第59話 タイムリープではなく……
不思議な夢を見た。
中学で疎遠になってしまった初恋の人と、もう一度青春を送る。そんな、あたしが望んでやまなかった夢だ。
あたしの初恋の人、田中奏太。あたしはカナタと呼んでいた。彼とは幼稚園から中学生まで同じ学校に通っていた。いつも隣にいるのが当たり前だった。
なのに、気づけば疎遠になってしまっていた。
高校入学前の春休みに何度か彼の足に運んだことは今でも覚えている。意気地なしのあたしはそのままインターホンを押すこともできずに、家に帰るということを繰り返していた。
「やっぱり、まだ引きずってるのかな……」
女は上書き保存、男は名前を付けて保存と言ったのは誰だ。
いや、上書きするデータがないだけか……高校の内に彼氏作っておけば、こんな未練タラタラの夢を見ずに済んだのだろう。
大学入ってからはバスケやめた反動で激太りしちゃったし。
「よし、もっかい勇気出してみますか!」
ちょうど実家に帰省するタイミングだったし、挨拶しに行くくらいは問題ないだろう。
「……カナタが、亡くなった?」
久しぶりに会いに行ってみよう。そう思ったあたしに、実家から絶望的な知らせが届いた。
ママから聞いた話では、つい先日カナタが亡くなったとカナタの母親である若菜さんから連絡があったとのことだ。
そんな現実を受け入れられるわけがない。そんなこと、あっていいはずがないのに。
平日だったが、遠慮なく有給を使わせてもらった。どうしても行かなければならない気がしたからだ。
葬儀場は厳かな空気に包まれていた。
しめやかに進む式の中、あたしはどこか現実味を感じられずにいた。
ここにいるのに、どこか遠くの世界を見ているような気がする。
祭壇の前、カナタの両親と妹の愛夏ちゃんが並んでいた。
喪服に身を包んだ彼女の表情は、見るに耐えないほどだった。頬はこけ、目は赤く腫れ、まるで生気を失ってしまったかのようだった。
あの子、昔はお兄ちゃん子だったものね。
小さい頃、引きこもりがちなカナタをあたしと一緒に引っ張り出そうとしていた姿を思い出す。
愛夏ちゃんの隣には、一人の男性が立っていた。おそらく旦那さんだろう。
彼もまた、やつれた様子で立っている。カナタとは親しかったのだろうか。
ゆっくりと歩み寄り、静かに言葉をかける。
「この度はお悔やみ申し上げます」
愛夏ちゃんが顔を上げる。その目は驚きに揺れ、すぐに確信へと変わった。
「もしかして、由紀ちゃん……?」
「久しぶりだね、愛夏ちゃん」
久しぶり、なんて簡単に言ってしまったけれど、それはあまりにも軽すぎる言葉だった。
彼女の目には、悲しみと喪失感が滲んでいる。それなのに、懐かしさを含んだ笑みを向けてくれた。
愛夏ちゃんは一度唇を噛みしめると、小さな声で呟く。
「お兄ちゃんね、執筆活動で過労死しちゃったの」
「えっ……?」
心臓が跳ねるような感覚がした。カナタ、まだ小説書いてたんだ……。
「出版社の人から電話があってね。受賞作品に選ばれたけど、電話に出ないって言われて。私、嬉しくなってすぐにお兄ちゃんの住んでる部屋に行ったの……そしたら、お兄ちゃんは冷たくなってた」
声が震えていた。
そんなのあんまりだ。死ぬ気で努力して夢を叶えたと思ったら亡くなり、その姿を妹に見せるなんて……神様どこまで残酷なのだろうか。
何か言葉をかけなければ。でも、どんな言葉をかければいい?
どうしたものかとおろおろしているあたしに、愛夏ちゃんが縋るような視線を向けてくる。
「ねぇ、もしかして由紀ちゃんも夢を見なかった?」
「それって、まさか……カナタとあたしが同じ高校に行ってたらって夢?」
反射的に答えると、愛夏ちゃんの瞳が揺れる。
「見たんだね!?」
彼女の声が上ずる。信じられないものを見るような、それでいてずっと求めていた答えを得たような顔だった。
愛夏ちゃんは、隣に立つ男性をちらりと見やる。そして、確かめるように言った。
「実は私と旦那も――同じ夢を見たの」
その言葉に驚く間もなく、愛夏ちゃんはスマホを取り出した。
「ねぇ、由紀ちゃん……これ」
彼女はスマホの画面を開き、ファイルを一つ選択する。
「お兄ちゃんが書いた小説。これを読んで……ううん、由紀ちゃんは読むべきだと思う」
戸惑いながら、あたしは連絡先を交換してそれを受け取った。
葬儀場ではそれ以上話すこともなく、棺に入ったカナタが火葬場へと向かうのを見送った。
帰宅後。あたしは夢中でカナタの遺作を読んだ。
画面をスクロールする手が止まらない。内容が面白いのはもちろんのこと、登場人物の名前が実在の人物と同じだったからだ。エレベーターアクションの話なんて懐かし過ぎて吹き出してしまったくらいである。
夢の記憶が鮮明に蘇る。あの時感じた感情、交わした言葉、過ごした日々。そのすべてがまるで実際に体験したような感覚を味わった。
だが、そこに書かれていたのは、夢で見た世界とは違っていた。
春休みに再会したあたしとカナタが同じ高校に通い、青春の日々を送る。そこまでは同じだ。
「何で……?」
決定的に違っていたのは、主人公である田中奏太が小説を書いていないことだった。
作中のカナタは小学校のときの思い出を懐かしみ、時に昔と同じ遊びをしてあたしとの日々を噛み締める。そんな主人公だった。
それに比べて夢でのカナタは青春もそこそこに、ひたすら執筆活動に勤しんでいた。
「うーん、カナタが解釈違い」
面白いけど、やっぱカナタがどこか典型的なラブコメ主人公という印象を受けてしまう。
カナタだったら絶対小説ばっかり書いてるはずだ。ウケやすいように主人公の性格をいじったのだろうか。少なくとも、カナタはここまで恋愛感情が死んだ奴じゃなかったはずだ。
たぶんだけど、ラブコメだから主人公がヒロインへの恋心を自覚しないようにした結果だろう。
逆に、それ以外はそうなるだろうと思わせるくらいにそのままだった。
もしかして、高校入学前の春休みに家の前でうろうろしてたのバレてた?
「まさか……!」
そこであたしはある可能性に気づいてしまった。
理性がその可能性を否定するが、感情はそうだと確信していた。
ふと、カナタの遺作でもう一つが作中に出てくる小説への異世界転生だったことを思い出した。
小説の内容と、夢での食い違い。そして、まるで体験してきたかのように鮮明に感じる夢をあたしや愛夏ちゃん、その旦那さんと複数人が見ていた。
「ホント、何てもん書いてんのよ……」
これはあり得たかもしれない一つの世界だ。
11万文字ほどの作品を読み終わり、ファイルを閉じると、改めてタイトルが目に入った。
【疎遠になってた元ガキ大将のムチムチポニテ幼馴染との青春を高校生活から書き直す】
この作品は文字通り、あたしとの日々を書き直したものだったのだ。もうムチムチどころかぽっちゃりだけど。
「てか、何で成人式で会ったときのアイシャドウの色覚えてんのよ」
そして、カナタはその世界へと転生した。夢で見た景色はそういうことなのだろう。
「カナタ……そっちではちゃんと夢を叶えてよね」
あと、できればそっちのあたしも幸せにしてほしい。そう願わずにはいられなかった。