第8話「聖女の真実」
王都大聖堂の薔薇窓から差し込む午後の光が、石造りの床に美しい虹色の模様を描いていた。
ローリエルは一人で調査を続けていた。先日アンジェリーナと会った時の能力の異常——あの文字化けやエラーメッセージが気になって仕方がなかった。彼女の周囲で起こる「偶然」について、より詳しく調べる必要があった。
この数日間、ローリエルは密かにアンジェリーナの行動を追跡し、彼女が他の人と接触する瞬間にその人たちの未来を見ていた。アンジェリーナ自身に対しては相変わらず能力が異常を起こしたが、周囲の人々については通常通りルートが見えた。しかし、その内容は恐ろしいパターンを示していた。
市場の花売り少女ロゼに優しい言葉をかけた時:
『ルートA:二日後、花束を落として小さな損失』
『ルートB:今週、客足が悪くて売上が下がる』
宮廷楽師マリアンヌと音楽談義をした時:
『ルートA:今週末、演奏で小さなミスをしてしまう』
全てのルートで、アンジェリーナと接触した女性たちに小さな不運が降りかかると示されていた。些細なことばかりだが、確実に彼女たちの運が悪くなっている。しかも、その後必ず彼女の「幸運」が増すルートも同時に表示される。聖女候補としての評価が上がり、王宮での地位が安定していくのだ。
大聖堂で祈りを捧げているアンジェリーナの姿が見えた。今日も一人の修道女が彼女に話しかけている。
「アンジェリーナ様、今日もお疲れ様でした」
「いえいえ、こちらこそ。シスター・ベアトリス、お体の調子はいかがですか?」
アンジェリーナの手が修道女の肩に触れる。一瞬、微かな光が見えたような気がした。
「ありがとうございます。不思議と心が軽やかになります」
シスター・ベアトリスは微笑んで去っていく。しかしローリエルの能力は、その数分後に偶然通りかかった別の修道女の未来を告げていた。
『ルートA:明日小さな失敗をしてしまう』
『ルートB:数日間、何となく調子が出ない日々が続く』
どのルートでも、アンジェリーナの近くにいた女性に不運が降りかかる。
ローリエルは身震いした。アンジェリーナは本当に無意識に他人の運を吸い取っていたのだ。
その時、アンジェリーナが振り返った。
「あら、どなたかいらっしゃるのですか?」
隠れていることがばれた。ローリエルは覚悟を決めて姿を現した。
「失礼いたします。ローリエル・フォンテーヌです」
「あら」アンジェリーナが微笑んだ。「ローリエル様、こんなところで偶然に」
「祈りのお邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「いえいえ、お構いなく」アンジェリーナの表情が少し曇った。「実は...最近、心が落ち着かなくて」
「何かお悩みでも?」
「私の周りで...良くないことが続いているような気がして」アンジェリーナが俯いた。「修道院の方々が体調を崩されたり、王宮の方が怪我をされたり...私が関わった後に、なぜか皆さんに不幸が」
やはり気づいているのだ。ローリエルは慎重に言葉を選んだ。
「きっと偶然ですよ」
「本当にそうでしょうか...」アンジェリーナが不安そうに呟いた。「私、何かとても悪いことをしているのではないかと」
その夜、オーレリアに招かれて王宮を訪れていたローリエルたちは、王宮内のオーレリアの私室で調査結果を報告していた。
「やはり確信が持てました」ローリエルが調査結果を報告した。「アンジェリーナ様の周囲で、異常な頻度で不幸な出来事が起きています」
「つまり、本当に彼女が原因ということ?」エステルが眉をひそめた。「でも、彼女も被害者やと思うけど」
「そうですね」ベルナデットが頷いた。「意図的ではありませんし、むしろ彼女自身が一番苦しんでいるようでした」
「無意識の能力...」コンスタンティアが考え込んだ。「しかも、誰かが意図的に利用している可能性もありますわね」
オーレリアが深刻な表情で言った。
「もしそれが本当なら、彼女を救わなければなりません。このまま放置するわけにはいかないでしょう」
その時、ローリエルの脳裏に先日の記憶の片鱗がより鮮明に蘇った。
『彼女たちを...幸せに...』
その想いがより具体的な形を取り始める。
『完璧な作品を作りたい』
『彼女たちのために、もっと良い物語を...』
なぜかそんな想いが心に浮かんだ。まるで自分が何かを創造する立場にいたかのような。
「アンジェリーナ様の能力は」ローリエルが静かに言った。「もともと彼女に備わっていたものではないかもしれません」
「え?」エステルが身を乗り出した。
「何か...人為的な要因があるような気がするのです」ローリエルが困惑しながら続けた。「でも、なぜそう思うのか自分でも分からなくて...」
「アンジェリーナは本来、純粋で優しいだけの人のはずなのに」
ローリエルの心に、説明のつかない既視感が広がる。まるで彼女のことを最初から知っているかのような。
「まるで」ベルナデットが考え込みながら言った。「彼女が『そういう人物』だと知っているかのような口ぶりですね」
ローリエルの胸が痛んだ。確かに、なぜ自分はアンジェリーナについてこれほど確信を持てるのだろう?
