアはベアトリーチェに遣える侍女だ。ベアトリーチェが10歳のときから遣えてくれていて、彼女の身の回りの世話を一手に引き受けている。年はベアトリーチェとひとつ違いでしかないが、美しく流れる銀色の髪、青く澄んだ宝石のような瞳、真っ白な透き通るような肌、彫刻みたいに整った容姿に豊満でいてところどころ引き締まった年相応いじょうに大人びた肢体、十六にしてまさに傾国の美女といった感のある少女だった。後宮の口の悪い侍女も言っていたが、私なんかよりよっぽどお姫様らしいとベアトリーチェも思っている。レティシアは孤児院出身なので一応平民ということになっているが、きっと貴族の血を引いているに違いないと思う。
ベアトリーチェがエルサティーナに嫁ぐと決まったとき侍女を何人か連れて行くことが出来たが、ベアトリーチェの傍付きレティシア一人であり、彼女以外を連れて行こうとはおもわなかった。
「本当に良かったですね。縁談のお相手がまさかアーサーさまだなんて。」
「うん、信じられないわ。おまけに正妃としてだなんて。夢じゃないかしら。ちょっと不安になってきたわ。」
政略結婚として決められたアーサーとベアトリーチェ二人の結婚。しかし、ベアトリーチェにとってそれは人生で最大の幸福なニュースだった。アーサーは大陸最大の国家エルサティーナの王であるが、その母はフィラルドゆかりの人物であった。アーサーがまだ王太子であったころ、その縁あって三年ほどフィラルドに滞在したことがあったのだ。そのときベアトリーチェはアーサーと知り合い、幼いながらも恋心を抱くまでになった。
しかしベアトリーチェは王女であり、結婚に自由はない。国の都合により嫁ぐ相手を決められ、自分から選ぶことなど不可能に等しい。おまけにアーサーは王に即位した後、側室だが既に6人の妃を得ている。この大陸において覇権を握るエルサティーナの王は絶大な力を持つ。側室でもいいので、輿入れしたいという話が後を絶たない。妃が増えすぎれば後宮の維持費により国が傾き、また怪しげな人間が王宮に入り込む隙を生む。だから五代前の王が妃の数を七人に制限するよう定めた。
妃は立場の高さにより第1妃から第7妃までに振り分けられることになる。
そして現在の王アーサーには第2妃から第7妃まで既にいる。残ったのは正妃となる第1妃の椅子だけである。アーサーは王として絶大な権力と富を持つだけでなく、その容姿も非常に優れていて、大陸中の乙女がみな憧れの的である。彼の正妻の座をあらゆる国とそこに住まう王族や貴族の女たちが狙っている。ベアトリーチェはかわいらしい容姿をしていたが、しかし美女揃いの上流階級の人間の中ではこれといって目立つものはない。そんな自分がアーサーの正妻に選ばれる可能性など皆無に等しく、ベアトリーチェはアーサーへの恋を叶わぬ願いだと思っていた。
しかしどんな奇跡が起こったのか。三日前15歳になったベアトリーチェは王から呼び出された。一般的に王族の結婚は15歳が最も多く縁談の話だとベアトリーチェはすぐさま察した。まだ、アーサーへの思いを捨てきれずにいたベアトリーチェは断るつもりで王の下へ向かった。そこで聞かされたのは信じられない話だった。
エルサティーナからベアトリーチェを正妻として迎えたい。と言ってきたと。
その言葉を聞いたとき、ベアトリーチェの頭は真っ白になった。だが、体のほうは無意識にでも動いたようでこくんと深くうなずいたらしい。
気がついたときには準備がすすめられていて、嫁入り道具が用意され、エルサティーナへの馬車も準備され、ドレスの仕立てもすんでいた。そして自分がアーサーへの想いを何度も語ったレティシアは、満面の笑顔でベアトリーチェを飾り立て、彼女にしては珍しく弾んだ声で自分に語りかけてくれていた。
一方、ベアトリーチェのほうは茫然自失といった感じで、周りの人間にされるがままの状態だった。
腹違いの姉が自分の元を訪れ、不機嫌そうな顔で何か言ったがあまり覚えていない。
そんな放心状態のベアトリーチェだったが、馬車に乗せられ旅がはじまるとだんだんと正気を取り戻していった。
「ねえ、私アーサーさまと結婚するの?」
旅がはじまってからもまだどこか意識を飛ばしたままのベアトリーチェが何度も繰り返す間抜けな問いかけを、レティシアは馬鹿にした様子もなくやさしい笑顔で何度も肯定する。
「ええ、そうです。ビーチェさまはアーサーさまと結婚するのですよ。」
「ほんとに?」
「はい、ほんとうです。」
何度も確認したがるベアトリーチェに、レティシアは何度も答え続ける。
