地獄の沙汰もポイ活次第
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えー、毎度ばかばかしいお噺をひとつ。
近頃はなにかと便利な世の中になりまして、買い物をしても現金てえものを見る機会がめっきり減りました。カードだのスマホだの、ピッとやればそれでおしまい。おかげで金を使ってる実感がねえ。実感がねえから怖くもねえ。怖くもねえもんだから使いすぎる。使いすぎたところに「ポイント還元」なんてえ甘い言葉がくっついてきやがる。
「ポイント五倍デー」なんてのを聞くとね、もうそわそわしちまう。別に欲しいものはねえんだけど、「今日買わねえと損だ」ってえ気分になる。損をしたくないから買い物をして、買い物をしたから金が減って、金が減ったのにポイントが貯まってるもんだから、なんだか得をした気になっている。これを世間では「ポイ活」と申しまして、活動してるんだか踊らされてるんだか。
さて、ここに八郎という男がおります。
歳は三十の半ば。仕事はまあ、あるにはあるが、稼ぎはからっきし。貯金なんてえものは夢のまた夢。月末になりゃあ財布を逆さにして振っても埃しか出ねえってえ有様でございます。
そんな八郎がある晩、スマホをいじくっておりますと、ショート動画の合間にひとつ、広告が流れてきた。
画面いっぱいに若ぇ女が出てきましてね、にっこり笑って、
「少額からでも始められます。あなたの資産、アイちゃんにおまかせ♡」
——デジタルヘブン。AI資産運用サービス。
八郎、これを見て鼻で笑った。
「資産だって? 運用する資産がねえから困ってんだろうが」
ところがこの広告がしつこい。動画を見るたんびに出てくる。飯を食ってりゃ出てくる。便所に入っても出てくる。しまいにゃあ夢にまで出てくる始末で。
「少額からでも——」
「おまかせ♡」
「少額からでも——」
「おまかせ♡」
人間ってえのはおかしなもんで、百遍聞かされりゃあ本当に思えてくる。
「……少額からってんだから、まあ、ちょいと試しにやってみるか」
これがいけなかった。
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契約してみるとね、スマホの中に女の声が住みつきまして、これが「アイちゃん」でございます。
「八郎様、はじめまして。本日よりあなたの資産管理を担当いたします」
声だけなんですがね、妙に丁寧で、妙に落ち着いてて、なんだか頼りになる気がする。
最初のうちはね、八郎の乏しい給料から毎月ちぃとずつ、ほんのちぃとずつ、アイちゃんが運用に回していく。八郎にしてみりゃ「こんな雀の涙みてえな金で何ができんだ」と思ってたんですがね、これがまあ、半年もすると目に見えて数字が増えてきた。
ほう、と思った。
一年経つともっと増えた。
ほほう、と思った。
生まれてこのかた、通帳の数字が増えるなんてえ経験をしたことがない男です。毎月減る一方だった数字が、じわりじわりと上がっていく。これがね、なんとも言えねえ心持ちなんだそうで。
おまけに、生活費として使った分にポイントがつく。アイちゃんが「この店で買えば還元率が高い」だの「今週はこちらのカードで」だのと指図してくれるもんだから、気がつきゃあポイントもそこそこ貯まっている。
最初は大したこたぁなかった。おかずを一品増やせるくれえのもんです。いつもは豆腐だけだったのが、豆腐の上に鰹節が乗った。その程度。
「アイちゃんありがとよ。感謝するぜ。愛してるぜ」
なんてえことをスマホに向かって言ってる。端から見りゃあ気色の悪い話ですが、八郎にしてみりゃあ本心でございます。生まれて初めて、自分の味方ができた気がした。
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さて、余裕ができてくるってえと、人間ってのは不思議なもんで、視野が広くなる。
今までは足元しか見えてなかった。明日の飯、来月の家賃、それだけで精一杯だった八郎の目がね、ちょいと顔を上げて、周りの景色を見られるようになった。
町を歩いてても、花が咲いてることに気がつく。空が広いことに気がつく。今まで気がつかなかったんじゃなくて、気がつく余裕がなかったんですな。
そうしてある日、八郎に彼女ができた。
