15.『侍女の選択 4』
あの会談の後、城の地下に連れていかれた私は大掛かりな魔方装置の上に乗せられた。
魔法装置は私が乗ると、青い光を放ちずっと輝き続けた。それを見て、カシミールさまとアーサーさまは頷き合うと、今度は私を城の最上階へと連れて行った。そこはなんと陛下の私室だった。
「レティシア。私と結婚して欲しい。」
その言葉を聞いたとき、わけがわからず茫然となった。
目の前にいるのは、アーサーさま。このエルサティーナ国の国王。ベアトリーチェさまの大切な想い人。もうすぐベアトリーチェさまと結婚するはずの方。
なのに…。
「何をおっしゃるのですか…?」
エルサティーナの事情は聞いた。自分が昔あった大国の王族の末裔であることも聞いた。だが、それがなんだというのだ。
「この国の王妃として迎えよう。私の妻になって欲しい。」
アーサーさまは表情を変えず同じことを言う。
「そんなことをしたらベアトリーチェさまはどうなるのですか!?」
私は叫んだ。信じられずアーサーさまを見る。アーサーさまの顔は固く何も表情は見えなかった。
「ベアトリーチェとの婚姻は破棄させてもらう。」
「…!」
息を呑んだ。そんな馬鹿な話あるか。ベアトリーチェさまはあんなに嬉しそうにしてたのに。あんなに喜んでいたのに。
「お断りします。その話をお受けすることはできません。」
私はアーサーさまをにらみつけるようにしながら言った。当然だった。ベアトリーチェさまを裏切る選択なんてしようと思わない。
私の言葉を聞いても、アーサーさまの表情は変わらなかった。その瞳に感情は見えず、ベアトリーチェさまと笑顔で話していたときとは別人のようだった。
「ふむ…。」
すると、王家の事情を話してから、一切しゃべることのなかったカシミールさまが私のほうを厳しい眼差しで見てきた。
「どうやらレティシアさまは、ベアトリーチェさまのためにこの話を断ろうとしていらっしゃるようだ。」
「当然です。」
国の為とはいえ、ベアトリーチェさまを裏切ろうとしたアーサーさまの行動には考えさせられるものがあった。しかしベアトリーチェさまにとっては、アーサーさまと結ばれることが何よりの幸せ。その幸せを奪う選択肢などあろうはずがない。
「残念ですが、あなたが断ろうとベアトリーチェさまとの婚姻の話が破棄されることは変わりません。」
「なっ…!?」
私は目を開いた。公爵の言葉は続く。
「皇家の生き残りが見つかった以上、正妃として迎えるのはもうその方だけです。ベアトリーチェさまを正妃としてお迎えすることはできません。」
「あなたたちが!あなたたちがベアトリーチェさまを呼んだのではないですか!」
私は叫んだ。怒りを持って。あまりにも酷すぎるベアトリーチェさまへの仕打ちに。
だが、老練の貴族の心はそんなもので揺れることはなかった。
「はい、ベアトリーチェさまには非常に申し訳ないことをしたと思っております。ですが、申し上げたことは変えることの出来ない事実です。」
眩暈がした。
ベアトリーチェさまが望んだ幸せな未来が今閉ざされようとしている。そしてその原因となったのは私という存在なのだ。何故…、ベアトリーチェさまを幸せにしたいと思ってがんばってきたのに…。何故こんな!
ショックにうち震えるレティシアに、公爵がかけた言葉はさらなる追い討ちだった。
「もし、あなたが陛下との婚姻を断られた場合、あなたを自由にすることは出来ません。我々の目の届くところで暮らしてもらうことになります。」
それは自分がベアトリーチェさまと引き離されるということ。
「それに皇家の情報についても秘匿し続けることになります。そうなればベアトリーチェさまとの婚姻を破棄した理由も発表出来なくなります。」
婚姻が破棄された場合、ベアトリーチェさまはフィラルドの顔をつぶすことになる。しかもその理由が不明となれば、人々はこぞって悪い噂を囁きあうだろう。
レティシアはぞっとした。
そうなったら、ベアトリーチェさまに冷たいフィラルド王宮の人間たちが、彼女にどんな仕打ちをしようとするか。疎まれつつも無関心であった以前とは比較にならない、明確な悪意が彼女にぶつけられる。フィラルドに彼女の味方をするような人間はいなかった。そしてそのとき私は隣にいられないのだ…。
「もし、あなたが婚姻を了承してくださるのなら、フィラルドへの説明はきちんとしましょう。あなたをフィラルド国王の養子としてから、エルサティーナの正妃に迎えることによってあちらの面子を保つこともできます。」
カシミールの言葉を聞いた、レティシアの唇はわなわなと震えた。
そんな馬鹿な話あるかと叫びたかった。すべてを投げ出して拒否してしまいたかった。
でもそうすれば、今崖のふちに立たされているベアトリーチェさまは、どこから突き落とされてしまうのだ。
どうすればいいかなどわかっている。この状況で最善の選択が何かも。
でも、でもだ。
うれしそうに笑っていたのだ。ベアトリーチェさまは。アーサーさまと結婚できると聞き、呆然とし、やっとその状況が飲み込めたとき。花が綻ぶような笑顔で。あの時以上の笑顔で。
本当にうれしそうで、幸せそうで、私も幸せな気持ちで。これからベアトリーチェさまが歩いていく幸福な道の端で、この綺麗な笑顔を眺めていけるのだと思っていた。
自分の大切な主が5年以上大切に抱き続けていたその想いが、ついに叶ったのだと。
レティシアは呼吸をしようとしてえづいた。
手は強く握り閉められ、その手のひらは汗で濡れていた。
もし自分がここで嫌だといえば、ベアトリーチェさまはとてつもない苦境に落とされる。フィラルド国王はベアトリーチェさまをもともと気に入られていなかった。最悪その命すら脅かそうとするかもしれない…。
ぎりっ。食い締めた歯から血が滲んだ。心の痛みに顔が歪んだ。
涙は出なかった。泣く資格などなかった。今から大切なあの人のいちばんの幸せを奪う自分に泣く資格などなかった。涙を流していいのは、あの人だけだ。
自分の唇がゆっくりと動く、ひゅっと空気を吸い込む。喉を伝う空気が鉛のように重く感じた。
目をつむるとベアトリーチェさまの姿が心に浮かんだ。胸にひとつ大きく痛みが浮かんだ。
ベアトリーチェさま…。
レティシアは両手を合わせ握った。何かに祈るように。
そしてアーサーに告げた。
「婚姻の話お受けします。」
レティシアは選択した。ベアトリーチェさまが最悪の状況に陥るのを避ける道を。自らの手でベアトリーチェさまの幸せを奪い取る道を。