「それなら」ベルナデットが実務的に続けた。「直接会って確かめるべきですね」
「そうですわ。真相を確かめ、そして...」コンスタンティアが提案した。「もし彼女が本当に被害者なら、私たちの仲間として迎え入れましょう」
オーレリアが頷いた。
「アンジェリーナ様を救い、同時に銀の薔薇の一員として守る。それが最善の策ですね」
エステルが立ち上がった。
「ほな、ローリエルが説得に行って、成功したらここに連れてきてもらおう。私たちはここで待ってるわ」
「分かりました」ローリエルが決意を込めて頷いた。「必ず、彼女を救ってみせます」
ローリエルは一人、アンジェリーナに会いに向かった。
王宮の聖女候補専用の部屋。扉をノックすると、アンジェリーナが現れた。
「ローリエル様...こんな遅い時間に」
「お話があります。大切なことです」
部屋に通されたローリエルは、アンジェリーナの疲れ切った表情を見て胸が痛んだ。
「昼間お話しされていたこと、もう少し詳しく聞かせていただけませんか?」
アンジェリーナの体が震えた。
「やはり...私のせいなのですね」
「そうではありません」ローリエルが優しく言った。「あなたは被害者です。誰かがあなたを利用している可能性があります」
「利用...?」
「はい。最近、王宮で変わったことはありませんでしたか?誰かに特別な指示を受けたり...」
アンジェリーナは長い間考えていたが、やがて顔を上げた。
「実は...王弟のヴィクトール様が、よく私を王宮の重要な会議にお呼びになるのです」
ヴィクトール王弟——国王の弟で、政治的手腕に長けた実力者として知られている。社交界では「目的のためなら手段を選ばない」という噂も囁かれる人物だった。
ローリエルの背筋が凍った。
「重要な会議...どのような?」
「大臣や貴族の方々との会合、商人組合との会議...」アンジェリーナが困惑しながら続けた。「『君にはもっと重要な役割がある』とおっしゃって...なぜ聖女候補の私がそんな場所に呼ばれるのか分からなくて」
「でも...」アンジェリーナの声が震えた。「おかしなことが続いているのです。フォーレット大臣との会談の後、その方が突然体調を崩されて辞任に追い込まれました。商人組合のグレゴリア代表も、私とお話しした翌日に大きな商取引で失敗して...」
ローリエルは戦慄した。アンジェリーナの能力を利用している——そして、それがもし意図的なものだとしたら、関係者たちの不幸も全て計画の一部ということになる。
「ヴィクトール様はいつも『君のおかげで問題が解決した』『君の力は素晴らしい』とおっしゃるのですが...まさか私が皆さんに災いをもたらしていたなんて」
これは偶然ではない。明らかに計画的だった。しかし、ローリエルには別の疑問もあった。ヴィクトールは最初からアンジェリーナの能力を知っていたかのような言動だったが、どうやってそれを知り得たのだろう?
「他にも何か気になることは?」
「私を監視している人がいるような気がするのです。影に隠れて、でも確かに見られているような...」アンジェリーナが不安そうに窓の方を見た。「今も、この部屋にいても視線を感じるのです」
ローリエルは戦慄した。ヴィクトールの陰謀の全貌が見えてきた。そして、もしそれが本当なら、このまま彼女の部屋にいるのは危険だった。
「アンジェリーナ様」ローリエルが緊張した声で言った。「すぐにここを離れましょう。私の仲間たちにも相談したいのです」
「仲間...?」アンジェリーナが困惑した。
「はい。同じように理不尽な扱いを受けている女性たちと、お互いに助け合う同盟を組んでいます」ローリエルが説明した。「もしよろしければ、オーレリア様の部屋で詳しくお話しませんか?」
「オーレリア様...第三王女殿下ですか?」
「はい。私たちの大切な仲間です」
二人は急いでオーレリアの私室に向かった。扉をノックすると、オーレリアが現れた。
「ローリエル様、お疲れ様でした。アンジェリーナ様も...どうぞ、中に。皆さん、お待ちしております」
部屋に入ると、エステル、ベルナデット、コンスタンティアが振り返った。
「アンジェリーナ様」エステルが温かく微笑んだ。「ようこそ」
「皆様...」アンジェリーナが戸惑いながら言った。
「まず、なぜ私があなたのことを詳しく知っているのか説明しなければなりませんね」ローリエルが静かに言った。「私には未来の可能性が見える能力があります。だからヴィクトール様の陰謀も、あなたが利用されていることも分かったのです」
「まるで神の御力のよう...」アンジェリーナが息を呑んだ。「そのような能力があるのであれば、私の呪われた力も本当なのでしょう」
アンジェリーナの表情が沈んだ。「やはり...私は利用されていたのですね」
「でも、もう大丈夫です」ベルナデットが力強く言った。「私たちがあなたを守ります」
コンスタンティアが優雅に立ち上がった。
「アンジェリーナ様、私たちと一緒に戦いませんか?」
「え?」
「銀の薔薇という同盟を組んでいます」ローリエルが説明した。「女性たちが互いに助け合い、不当な扱いから身を守るための結社です」
オーレリアが頷いた。
「私たちなら、あなたを守ることができます。そして、あなたの真の幸せを見つけることもできるでしょう」
アンジェリーナの瞳に涙が浮かんだ。
「本当に...私のような者でも?」
「もちろんです」エステルが断言した。「あんたは私たちの新しい仲間よ」
「私たちは家族です」ベルナデットが微笑んだ。
「血のつながりを超えた、真の絆で結ばれた家族ですわ」コンスタンティアが付け加えた。
アンジェリーナがついに微笑んだ。
「私...皆様と一緒にいたいです」
六人が手を取り合った時、宮内に太鼓の音が響いた。厳戒態勢の合図だ。
その音は、彼女たちの新たな絆に対する試練の始まりを告げていた。