第210話 オーバーワーク
自分のクラスに向かう途中、文化祭準備の独特の高揚感と、倒れる寸前の疲労感。その両方が入り混じる感覚に、俺はちょっとした心地よさすら覚えていた。
この熱気と疲労が混ざり合った空気は、ある意味で祭りの醍醐味みたいなものだ。
「おう、お疲れ……」
クラスに戻ると、教室の飾りつけもだいぶ進んでいた。画用紙の切り屑やペンキの匂いが漂い、すでにそれっぽい雰囲気が出ている。
「カナタ、顔が真っ白だよ……! すぐに帰って休んだ方がいい」
いち早く俺の様子に気づいたナイトが慌てて駆け寄ってくる。
「お前も、大して変わらんだろ……。ほら、目の下にクマできてるぞ」
「僕はまだ余裕がある。でも、君は今にも倒れそうじゃないか」
その声色は真剣そのものだった。ナイトも疲れているはずなのに、俺を心配する余裕を残しているあたり、やっぱりコイツはクラスのまとめ役だ。
「バカ言え、HP表示が赤になってからが本番だろうが」
さて、さっさと今日の仕事を片付けなければいけない。
ToDoリストを確認すると、今日中に終わらせなければいけない最優先タスクはマニュアルのブラッシュアップだ。
接客業は未経験だが、マニュアル作りには自信がある。
何せ碌に仕事もできない俺に仕事を覚えさせるため、上司が優先的に俺にやらせていた仕事だ。
自分だって忙しいのに、何度も改善点を指摘して根気よく付き合ってくれた。
そのおかげで、俺の作ったマニュアルは最終的にチームでしっかり運用されるものに仕上がったのだ。
ひとまずネットで調べてまとめた接客業のマニュアルは、文化祭というイレギュラーで起こりうる事態を加味して作成したマニュアルへと進化する。
「こんなもんか……ナイト二次チェック頼む」
「うわっ、混雑時の対応やクレーム対応、厄介客の種類とそれぞれの対応って……こんなに詳細にする必要あるのかい?」
「コスプレ喫茶って業務形態だから、トラブルは起きやすい。対処法があるに越したことはないだろ」
「すっげぇな、奏太。バカの俺でもわかるぞ」
頬を引き攣らせて引き気味のナイトの手元を覗き込んだゴワスが感心したような声を漏らす。
「最高の褒め言葉だな」
マニュアルは伝わらなければ意味がない。
クラスで使うものだし、著作権ガン無視のイラスト多めのわかりやすいものにした甲斐があった。
「なんか姉ちゃん見てる気分だわ。異常なまでに準備をしっかりするタイプというか、なんか似てるなぁって思ってたんだよ」
「ああ、ゴワスのお姉さんか。そういや、まだご挨拶に伺えてなかったな」
ゴワスのお姉さんには夏コミのときに車を出してもらった大恩がある。
この忙しさに区切りがついたらちゃんと挨拶に行かねば。
「それより奏太。仕事あんならもらうぞ。さすがに、その状態のお前をこれ以上働かせらんねぇよ」
「いやいや、軽音部と漫研に顔出してあんまりクラスに貢献できていない俺がこれ以上サボれるかよ」
「お前が貢献してねぇとか、寝言は寝て言え。てか、寝ろ」
「はいはい、今日の仕事が終わったら寝る、よ……?」
立ち上がった瞬間、眩暈がした。
「あっ、やば……」
身体がふらつき、真っすぐ立つことができない。平衡感覚がどこかへ行ってしまったようだ。
全身から力が抜け、俺はそのまま重力に従って崩れ落ちていった。




