第1話「壁の花は全てを見通す」
社交界のデビュー舞台となる王太子主催の舞踏会。煌びやかなシャンデリアの光が降り注ぐ大広間で、私——ローリエル・フォンテーヌは、いつものように壁際の目立たない場所に立っていた。
淡い灰色のドレスは、周囲の令嬢たちの宝石のような衣装と比べれば、まるで影のよう。それでいい。いや、それがいいのだ。
『ルートA:2分後、アンジェリーナ・ルミエールが転んで王太子に助けられる。好感度上昇イベント発生』
『ルートB:5分後、エステル・コープマンが王太子に近づくが、アンジェリーナの友人に妨害される』
『ルートC:10分後、ベルナデット・ヴァレールが兄に連れられて登場、兄が彼女を王太子に近づけようと画策』
頭の中に流れ込んでくる「情報」を整理しながら、私は小さくため息をついた。
この能力に気づいたのは、15歳の時。最初は予知夢かと思ったが、違った。これは、この世界で起こりうる全ての可能性——まるで乙女ゲームの「ルート」のようなものが見えているのだ。
そして、どのルートを確認しても、私の未来は暗い。良くて一生独身の地味な貴族、悪ければ政争に巻き込まれて没落。
「つまらなそうね、ローリエル」
声をかけられて振り返ると、そこには深紅のドレスを纏ったエステル・コープマンが立っていた。商人の娘である彼女が、なぜ私のような地味な子爵令嬢に声をかけるのか。
答えは簡単だ。彼女もまた、この社交界では「部外者」だから。
「エステル様。お美しいですね、今夜も」
「お世辞はいらないわ。それより——」エステルは声を潜めた。「あなた、何か見えているでしょう?さっきから、まるで舞台を眺める演出家のような目をしている」
鋭い。さすがは将来、王国一の女商人になるはずだった人物。もっとも、それは彼女が「ヒロイン」に陥れられて破滅しないルートでの話だが。
「…少し、お話があります。人目につかない場所で」
エステルの瞳が興味深そうに輝いた。
バルコニーに出ると、春の夜風が頬を撫でた。遠くで音楽と笑い声が聞こえる。
「単刀直入に聞くわ」エステルは欄干にもたれかかった。「あなた、未来が見えるの?」
私は少し考えてから、正直に答えることにした。どうせ、このままでは彼女も私も不幸になる。
「正確には、可能性が見えます。この先起こりうる、様々な未来の形が」
「…本気で言っているの?」
「ええ。そして、エステル様。あなたはどの未来でも、不幸になります」
エステルの顔が青ざめた。しかし、すぐに気丈な笑みを浮かべる。
「それで?あなたは親切心から警告しに来たの?」
「いいえ」私は首を振った。「提案をしに来ました。一緒に、運命を変えませんか?」
静寂が流れた。遠くで、歓声が上がる。おそらく、アンジェリーナが王太子に助けられたのだろう。予定通りだ。
「…面白いわね」エステルが口を開いた。「続けて」
「この国には、あなたのように優秀でありながら、ただ性別や身分のせいで不当に扱われる女性が大勢います。彼女たちと同盟を組み、互いに助け合えば——」
私は言いながら、なぜか懐かしい感覚に襲われた。まるで、誰かのために物語を紡ぎたいという想いが胸の奥から湧き上がってくるような...
「女性の相互扶助組織、ということ?」
「もっと戦略的なものです。情報、経済、武力、政治。全ての面で協力し合い、それぞれの運命を自分たちの手で切り開く」
その言葉を口にした瞬間、私は微かな既視感を覚えた。なぜ私はこれほど具体的な構想を持っているのだろう? まるで以前、同じようなことを考えたことがあるような...
エステルは私をじっと見つめた。値踲みするような、しかしどこか期待を込めた眼差しで。
「リスクは?」
「膨大です。既存の権力者たちは、必ず妨害してくるでしょう」
「それでも?」
「それでも、このまま運命に翻弄されるよりはましです」
長い沈黙の後、エステルは手を差し出した。
「いいわ。乗りましょう、その話。ところで、他には誰を誘うつもり?」
私は微笑んだ。初めて、心から。
「騎士団長の妹、ベルナデット・ヴァレール。没落伯爵家のコンスタンティア・ヴィンター。そして——」
「そして?」
「できれば、オーレリア王女も」
エステルが驚きの声を上げた瞬間、大広間から悲鳴が聞こえた。振り返ると、金髪を短く切り揃えた女性——ベルナデット・ヴァレールが誰かと衝突して、ワインを派手にこぼしている。彼女の表情は無感情だが、その奥に深い諦めが見えた。
『ルートD(現在進行中):兄の画策が失敗、ベルナデットの屈辱イベント発生。兄は別の手段を検討開始』
私の胸が痛んだ。なぜ彼女のことを、まるで大切な友人のように思えるのだろう? 会ったこともないのに。
「あれは…」
「私たちの、最初の仕事になりそうです」
私はエステルの手を引いて、大広間へと戻った。
壁の花は、今夜から動き出す。この王国の未来を、女性たちの手で変えるために。
私の名はローリエル・フォンテーヌ。なぜかは分からないが、全ルートが見える「モブ令嬢」。しかし今夜から、私たちは誰かが決めた「脇役」であることを拒否する。
私たちには、私たちの物語があるのだから。