12.『侍女の選択 1』
レティシアは大通りを走る馬車をきょろきょろと目で追っていた。
通りを歩く人々は、レティシアを見るとあからさまに顔をしかめる。そうでない人も、関りあいたくなさそうに距離をあけて横を通る。
ここは王都の高級市街、道を歩く人々の身なりはとても綺麗で、レティシアの着ているぼろぼろで薄汚れた服は酷く目立っていた。レティシアは耐えず視線を動かす。巡回している兵士に見つかればここから追い出されてしまう。普段なら、レティシアもこんなところに来たりしない。でも、今日はここでやらなければいけないことがあるのだ。
レティシアが居る孤児院はもう限界だった。自分たちの孤児院は援助もろくに貰えず、たったひとりで孤児たちの面倒を見てくれていた院長先生は、児童を寝かしつけた後も働きに出て子供たちの食費を稼いでくれていた。年長の自分たちはなんとか働いて院長先生を助けようとしたが、子供が貰えるような賃金ではろくな助けにはならなかった。
院長先生はついに無理がたたって、肺炎で倒れてしまった。薬があれば直るのだが、孤児院にそんなお金はない。それどころか、院長先生が倒れてから、孤児院の財政はさらに悪くなった。院長先生の具合は日増しに酷くなり、子供たちはろくにご飯も食べられず飢え始めている。
もう、自分たちだけではどうにもできない状況。孤児院の子供の中で一番年長だったレティシアは決心した。王さまに直接お願いしよう、と。
孤児院の仲間たちは止めてくれた。危険だと。そんなことやらせるわけにはいかないと。実際何人かの人間が、王さまの馬車を止め直接話を聞いてもらおうとして処刑されたと聞いた。
それでもレティシアの決心は変わらなかった。
このままでは院長先生は死んでしまう。子供たちも体が弱い子から死んでしまう。そんな状況を変えたかった。
本音を言えば恐ろしい。ここにくるまで何度も怖気づきそうになった。でも、自分たちの窮状がちゃんと伝われば王さまも動いてくれるはず。レティシアはそう思った。
そしてこの場所に来た。今日この通りで王さまが乗られている馬車が通ると聞いて。
市街地の人間から嫌な目で見られているのを無視して、目を凝らして通りを通る馬車たちを見つめた。
それらしき馬車はひとつもない。
胸の中にある不安は時と共に大きさを増していく。
それでもレティシアは探す。わずかな希望を胸に。
そして遂にレティシアの目が、向こうから来る一つの馬車を捕らえた。その馬車には銀色の紋章が刻まれていた。片羽と宝玉の意匠。間違いない、フィラルド王家の紋章だ。
レティシアは拳を握り締め、覚悟を決めると、その馬車の進路に立った。
馬車が速度を落とし、レティシアの前で止まる。
レティシアは急いで地面にひざを付け跪き頭を地面に付けると、一晩中考えた口上を述べようとした。
「馬車を止めてしまい申し訳ありません。ですが、国王さまにおねがいがっあぐぅ!」
しかし最期まで言うことは出来なかった。
一瞬意識が飛び、気が付くと地面に仰向けに倒れていた。顔面を蹴り飛ばされたのだと気づいた。視線を下げると、すさまじい形相をした兵士が剣に手をかけ自分を睨んでいるのが見えた。
鼻から鉄錆びた血のにおいがする。
「ぁ…」
何かしゃべろうにも、三日間何も口にしていなかった体はもう動かなかった。
「乞食の餓鬼が!王家の馬車を止めるなどとは!その不敬死をもってつぐなえ!」
すらりと、護衛の兵士が剣を抜くのが見えた。
院長先生の顔が、孤児院のみんなの顔が頭の中をめぐる。
ごめんね、みんな。私何もできなかったよ…。
死への恐怖、蔑ろにされる悲しさ、何もできなかった悔しさ。レティシアの目じりに涙が浮かぶ。