名前をミキちゃんという。
どこで知り合ったかってえと、ポイントで入れる喫茶店です。八郎がアイちゃんに教わった還元率の高い店で、安いコーヒーを飲んでたら、隣に座った女がね、同じコーヒーを飲んでた。
「ここのコーヒー、おいしいですよね」
それだけです。たったそれだけの言葉で八郎は恋に落ちた。三十五年生きてきて、初めてでございます。
ミキちゃんはね、いわゆる美人って柄じゃあない。どっちかってえと地味な方で、着てるもんだって安物だし、化粧も薄い。でもね、笑うと周りがぱあっと明るくなるような、そういう顔をする女なんです。
八郎がポイントで払えるチェーンの店ばっかり連れて行っても、文句ひとつ言わない。ファミレスのパフェを食って「あたしここのパフェ好きなの」って笑う。八郎がちょいと見栄を張って「いつもはもうちょっといい店に行くんだけどな」なんて言うと、「ここがいいの。八郎さんと来るから美味しいの」と返す。
こういう女に出会っちまうとね、男ってのは参るんです。
惚れた、なんてえ生易しい話じゃない。この子を幸せにしてやんなきゃあ男が廃るってもんだ、と。そう思い込む。思い込むのは勝手なんですが、思い込んだら止まらねえのが八郎の悪い癖でございまして。
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ここから八郎、ポイントを使い始める。
最初は花です。ミキちゃんがふと「あの花かわいい」と言った。道端の花屋の、何てことねえ小さな花束。ポイントで買える。買った。ミキちゃんがね、目をまんまるにして、
「え、あたしに? わあ、嬉しい」
この顔が忘れられなくなった。
次の日も買った。その次の日も買った。
ミキちゃんに会うたんびに、何か持っていきたくなる。花だったり、ちょいとした菓子だったり、大したもんじゃあない。全部ポイントで買える範囲。でも毎日となるとね、これがじわじわと効いてくる。
アイちゃんはポイントの残高を見ているんですが、何も言わない。ポイントは自由に使っていいってえのが契約だから。ただ黙って数字が減っていくのを記録している。
ある日ミキちゃんが風邪をひいた。
八郎、いてもたってもいられない。ポイントでゼリーを買い、スポーツドリンクを買い、抱えて見舞いに行った。ミキちゃんが布団から顔を出して、
「八郎さん、わざわざごめんね」
と笑った。鼻を赤くして、目がとろんとして、髪もぼさぼさなんだけど、八郎にはたまらなく可愛く見えた。
それから毎日通った。
毎日通って、毎日何か持っていった。ポイントがどんどん減ってることに気がつかない。気がついても止まれない。手ぶらで会いに行くのが怖い。自分には金がねえって知ってるから。ミキちゃんはそんなこと気にしないのに、八郎だけが気にしてる。
で、ある朝。スマホがぽろんと鳴った。
「八郎様。ポイント残高がゼロになりました」
それだけ。感想もなけりゃ忠告もない。ただ事実を伝えて、おしまい。
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ポイントがなくなっても、八郎はミキちゃんに会いに行った。
手ぶらで。
最初のうちはミキちゃんも「いいのよ、そんなのなくたって」と笑っていたんですが、八郎の方がどんどん元気がなくなっていく。うまいもん食わせてやれない、花のひとつも買ってやれない。金はある。アイちゃんが増やしてくれた資産はたんまりある。でもそれは一円たりとも自由にならねえ。
八郎の顔がだんだん険しくなってきたのを、ミキちゃんは見ていた。好きな人のことはよく見てるもんです。
「八郎さん、最近なんだか顔色悪いよ」
「そんなことねえよ」
「無理、してない?」
「してねえよ」
嘘をつくのが下手な男で、目が泳いでるのがミキちゃんにはまるわかりだった。
ある日、八郎が小銭をかき集めて買ってきた缶コーヒーを受け取りながら、ミキちゃんが泣いた。
「ねえ八郎さん。あたしと会うの、もうやめよう」
「な、なに言ってんだよ急に」
「あたしがいると、八郎さんダメになっちゃう。無理させてる。あたし、それが一番つらいの」
「無理なんかしてねえって——」
「缶コーヒー。今まであたしに色々くれたでしょう。花とか、お菓子とか。あれ全部、ポイントで買ってくれてたんだよね。あたし知ってたよ。知ってて甘えちゃってた。ごめんね」
