第51話 漫画の糧になる
放課後。俺は沈んだ気持ちのまま漫研の部室に向かった。
「お疲れ様です……ああ、今日はトト先一人なんですね」
「おつー」
漫研の部室には、トト先のGペンが原稿の上を走る心地よい音だけが響いていた。
ふとトト先と目が合う。トト先は原稿の手を止め、濃いクマの浮かんだ顔で俺のことを眺めていた。
「カナぴ。何かあった」
「いえ、何も――」
「とりあえず、話してみ?」
俺の言葉を遮り、有無を言わさぬ態度でトト先は先を促した。
渋々、ヨシノリとの間に起きた出来事を経緯を説明する。
「――って感じです」
「ふむふむ」
無表情で俺の話を聞いていたトト先は、いつの間にか原稿作業を再開していた。
「カナぴは悪くない」
「いや、でも、俺のせいで由紀は傷ついて……」
俺はヨシノリを〝幼馴染〟というレッテルを張ったキャラとして見ていて、一人の人間として接することができなかった。
「それがどうしたの? ヒロインの悲しみも糧にすればいい」
「だから、それが! ……すみません」
つい声を荒げてしまい、慌てて謝罪する。
「カナぴが感情的な顔を見せてくれたから、おけまる。ゆきぽよのことになると、いつもそう」
だというのに、トト先は無表情を崩して笑顔を浮かべていた。
「自分たちはクリエイター。カナぴはクリエイターとして、一秒一瞬を無駄にしてないだけ」
「だけど、それは大切な人を傷つけていい理由にはならないじゃないですか」
「自分の価値観を大切にしない人を大切にする理由ある?」
トト先は軽く椅子にもたれながら、静かに言葉を続けた。
「でも、よく悩めばいい。悩んでいるカナぴの表情は貴重」
「貴重?」
「君の葛藤や悩み、怒り。その感情が表情に出る瞬間。全部が貴重」
トト先はどこか楽しそうだった。俺は思わず言葉に詰まる。
「それって……」
俺は思わず口を噤んだ。
今まで、俺は人を〝キャラ〟としてしか見ていなかった。
それと同じようにトト先もまた、俺のことを〝真剣に小説を書いている後輩〟というキャラとしてしか見ていなかった。
それがわかったというのに、不快感はまるでなかった。
むしろ、俺の心にあったのは尊敬の念。
俺も負けていられないという対抗心だった。
「自分たちは人をキャラとして見ている。それは悪いことじゃない。何でかわかる?」
「キャラは生きているからです」
突然の問いかけに、俺の口は自然と答えていた。それを聞いたトト先は満足げに頷く。
「そう。人間はこの世界で生きている。自分たちは理解するために情報を変換しているだけ」
その言葉は俺の中ですとんと落ちた。
「それをわざわざ作品という形にする……これが愛じゃなかったら世界が間違っている」
「トト先……」
前提が間違っていたのだ。俺がいけなかったのは、浅い情報で理解した気になり、そこで理解を止めてしまっていたことだ。
俺は人をキャラとして見る。それは変えられない。
ただ、そこに愛があるということを証明しなければならなかったのだ。
「失礼します!」
そんなとき、ジャージ姿の男子が部室の扉を開いて入ってきた。
「バスケ部一年の法華津っす! B組の田中奏太はいますか!」
「俺に何か用か?」
突然やってきたバスケ部員に問いかける。
「いきなりで悪いんだけどさ。ちょっと来てくれないか?」
「いや、用件を――」
「いいよ。貸したげる」
俺の言葉を遮ってトト先が答える。何でだよ。
「青春イベントの予感。カナぴ、先輩命令。行ってきて」
あまりの横暴さに言葉も出なかった。
「あざっす! 田中、いいよな?」
「わかったよ。付いていけばいいんだろ」
「悪いな。助かるよ」
俺は仕方なく法華津に付いていく。トト先は少し意味深な笑みを浮かべて俺を見送る。
「存分に青春してくるといい――漫画の糧になる」
そんなトト先の言葉が、やけに遠く感じた。