第55話 お説教タイム
その瞬間、俺とヨシノリは本能的に背筋を伸ばす。
小学生の頃、やらかしたときに浴びた、あの〝低めのトーン〟だ。
怒鳴られたりはしない。でも、逃げ場はないと悟らせる威圧感。
久しぶりに聞くはずなのに、その恐怖は魂に刻み込まれていたようだ。
「付いてきなさい」
「「はい……」」
真の鬼に捕まってしまった俺たちは、思い出の余韻に浸る間もなく家へ連行されたのであった。
「まったく、あなたたちは……」
俺とヨシノリは、佐藤家のリビングで正座させられていた。
目の前には、腕を組んでため息をつく紀香さんが仁王立ちしている。
「高校生にもなって、団地で鬼ごっこねぇ……恥ずかしくないの?」
「「返す言葉もございません……」」
俺たちは声を揃えて頭を下げる。
「小学生のときも、一度こっぴどく怒ったわよね? そのとき何て言ったか覚えてる?」
「あの、その……二度とやりませんって……言いました……」
ヨシノリが小さくなる。俺も同じく縮こまることしかできない。
「ええ、確かに言ったわよね。じゃあ、なんでやったのかしら?」
静かに、でも確実に追い詰めてくる口調。
俺とヨシノリは、気まずい沈黙に包まれる。
「紀香さん」
勇気を振り絞って俺は口を開く。
「何かしら?」
「これは俺とヨシノリにとって必要な――」
「奏太君」
「はい、すみませんでした」
言い訳を撤回して俺は秒で頭を下げる。
紀香さんが何かを言う前に謝る。それが最善策だと、過去の経験が告げていた。
「まったく……奏太君、あなたはもっと落ち着いた子だと思ってたのに」
紀香さんは深いため息をつく。落ち着いた子というか、ただの陰キャなんですけどね。
「ママ聞いて! カナタから勝負をしかけてきたの!」
「ヨシノリお前、ズルいぞ!」
「どっちが仕掛けたかはともかく、そもそもこんな幼稚なことをするのが問題でしょ」
紀香さんは軽く首を振り、腕を組んだまま俺たちを見下ろしている。その表情は呆れ半分、諦め半分といったところだ。
「もういいわ、あなたたち。今日はしっかり反省なさい」
お説教が終わる。その事実に、俺たちはようやく安堵の息をつく。
すると、紀香さんの視線がテーブルの上の紙に留まる。
「……あら。これ、何かしら?」
それは、俺がヨシノリの下駄箱に入れた果たし状だった。
「ぷっ……くくくっ……ねぇ、ちょっと待って」
果たし状を広げた途端に、紀香さんは肩を震わせる。
「奏太君、まさか、〝喧嘩してる由紀に言い訳を聞いてもらいたい〟からこんなことをしたの?」
「た、端的に言うと、そうなりますかね」
「ちょっと待って! ママ、そこ笑うところじゃないから!」
ヨシノリが慌てて声を上げるが、すでに紀香さんの笑いは抑えきれなくなっていた。
「だって……ふふっ……こんなバカみたいな理由で団地中を走り回ってたなんて……!」
笑い過ぎて紀香さんの目尻には涙が浮かんでいる。そういえば、この人って笑い上戸だったか。
「そもそもカナタがこんなまどろっこしいことするから、ママに怒られてるんでしょうが! 勝負なんて必要なかったのに!」
「いや、これはその、俺なりの誠意というか」
「つまり、由紀は〝仲直りの必要はなかった〟のに、奏太君と遊びたくて勝負を受けたってことでしょ?」
「ひゃえっ!?」
紀香さんの言葉に、ヨシノリの動きが止まる。
そして、みるみるうちに耳まで真っ赤に染まっていく。
「ち、ちがっ……!」
「違うの?」
「……違わない、です」
「奏太君、よかったわね。由紀はもう怒ってないそうよ」
「そ、そうなのか……?」
俺がチラッとヨシノリを見ると、彼女は顔を真っ赤にしたまま視線を逸らし、咳払いする。
「……もういい、カナタの勝ちでいいよ」
その小さな声に、俺の心臓が跳ねる。
あと少しで、失ってしまった大切な感情を取り戻せるような、そんな気がした。