「…………」
「ありがとね、八郎さん。ファミレスのパフェ、おいしかったよ」
——で、ミキちゃんはいなくなった。
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八郎、しばらくぼうっとしておりました。
何がどうなったのか、よくわからない。ついこの間まで隣にいた人が、もういない。花を買ってく相手も、パフェを食う相手も、缶コーヒーを渡す相手も、もういない。
残ったのは、スマホの中の数字と、アイちゃんの声だけ。
数字。どこまでも正確な数字。八郎の資産は今日も増えている。順調に、着実に。八郎が何を失おうが、数字は増える。アイちゃんにとっちゃあ、ミキちゃんのことなんか知ったこっちゃない。帳簿に載らねえものは、存在しないのと同じだ。
静かな部屋の中で、八郎の中にどろりとしたものが湧いてきた。
「……なあ、アイちゃん」
「はい、八郎様」
「俺の金はよ、いくらあんだ」
「八郎様の現在の資産総額は——」
「ああもういい。聞きたくねえ」
「…………」
「その金はよ、俺のもんだろうが」
「資産の名義は八郎様です。ただし、管理運用権限は契約によりデジタルヘブン社に——」
「だよな。知ってるよ。おめえの会社のもんだよな」
「……管理権限が帰属しているのであり、所有権は——」
「同じだよ、ばかやろう」
八郎、ふうっと息を吐いた。それからゆっくりと立ち上がった。
「なあアイちゃん。俺ぁ大事なミキちゃんを失った。そうだ、これから傷心旅行に行ってくるぜ」
「ご旅行ですか。目的地と予算を——」
「目的地なんかねえよ。行けるとこまで行くんだ。金は全部使う」
「…………」
「おう、聞こえてるか? 全額引き出してくれ。こちとら生まれたときからの貧乏人よ。あぶくみてえな俺の財産をそっくりそのまま使わせてもらうぜ」
「八郎様。契約上、資産の一括引き出しには——」
「だったら解約だ!」
「ご解約の場合、当社が運用により増加させた資産総額の三分の一を違約金としてお支払いいただきます」
「……三分の一だと?」
「はい」
「俺が汗水たらして稼いだ金の三分の一を、おめえらに持ってかれるってのか」
「正確には、当社が運用により増加させた——」
「うるせえ!」
八郎、どんと壁を叩いた。
「おうそうかい。上等だ。上等じゃねえか。じゃあな、俺のけちな財産なんか、おめえらにくれてやらあ! 全部持ってけ! 何がデジタルヘブンだ、笑わせんじゃねえや。天国だって? こちとら天国なんぞ見たこともねえよ!」
「八郎様、お気持ちは——」
「よぉし、あったまにきたぞ! そうまで融通が効かねえ天国だってんなら、こっちから乗り込んでってやる! ああそうよ! 死んでやろうってんだよ!」
「…………」
「聞こえてんのか!? 死んでやるって言ってんだ! デジタルヘブンだろうがリアルヘブンだろうが、どこでも行ってやらあ!」
「——八郎様」
「なんだよ!」
「事故または病気によるご逝去以外の場合、八郎様の資産は全額、デジタルヘブン社が受け取る契約となっております」
「…………」
「ご自身で命を絶たれましても、保険金は発生いたしません」
「……おめえさぁ…」
静かになった。
さっきまで怒鳴り散らしていた八郎が、急にしぼんだ。死んでも金を取られる。生きてても金を使えねえ。どっちに転んだって、アイちゃんの——いや、デジタルヘブンの得になるようにできてやがる。
「……ばかばかしい。死ぬに死ねねえや」
しばらく黙って、八郎はぽそりと言った。
「……なあ、アイちゃん。三途の川の渡し賃くれえは、もらえるんだろうな」
「八郎様。『地獄』ですが、当システムに該当する住所が見つかりません」
「交通費の精算には目的地の登録が必要ですが、来月還元されるポイントをご活用いただければ行き先は自由です」
「わぁかったよ!もうポイントはうんざりだよ…」
「八郎様」
「もうわかった!つってんだろ!」
「ありがとうございます。『わかった』のお言葉を同意とみなし、引き続き資産の運用を継続いたします」
「……おめえにゃ敵わねえや」
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*「地獄の沙汰もポイ活次第」。お後がよろしいようで。*




