第9話「絶体絶命」
太鼓の音が響いた直後、オーレリアの私室の扉が激しく叩かれた。
「王女殿下!緊急事態です!」
扉の向こうから聞こえる声に、ローリエルの能力が即座に警告を発した。
『ルートA:この場に留まる→数分後に刺客が到着、戦闘不可避』
『ルートB:急いで避難する→追跡され、より危険な場所で包囲される』
「まさか...」ローリエルが愕然とした。「アンジェリーナ様、あなたが狙われています!証拠隠滅のために!」
一同が息を呑んだ。
「私が...?」アンジェリーナが震えた。
「ヴィクトールはあなたの能力を悪用していました。でも今、あなたが私たちの仲間になったことで、その秘密が暴かれる危険が生まれたのです」ローリエルが急いで説明した。
先ほどの衛兵の声が再び響いた。
「王女殿下!刺客が王宮に侵入いたしました!すぐに安全な場所に避難を!」
しかし、ローリエルの能力はさらに警告を発していた。
『ルートA:扉を開ける→刺客が一斉に侵入、戦闘開始』
『ルートB:無視する→窓から侵入される、逃げ場を失う』
どちらの選択肢も危険だった。
「待って」ローリエルが仲間たちを制止した。「どちらにしても罠です。あの衛兵も偽物かもしれません」
オーレリアが決意を込めて言った。
「この王宮で、この王女が、大切な友人たちを守ろうとすることの何がいけないのでしょう」
その時、扉が勢いよく開かれた。入ってきたのは先ほどの「衛兵」だったが、その正体は黒装束に身を包んだ刺客たちだった。扉の外では本物の衛兵が倒れているのが見えた。
「アンジェリーナ・ルミエールを引き渡せ!」
ベルナデットが即座に剣を抜いた。
「王女の部屋で狼藉を働くとは!」
ベルナデットが入り口に立ちはだかり、刺客に斬りかかった。エステルは護身用の短刀を、コンスタンティアは隠し持っていた小さなナイフを手に取り、オーレリアも装飾用の短剣を抜いて構えた。ベルナデットの剣技は見事で、狭い入り口を利用して刺客を次々と倒していく。劣勢に追い込まれた刺客たちは窓から撤退していった。
残されたのは武器を手にした銀の薔薇のメンバーたちと、恐怖に震えるアンジェリーナだった。
そこへ宮内での騒乱を聞きつけた王宮騎士団が駆けつけた。
「何事だ!王女殿下のお部屋で...」
騎士団長が部屋の惨状を見て愕然とした。彼の目には、こう映った。
「女性の武装集団が、王女の部屋で騒乱を起こしている」
その時、ヴィクトールが現れた。
「やはり!ついに本性を現したな、銀の薔薇とやら!」
彼は偽の驚きを演じながら続けた。
「王女を人質に取り、宮廷で謀叛を企てるとは...もはや言い逃れはできまい!」
オーレリアが必死に説明しようとした。
「違います!叔父上、私たちは刺客からアンジェリーナ様を守ろうと...」
「刺客?そのような者はもういないではないか」ヴィクトールが冷笑した。「証人は全て、お前たちが武装して騒乱を起こしたと証言するであろう」
ローリエルは理解した。これが、ヴィクトールの真の計画だったのだ。
アンジェリーナを始末しようとして失敗したため、逆に「王女の部屋で武装蜂起したクーデター集団」として銀の薔薇を陥れたのである。
「捕らえよ!」ヴィクトールが命令を下した。
騎士たちが一斉に剣を抜いた時——
突然、部屋の奥の隠し扉が開いた。現れたのは金髪に青い瞳、威厳ある面立ちの青年——王太子ルドルフだった。
「ルドルフ様!」アンジェリーナが驚きの声を上げた。
(メインシナリオの攻略対象!このタイミングで!?)
