第二話 『記憶接続』
「あっ……でも、そんなこと言っても、もうここで住むことになっているし。仕事だって……教えてもらわないといけないから……副都なんて――」
言葉が、そこで止まった。
(悩んでいたわけじゃない。
理由を探して、逃げたかっただけだ。
……この時の僕には、その理由すらなかった)
「それに、貴方は誰でしょうか? 大家さんですか? でもそんなこと言わないだろうし……もしかして、叔父さんか何かですか?」
「……ああ、そうだよ。どうだ、意外と顔が似ているだろ」
(自分でも分からないほど、人は老いる。
――まあいい。
断る理由を、考えてはいないはずだ。
副都という響きは、それだけで十分な理由になった)
「もうお前の母には言ってある。一緒に行かないのか?」
(あえて、選ばせた。
悩むだろう、優柔不断な僕は。
それでも必要だった、この自分で踏み出す一歩だけは)
「さあ、行くぞ。僕も副都で見たいものがあるんだ」
僕を置いて行くように、外へ出た。
部屋には何もない。何も持っていない。
……おや。
財布だけは、ズボンのポケットに収まっていた。
掌の中には、あの薄汚れたコインを握りしめたままだ。
コインを財布に仕舞いながら、僕に声を掛けた。
「早くしろ。もう行くからな」
「あ、はい……今、行きます」
少し、可笑しな気持ちになった。
ナナジュウにもなって、自分と旅ができるなんて。
僕にとっては、初めての長旅か――
ジュウゴで帝都を出るなんて、夢にも思っていなかった。
でも、味わわせてあげてもいいだろう。
僕は、僕についてくる。
あの狭く何もない部屋で住むための荷物を背負って。
(……あの中は、何が入っていたっけ?
どうせ大したものではないだろう)
狭い通路を抜け、長く続く階段を下りる。
やがて、広い墓所の道に辿り着いた。
裏通りゆえに、人影はない。
(この土地を離れて、生きていけるのか――
ナナジュウの年になって、考えられるようになったのは遅すぎたな)
「あ、叔父さん。あっちが魔法輪車の駅だよ。当然、あれに乗って行くんだよね?」
(魔法輪車駅か……奇妙だ。この感覚は懐かしさなのか?)
「ああ。行ける所まで行こう。……まずは白冠山までは行けるだろう」
(帝都と副都を繋ぐ、唯一の足。
……だが、もし本当にこの世界の時間が戻っているのだとしたら)
「まだ、ほとんどの線路は繋がっていないのか? なら奥帝都東まで出て、最速型に乗り換えるしかないな」
「奥帝都で聞けると思いますよ。まずはそこまでの切符を買って来ましょうか?」
「おう、それじゃあ頼むよ」
僕は財布の中から、皺の深い指で500銀貨をひとつ取り出した。
ジュウゴの僕は、まだ柔らかい両手で、そこに銀のコインが乗せられるのを待っている。
(丁寧だな……昔の僕はこうだった)
乗り場で魔法輪車を待っている。
ほどなくして、切符二枚とお釣りを握ったまま戻ってきた。
「奥帝都まで一枚110銀貨でしたよ」
そう言って、切符一枚とお釣りを差し出された。
銀貨が、掌の上でかすかに鳴る。
「でも叔父さんは、僕のことを知っているんですか? どこかであったのかな?」
「お前の母親……カタリナだ。昔は、僕を……いや、君をよく連れて遊びに行っただろ。帝都南の海で遊んだのは覚えてないか」
「えへへ。海に行ったのは覚えているけど、波が怖かったことしか覚えていないんです」
「そうか小さかったからな。それに僕は叔父じゃなくて大伯父だけどな。まぁ呼ぶのも面倒だから、今のままで構わないからな」
目の前の僕の笑顔を見て、僕も自然に微笑む。
(……自分なのに、可愛いものだ)
『ティリリリィ。――只今、奥帝都東行き七階建て魔法輪車、第二十五号の到着です。足元お気をつけて下さいませぇえ』
輪車の入口にあるスロットへ、一階用の切符を通して中へ入る。
扉などがない一階部分は、そこへ乗り込む人々が多く、会話をする余裕もなかった。
車体が揺れ、軋む音がリズムを刻んでいる。
そのリズムを数えているうちに――
輪車は減速し、”奥帝都東”に滑り込んだ。
一斉に人々が輪車から飛び出していく。
各階にプラットフォームがあり、上階に乗れば楽でよかったはずだと――
人波に揉まれながら考えてしまう。
でもいい。
ジュウゴの僕を見つけて肩を抱き、長距離輪車の切符売り場を探した。
騒がしい喧騒の中を歩く。
構内で迷子にならないようにと地図があった。
ここでも、魔法で簡単に目的地がわかるようになっていた。
(そうか、この辺りの仕組みは変わっていなかったな。魔法感知は浴び過ぎれば健康に悪いとこの頃から言われていたが……帝国が認めることはなかったか)
「深帝都からなら、全く乗り換えがないんですね」
(深帝都か。
ここからさらに奥まった場所で、魔法使いしか住めない土地だ。
……ジュウゴの僕には、遠かった)
「あはは、魑魅魍魎が住む深帝都、か。聞いたことあるだろう? 金とパスがあったとしても行かない方がいいかもな」
ジュウゴの僕は、少しだけ笑った。
「じゃあ、輪車切符の売り場はあっちみたいですね」
混雑した駅の構内では、理由もないけど気分が高鳴るようだ。
僕が先に歩き出せば付いてくる。
色々と話したいことはあるが、輪車に乗って落ち着いてからがいいだろうな。
長距離専用の切符は、階層ごとに値段が違う。
一階、二階は、どうせ騒がしい。
五階層からは、値段が一気に跳ね上がる。
選ぶなら、三階か四階だが……。
差は、ほとんどないな。
(一人、二五七七銀貨か。
……それなら、四階でいい)
四階専用切符を二枚買い、僕とジュウゴの僕とで分けて持つ。
一階から、上階へ向かうエスカレーターに乗り込んだ。
あとは、自動で四階層まで運ばれる。
――もう、ひと息ついた。
その時だった。
エスカレーターの下段――
目を引くというより、自然と視線がそこに落ちた。
着ているワンピースは、どこまでも澄んだ空の色。
凍てつく冬が近づくことなど、まるで忘れてしまったかのように鮮やかだった。
そして――彼女の存在感は――
一望千里にわたって咲き誇るヒマワリたちが、一斉に彼女を見つめているかのようだった。
……見間違えるはずもない。
〝ニジュウゴ〟歳まで、僕の隣にいてくれた。
共に生き、そして、僕が失った彼女だった。
まさか、彼女と再び出会うとは思わなかった。
それ以上に驚いたのは、ポーチからわずかにはみ出た杖の先端だ。
出会った当時、こんなものを持つ彼女の姿を、想像すらできなかった。