叶わぬと思っていた想いが叶い、喜びのあまり呆けてしまっている主人の姿はレティシアにとても愛おしく見えた。
レティシアはベアトリーチェを敬称はつけつつも「ビーチェ」と愛称で呼ぶ。主従としての立場はあるものの、ベアトリーチェとレティシアの信頼関係は厚く、あらゆることを話し合う親友でもある。
何度もベアトリーチェからアーサーの想いを聞かされていたレティシアは、今回のことをベアトリーチェと同じぐらい喜んでいた。むしろ傍目には呆けて表情がいまいち現れないベアトリーチェより、常ににこにこといつも以上の笑顔でかいがいしく世話を焼くレティシアのほうが幸せそうに見えた。
そんな気が抜けたようだったベアトリーチェも、旅がはじまりエルサティーナに近づいていくほどに状況を実感し、喜びの表情を浮かべるようになっていった。
そして馬車は今エルサティーナの国境に近づき、ベアトリーチェは満面の笑顔になり幸せそうな空気を振りまいていた。
「レティ、私の頬をつねってみて!」
そういってベアトリーチェは対面にすわるレティシアに頬を差し出す。
「いいですわよ、ビーチェさま。」
応じたレティシアは、ちょっといたずらっぽい笑顔を浮かべベアトリーチェの頬をつねると、優しくでも微かにひねりを加えてあげる。
「いたいいたいいたい~!」
手をわてわてと振り回す王女を、レティシアは楽しげに眺める。
「はなして~!おねがい~!れてぃ~!」
悲鳴をあげるベアトリーチェに、レティシアは頬をつかんだ指をぱっと離す。
「夢じゃないとわかりました?」
笑顔で問いかけるレティシア。ベアトリーチェは涙目だ。
「もう~、わかったけど痛くしすぎだよ~。」
ちょっと赤くなった左頬をさすりながら、レティシアを見るベアトリーチェの瞳はちょっと恨めしげだ。だが、その表情も長くもたない。
「えへへ。」
湧き上がってくる幸せな気持ちを抑えきれず、すぐにほにゃっとした笑顔に変わってしまう。その表情をみてレティシアも微笑む。
「でも結婚できたからといっても、これからのほうが大変だよね。」
ベアトリーチェの胸に不意に不安な影が差す。
いくらアーサーとの結婚が叶ったといっても、ほかに妃は6人もいるのだ。
何らかの政治的事情で結婚今の立場になれたと考えるベアトリーチェにとって、結婚してから愛されることは確約されたことではない。
むしろうわさに聞くと美女揃いの側室たち、自分なんか相手にしてもらえない可能性もある。
ベアトリーチェの恋が真の意味で叶うのはこれからが肝心だと言えた。
それでも傍にいることすら望めなかったころからすると、信じられないほどの幸運なのだ。
「大丈夫です。ビーチェさまならきっとアーサー様の心を射止めることが出来ます。」
レティシアはベアトリーチェの気持ちをすぐに理解し勇気付けてくれる。
「うん、私、アーサーさまにたくさん愛してもらうようにがんばる。レティも応援してね!」
「もちろんです。」
そう応じてくれた親友の笑顔が、ベアトリーチェの心の不安を溶かしてくれる。
「殿方を虜にするにはまず髪ですわ。ビーチェさまの髪は何もしなくても綺麗ですが、整えればもっと綺麗になります。髪油を使いましょう。」
「えー、やだぁ。べたべたするもん。」
化粧箱からその物を出しながら言ったレティシアの提案をベアトリーチェが子供っぽく拒否する。
美しい蜂蜜色の髪を持つベアトリーチェだが、髪に付ける油などはあまり好きではなかった。
「だめです。ビーチェさまがさらに綺麗になるためです。主の命令に背くことになろうともやらせていただきます。」
まじめぶった顔で、でも口元は微笑を湛えながら、レティシアは髪油を片手にベアトリーチェに迫る。
「やだやだー!やめてー!」
きゃーきゃー楽しげな悲鳴を上げながら、ベアトリーチェはレティシアから遠ざかろうとする。
「ビーチェさま、お覚悟を。」
「い~や~で~す。」
2人はそんなに広くない馬車内で、座りながら小さな追いかけっこをはじめる。
どちらも顔には笑顔が浮かび、自然と笑い声がこぼれる。
王女と侍女が仲良くじゃれあう間も、馬車はエルサティーナに近づいている。
2人はその先に幸せがあるのだと疑っていなかった。
説明が多すぎたり、話が寄り道したりで読みにくいものを書いてしまった自覚があります。
でも自分で書いたものなので本当のところどうなのかよくわかりません。
校正の必要があるならしたいのですが、必要ないのなら出来るだけ話を前に進めたいと思います。
「読みにくい」「わかりにくい」などの率直な感想を頂けたらうれしいです。