第90話 音楽の女神
ひと通り館内を回った後、俺たちはここからは自由行動にしようという話になり、それぞれ気になるエリアへ散っていく。
「というわけで、厳正なる組み分けの結果……最初は私とカナタ君で周ります!」
「「くっ……」」
一体女子の間でどんなやり取りがあったのだろうか。
「モテモテだな、奏太」
「モテモテねぇ」
俺といろいろあったせいで男としての株を落としたゴワスが女子に避けられてるだけだろ。とは思ったが、友達にわざわざそんなことを言うもんじゃないか。
「厳正なるって、ただのグッパーだろ」
小学校のときから組み分けではお約束である〝グッパージャスで別れましょ〟だ。
「そういえば、グッパーって地域差あるみたいだよ」
「そうなのか?」
グッパージャス以外はよく知らないから後で調べてみよう。
「さあ、カナタ君! 私と周りましょう!」
「おー、よろしくな」
「は、反応が淡白すぎる……」
俺の言葉に、何故かアミはガックリと肩を落としたのであった。
静かな館内。人の流れが落ち着いた水族館の奥、照明を落とした一角に俺たちはいた。
天井まで届くほどの巨大な水槽の中を、ゆっくりとシロイルカ、別名ベルーガが泳いでいく。水の揺らめきが白い体に反射して、まるで幻想の中に存在する生き物のようだった。
「……なんだか、癒やされますね」
隣からアミの声が聞こえた。静かで、優しい声。その声音すら、この静寂と水音の混じりあった空間に溶け込んで、心地よく響く。
相変わらず、アミの声は話してても歌っていても心地良い声である。
彼女は水槽のガラスに近づき、ガラス越しにこちらを見つめるベルーガと目を合わせて微笑んだ。
「ふむふむ……いい歌詞が閃きそう……こういう、優しくて、澄んだ気持ち……」
呟いた彼女の横顔は、いつものおっとりした雰囲気とは少し違って、どこか芯のある儚さを帯びていた。
どうやら音楽スイッチが入ってしまったようだ。俺も見習わなくては。
「ベルーガか……イルカの声が聞こえる少女の物語。いや、イルカと共に泳ぐことを夢見るアルビノ少女の路線もありか……」
久しぶりに一般文芸のほうで書いてみるのも悪くないかもしれない。ちょっと幻想的な雰囲気の物語は久しく書いていないからな。
俺がぽつりと呟くと、アミが微笑んだまま俺の方を見上げてきた。
「お互い、活動のことばかりですね」
「そういう質だからな。こればっかりは仕方ないだろ」
「ふふっ、ですね!」
アミは小さく笑いながら、そっと俺の横に立つ。肩が触れるか触れないかの距離。
だが、不思議と緊張はしなかった。やはり、俺の中で普段のアミはアミであり、未来の推しであるAMUREとは区別できているようだ。
「ちょっと羨ましいです」
不意に、アミが言った。
「カナタ君って、いつも物語の中で世界を見てるじゃないですか。私はまだまだで……」
「真っ先に自分の世界構築しておいて何言ってんだか」
結局はアミもクリエイター気質なのだ。
ただ名前のことで揶揄われた過去があるため、周囲に馴染もうとした結果、人間のフリをするのがうまくなっただけのようにみえる。
俺も一周目のとき、上司に口を酸っぱくして注意されたこともあり、仕事中は最低限の擬態はできるようになった。マジであの人が上司じゃなかったら社会人をやれていなかっただろう。
「アミは立派なクリエイターだ。俺と同じでな」
そう言って笑うと、アミは少しだけ、寂しそうに目を伏せた。
「……そうだったらいいんですけどね」
「えっ?」
俺が聞き返すよりも早く、アミはにこりと笑って言った。
「なんでもないです」
そう言いながら、アミは指で水槽を軽く指差す。
「私も、カナタ君みたいに、自分の〝好き〟や〝大切〟をきちんと表現できるようになりたいんです。音で」
「音?」
「はい。歌だったり、曲だったり。言葉にすると怖いときも、音ならまっすぐ届けられる気がして」
水槽の向こうでは、ベルーガがくるりと旋回し、尾びれで水を切る。光の揺らぎとともに、アミの言葉が静かに心に染み込んでくるようだった。
「私、もっと曲を作りたいです。カナタ君の心を揺さぶって、釘付けにして離さないような、ちゃんとしたものを」
「最高の誕プレ送っておいてよく言うよ」
「あれは手癖で作っただけですから」
アミが自嘲するように笑った。
「もっとカナタ君の人生をひっくり返すくらいのものを作りたいんです」
アミが、ふっと笑う。どこか照れたように、けれど優しくてあたたかい笑みだった。
「バカ言え。とっくに人生はひっくり返してもらってるっての」
「じゃあ、もう一回ですね」
「おう、どんとこい」
静かな水音だけが響く中で、ベルーガがゆったりと泳ぎ続ける。その柔らかな尾びれがふわりと揺れた。