第四話 『白獣顕現』
魔法輪車が横倒しになり、気づけば僕は側面の壁に立たされていた。
まるで鉄獣の歯ぎしりのような騒音が消え――
息を止めた車内に、不自然な静けさが満ちている。
「怪我はないか? ルエト」
「はい、全然平気です。叔父さんも?」
「ああ」
ガッ、ガガーッ――。
金属を噛み砕くような雑音のあと、声が落ちてきた。
『こちらは、帝営ヨルルガ鉄道デ、デス』
(この調子では、正確な状況がわかるのか?)
『この度は、申し訳アリません。
十八階、十二階、五階に、魔物が侵入しておりマス。
直ちに、他ノ階へお逃げ下サイ』
そのアナウンスが終わらないうちだった。
声にならない悲鳴をあげながら、五階だった輪車内から、
十人ほどが雪崩れ込むように、この四階へ逃げてくる。
顔色を失った者、叫ぶ者、扉を押さえて閉めようとする者。
そのまま通り抜け、三階へと降りていく者もいた。
四階は、人の恐怖で満ちるように、騒がしくなった。
(再び、こんな早く出会うとは……)
五階からの輪客の中に、彼女――カルルラがいた。
(偶然だと、言い切れるほど――
僕はもう、若くない)
カルルラは、侵入口を必死に押さえていた。
魔物がこちらへ雪崩込むのを、防ごうとしているらしい。
「叔父さん! 逃げないんですか?」
歪んだ扉の隙間から、不定形のゼリーが床を這うように、ぬるりと流れ込んでくる。
(あれは畑スライムか……対処法は……)
「もう持ちません! 皆さん、下がって!」
カルルラが叫ぶ。
そして、左手に持った杖を振り回している。
「――美味しいシチューは、火加減が大事!」
……それが、詠唱だったらしい。
杖の先から、小さな炎がふわりと灯る。
その炎を見ても、カルルラの顔を見ても、その魔法が得意だとは見えなかった。
一瞬だけ、スライムが身を引いた。
だが次の瞬間、逆に刺激されたように膨れ上がる。
伸びた体が、近くの男性の足に絡みついた途端。
まるで磁石に引かれるように、みるみるうちに飲み込まれてしまった。
「うわっ――!」
悲鳴は、途中で途切れる。
それを見て、扉を守る男たちは、そこから引き下がっていった。
最後に残ったカルルラも、こちらへ逃げようとした時だ――。
「きゃっ――!」
カルルラは後ずさろうとして足を取られ、
床に倒れ込み、杖を取り落としてしまった。
その隙を逃さず、スライムが彼女の足元へと伸びてくる。
「ルエト! 一緒に手伝うんだ!」
「え、はい!」
(そう、これは仕方ないことだ。
特別な感情が、残っているわけじゃない)
「ルエト、僕がまず手本を見せるから、お前は後ろにいるんだ」
(畑スライムは、巨大化する代わりに脆いところがある。
細かく裂かれると、体を維持できずに死んでしまう――
昔、覚えた知識だ)
ぬるり、と伸びてくる体を見据える。
(このスライムって奴は……
どこかで、考えて動いているのか……
それとも、ただの反射か)
「相手の動きを見ろ。ゆっくり近づいて――」
手を伸ばして、力強く。
それは、蒟蒻をちぎるような感触だった。
「――こんな感じだ!」
(僕は、あっという間に腕が重くなった。
息を整える前に、腰に鈍い痛みが広がる)
「よし、次はお前だ!」
たったこれだけのことで、息があがってしまった。
位置を僕と入れ替え、なんとか僕に声を掛けた。
「ちぎっている限り、向こうからはこないからな」
言えたのはそれだけ、後は僕の背中を叩いて送った。
小さくなったスライムはすぐに死ぬ。
だが、くっつかせてはダメだ。
なるべく、ばらけるように遠くへ投げる。
「すまんが、あなた方も手伝ってくれるか」
見ているだけで、やり方は伝わったらしい。
二人の男性が、無言で手伝いに入ってきた。
カルルラは――
「うわぁ」と言いながらも、ジュウゴの僕の隣でスライムを千切っていた。
先ほど飲まれた、男性を見つけた。
スライムを飲み込んでしまったらしく、激しく嘔吐している。
(飲み込んだスライムにも毒はあるが、
即座に死ぬものじゃない。
――それだけは、救いだった)
スライムは、四階輪車の中から逃げるように出て行った。
それに合わせて、五階の輪車からも、一気に姿を消したようだ。
どうやら、奴らにも自分の体を切られる感覚があるのかもしれない。
五階輪車を確かめるためだろう、カルルラが見に行った。
ジュウゴの僕も、興味があるのか、いっしょについて行く。
「きゃ」
小さく、カルルラが声をあげた。
僕も五階輪車を覗く。
そこには――
さっき見て覚えている、大きな白猫が倒れていた。
ジュウゴの僕が近づき、大猫の体を揺すっている。
「おい、猫君。がんばれ」
反応が薄い。
よく見れば、体中にスライムの破片がある。
どうやら、飲み込まれていたようだった。
「私にまかせて」
カルルラはそれだけ言うと、それが詠唱だとすぐ覚えてしまう口調で唱えだす。
「貴方の物は私の物。では私の物は――私の物よ!」
どんな効果の魔法かは、さっぱりわからなかった。
その時だ。
どこからか、すぐ近くで声がした。
「あ、これはヤバ」
それは――この大きな白猫からの声だった。
今、この場にいる皆が驚いていただろう。
特にカルルラの顔を見れば、猫が喋る魔法ではないのは一目でわかる。
「このクソメスガキが、我になんてことするんだ!」
その声は、どう聞いても人のものだ。
誰かが魔法で変身していたのだろうか?
だが、どう見ても猫だ。
大きいだけの白猫――
しかも怒っているらしく、さっきから地団駄を踏んでいるのだが……
その肉球から聞こえるのは、
〝ぽふ〟〝ぽふ〟〝ぽふ〟
という、間の抜けた音だけだった。
誰もが、言葉を失っている。
あれほどの混乱のあとだというのに、
今はただ、その音だけが輪車の中に残っている。
〝ぽふ〟〝ぽふ〟〝ぽふ〟
(これは、偶然じゃないだろう。
僕のためにも、見届けてみるか)
そう思った瞬間、
ジュウゴの僕が、白猫の前にしゃがみ込んでいた。
「……なあ、猫君」
白猫は、地団駄を止める。
その金色の目がまっすぐ――
初めてこちらを見た。