メインシナリオ?攻略対象?何を言ってるんだ私は。
「待て!」
王太子の突然の出現に、騎士たちが戸惑った。
「すぐにここから離れる」王太子が銀の薔薇のメンバーたちに言った。「隠し通路から王宮の外へ」
「殿下、何を——」ヴィクトールが驚いた。
王太子は隠し扉を開けて振り返った。
「急げ!時間がない!」
「オーレリア様は!」ローリエルが振り返った。
「私は残ります」オーレリアが毅然として言った。「私が『刺客に襲われた被害者』として証言すれば、皆さんの無実を証明できます」
「でも危険すぎます!」ローリエルが心配した。
「むしろ、全員で逃げる方が危険です」オーレリアが冷静に答えた。「行ってください!皆さんが自由でいることが、私の希望です」
「待て!反逆者どもを逃がすな!」ヴィクトールが叫んだが、一同は心を痛めながらもオーレリアの決意を受け入れ、隠し通路へと逃げ込んだ。
通路を移動しながら、王太子が説明した。
「実は今夜、父上が急に倒れられた」
「王様が!?」アンジェリーナが驚いた。
「叔父上が『治療のため』として医師以外の立ち入りを禁止し、私も父上に近づけない状況だ」
薄暗い通路を急ぎながら、王太子は続けた。
「この隠し通路は、代々王族が緊急時に使用するものだ。今夜の一連の騒動を見て、叔父上の動きに不審を感じた」
「私たちが陥れられたと?」ローリエルが問いかけた。
「その通りだ。アンジェリーナ、私にも責任がある。君と出会って君の純真さに感銘を受けていた時に、叔父上が君を聖女候補に推薦し、私は同意してしまった。申し訳ない。その後、叔父上が君を利用していることを確信した」
前方に光が見えてきた。
一行は王宮から密かに脱出し、フォンテーヌ邸の前まで移動した。
「実は、グレイ伯爵の件を耳にした時も、君たちの正当性は理解していた。女性たちが互いに助け合うことに、何の問題もない。ただ、王太子という立場上、表立って支援することはできなかった」
「しかし今回、叔父上が君たちを陥れるためにこんな手段を使うとは...もはや傍観者ではいられなくなった」
「私は王宮に戻る」王太子が言った。「父上の容体も気になる。もはや叔父上に話が通じるとは思えないが、君たちを救う手立てを探す」
王太子は王宮へと向かっていった。
ローリエルたちが邸に入ると、父ギヨームが心配そうに迎えた。
「ローリエル、大丈夫か?今のは王太子殿下か?なぜ...」
「父上...少し難しい事態に巻き込まれていて、殿下がお助けくださったのです」ローリエルが慎重に答えた。
父はローリエルの表情を見て、それ以上は聞かなかった。娘が話したくないことがあるのを理解したようだった。
「そうか...」父がため息をついた。「お前が友人たちと何かをしているのは知っていた。詳しくは聞かないが、きっと正しいことをしているのだろう」
「お前の母親がお前が小さいころ『この子はいずれ、なすべきことがある。今はまだ早いけど…』と言っていたのを思い出す...その時は意味が分からなかったが」
父は書斎から小さな木箱を取り出した。
「形見だ。『なすべき時に』と言われていた。おそらく今なのだろう」
箱を開けると、美しい銀の髪飾りが現れた。薔薇の形をした小さな飾りで、中央には透明な水晶が埋め込まれていた。
「母上...」ローリエルは涙を浮かべながら髪飾りを受け取った。
状況は絶望的だった。
ヴィクトールは電光石火の速さで動いていた。緊急貴族院を招集し、「『銀の薔薇』と名乗る女性による危険な結社が王政転覆を企図し、王女を人質に取った」と告発。偽造された文書、買収された証人、そして王女の私室での武装騒動を「クーデター未遂事件」として提示していた。
一方、王宮ではオーレリアが軟禁状態に置かれていた。ヴィクトールは彼女に「刺客に襲われた被害者」として証言するよう強要していたが、オーレリアは真実を語ろうとした。しかし父王は毒で倒れており、彼女の言葉を聞ける状況ではなかった。
さらに、コープマン商会の件で屈辱を受けたグレイ伯爵が、復讐の機会を求めてヴィクトールに接触。銀の薔薇の具体的な活動内容や戦術を詳細に提供していたのだ。
一夜にして、銀の薔薇は王国の敵となった。
朝になると、事態はさらに悪化していた。
「女どもに死を!」
「反逆者を処刑しろ!」
外では既に数百人の群衆がフォンテーヌ邸を取り囲んでいた。
『ルートA:全面衝突→武力で制圧するが民衆の支持を完全に失う』
『ルートB:逃亡→一時的に安全だが、根本解決にならず』
『ルートC:投降→即座に処刑、全てが終わる』
ローリエルの能力は絶望的な現実を突きつけていた。全てのルートが破滅しか示していない。
(どうすれば...どうすれば皆を救えるの...)
その時、扉が激しく叩かれた。
「フォンテーヌ邸を包囲した!反逆者どもを引き渡せ!」
聞き覚えがある声だ。
ローリエルは仲間たちを見回した。
「皆様」
全てのルートが絶望を示している。しかし——
「私たちの物語は、まだ終わっていません」
だが、どうすれば破滅のルートを変えられるのか、答えはまだ見えなかった。
その時、扉が勢いよく破り開かれた。現れたのは王宮騎士団、そしてその先頭に立っていたのはグレイ伯爵だった。
「ついに見つけたぞ、生意気な女どもめ!」グレイ伯爵が勝ち誇って叫んだ。「王太子殿下も偽聖女に洗脳されていると判明した。もはやおまえたちには味方など一人もおらんのだ!」
「伯爵!」父ギヨームが必死に割って入った。「何をなさるおつもりですか!これは何かの間違いだと——」
「フォンテーヌ子爵よ」グレイ伯爵が冷笑した。「あなたの娘は王国に対する反逆者だ。あなたにもヴィクトール様から沙汰があるだろうが、当分の間は屋敷から一歩も出ないことだな」
「父上...」ローリエルが呻いた。
騎士たちが一斉に部屋に流れ込んできた。ベルナデットが剣に手をかけたが、数で圧倒的に劣っていた。
「皆さん、抵抗しないで」ローリエルが静かに言った。
一同は手枷をかけられ、馬車に押し込まれた。窓の外では民衆の怒号が響いている。
ローリエルは手枷の冷たさを感じながら、仲間たちを見回した。恐怖に震えるアンジェリーナ、悔しそうに唇を噛むエステル、必死に冷静を保とうとするベルナデット、不安を隠そうとするコンスタンティア。
彼女たちを、必ず救う方法があるはずだ。
王都中央広場に向かう馬車が、石畳を軋ませながら進んでいく。
運命の時が、ついに訪れようとしていた。