剣が振りかぶられ、レティシアの命が絶たれようとしたとき。
「まって!」
甲高い少女の声が当たりに響いた。
「…さま、何を!?」
「お待ちください!」
何やら焦ったように騒ぐ女性たちの声が聞こえる。
「まちなさい!」
もう一度少女の声がし、たったったと駆ける足音が近づいてくる。
自分を殺そうとしていた兵士は、驚いた顔で後ろを見ていた。
そして仰向けで動けないレティシアの視界に、一人の少女が現れた。
「あなた大丈夫?怪我はない?」
ぺたぺたぺた、と自分の体を心配そうな顔でさわってくる少女を、レティシアは茫然と見つめた。
蜂蜜色の髪に、柔らかそうな白い頬、茶色の目はくりくりと大きい。小柄な体つきをしていて、綺麗な青いドレスを纏っている。その可愛らしさはまるで人形のようだとレティシアに思わせた。着ているものはひと目でわかるほどの高級品で、位の高い貴族の子女だと感じさせた。
「大変、鼻血が出てるわ!」
少女は細かい意匠の付いたハンカチを、出血しているレティシアの鼻に当て血をぬぐいはじめた。白いハンカチが血の色に染まっていく。
貧しい暮らしをしてきたレティシアの格好は、清潔とは言いがたい状態だった。そんな自分たちを見て、高級市街に住む良家の子供たちは触りたくないとはき捨てた。なのに目の前の少女はそんなの気にした様子も無く自分に触れてくる。ドレスが汚れるのにも構わずに。
少女はレティシアの血をぬぐい終えると、振り返りきっと兵士を睨みつけた。
「あなた、こんな子供にいったい何をしてるの!」
少女も自分と同じぐらいの年のはずなのに、兵士をしかりつけるその姿はある種の風格を纏っていた。
「いえ…、ですが…。」
しどろもどろになって、言い訳をしようとする兵士。
それを無視し、少女は再びこちらに向き直る。
「顔に傷がついちゃったね…。」
頭の後ろに腕を添えられ、その綺麗な手で優しく顔を撫でられた。自分の覗き込む目は優しさで満ちていた。
レティシアは思った。この人なら助けてくれるかもしれない。この人なら自分たちの言葉を聞いてくれるかもしれない。
「あ…あの…、おね…が…」
何とか自分の思いを伝えようとしたが、言葉がでてこなかった。切れた口がうまく動かなかった。殺されかけたショックで舌が固まっていた。
そんな自分を見た少女は安心させるように微笑みかけた。
「大丈夫。話はあとでちゃんと聞くわ。今は手当てをしないと。」
そう言うと、少女は後ろを振り向き、一歩引いたところで立っていた侍女に話しかけた。
「この子を連れて帰るわ。怪我の手当てをしないと。それにとても痩せてる…。」
それを聞いた侍女の反応は芳しくなかった。
「ですが…。どう見ても貧民の子です。宮に入れるのは…。」
あからさまにレティシアを連れて帰ることを反対している。しかし少女は引かなかった。
「この子は私の友達よ。友達を招待するのなら構わないでしょ。」
「……。」
明らかな嘘だったが、反論する証拠があるわけでもない。侍女は眉をしかめ不満げな様子だったが、少女の言葉にもう何も言わなかった。
揉めている雰囲気にレティシアは不安になる。大丈夫だろうかと。
少女はそれに気づいたらしい。レティシアの頭を抱え上げると、そっと少女の胸に押し付けた。その手のひらは、優しくレティシアの髪を撫で付ける。
「あなたが私に何を言おうとして馬車の前に立ったかは解らないわ。でも私が出来うる限りのことをすると誓います。だから今は休みましょう。」
少女の温もりにレティシアの頬を涙が伝い落ちた。髪を梳く手が、緊張とショックで引き攣った心を解きほぐしていく。
自分よりも小柄な少女に抱きしめられながら、レティシアはゆっくりと意識を落としていった。