第21話 子供に名前をつけるときは客観視を忘れずに
俺が過去に戻ってから、気がつけば一ヶ月が経っていた。
授業にも慣れ、昼休みの過ごし方も固定化してきた。放課後の時間も充実していて、漫研での創作活動にも熱が入る。そんな日常に馴染んでくると、ふと忘れかけていたことが蘇ってくる。
未来での俺は、ただひたすらに執筆に没頭していた。
食事すら流動食で済ませ、まともな睡眠も取らず、ただがむしゃらに書き続けた日々。
それは確かに充実していた。
だが、振り返ると、そこには人との関わりがほとんどなかった。
今は違う。ヨシノリやナイト、アミといった仲間がいる。
この人生は、前とは違うのだと実感しながら、俺はまた新たな物語を紡いでいた。
「うーん……」
「難しい顔してどうしたの?」
今日は学校のない日曜日。
朝からキャラシートの前で唸っていると、ベッドに寝転びながら漫画を読んでいたヨシノリが、ページをめくる手を止めて画面を覗き込んできた。
パタンと本の閉じる音が部屋に響く。
「いや、新作を書いてるんだけど、キャラの名前で悩んでて」
「新作って、前に言ってた異世界転生ミステリー?」
「いや、それはもう終わったから、次の作品」
「早っ!」
ヨシノリは驚いたような顔をするが、小説家を目指すならこれくらいは普通だ。
俺の応募は記念受験ではないのだ。
最終選考の結果が出るのには、最低でも四ヶ月以上かかるのだ。むしろ、四ヶ月なんていろんな小説大賞の中でも早いほうだろう。
この前のはタイムリープ直後に締め切りがあったため一作品しか送れなかったが、ここからは間断なく作品を書き続けて大賞へ応募し続ける。
落ちた物は選考シートを参考に改稿してネットに投稿する。
これを繰り返すだけの話だ。
どうせ書きたいものは次々と湧いてくる。むしろ手が追いつかないくらいだ。
「今度はオカルト異能バトルものなんだけど、主人公は平凡な高校生って設定なんだ」
「おー、王道な感じじゃん。で、名前は?」
「白金玉筆」
「一気に平凡じゃなくなった……」
「だから、悩んでるんだよ」
俺は新作である〝ペンが剣になるので強し!〟のあらすじが書かれたプロットを表示させて、ヨシノリに見せてやる。
あらすじはこうだ。
どこにでもいる普通の高校生の白金玉筆は、平凡な毎日を送っていた。
しかし、ある日。彼は猫のバケモノに襲われ、謎の金髪ピアス男、金元主税に助けられる。そこで、妖怪と戦うための特殊能力〝思念力〟の存在を知る。
ひょんなことから自身のボールペンを剣に変える能力を持っていることが判明し、玉筆は妖怪退治の組織へと巻き込まれていく。という異能バトルものあるあるな導入である。
型破りな作品を書くためもまずは型に嵌める。
これは一周目で死に至るまでに身につけた物語の書き方だった。最初から奇をてらうと崩壊しがちだし。
「こっちの主税君も凄い名前ね」
「この漢字で主税って読む人は普通にいるぞ」
「いるんだ……」
一周目のときの大学で同じ学科にいたからな。学費が足りなくなって「オラに現金を分けてくれー!」と言いながら現金玉を作っていたことは今でも印象に残っている。
ちなみに、必殺技の〝始終御縁〟はタイムリープ後に残金が四十五円になったから思いついた。俺も主税を見習ってそろそろ現金玉集めるか。
「主税はともかく、玉筆は絶対この名前だといじめられるよな」
「金玉筆って呼ばれる未来しか見えないんだけど、これじゃ玉筆君の平凡な未来がまるで見えないじゃない」
「やっぱりそう思う?」
「ていうか、親が普通に思い留まるでしょ。まともな感性してるなら」
「一応、両親を書道家って設定にしてみた」
「そこはちゃんと設定あるんだ……」
ヨシノリは眉をひそめて、俺のキャラシートを覗き込んだ。
昔書いた小説をアレンジしてみたのだが、改めて見ると名前がひどい。いや、ちゃんと理由はあるから問題ないと言えば問題ないのだが。
「何でこの名前にしたの?」
「主人公はボールペンを使って戦うんだよ。だから、玉筆。あとヒロインにタマっていうあだ名で呼ばせたかった」
「想像以上にちゃんとした理由があった」
ヨシノリが納得した様子で頷く。それから気になっていたのか設定について尋ねてきた。
「ちなみに、ボールペンで戦うってどんな感じ?」
「黒ボールペンだと普通の直剣。色によって属性が変わる感じで、赤ボールペンだと炎の剣みたいなイメージだな。派生として鉛筆だと日本刀、万年筆だと魔剣、筆だと妖刀までは考えてる」
「えっ、普通に読みたいんだけど」
「それは来月まで待ってくれ」
無茶をすれば今月中に書き上げられなくはないが、今はそこまで無茶をする必要はない。
タイムリープのおかげで時間に余裕ができた。あとはコンスタントにコツコツ書き上げていくだけだ。
「そうだ、名前を変えたくないなら苗字を変えればいいじゃない」
「まあ、そうなんだけどな」
どうにも俺の中でこのフルネームがしっくり来てしまったのだ。
創作において作品やキャラは自分にとって子供のような存在だ。
いろんな意味を持たせ、想いを込めた名前。その名を背負って自分の作った世界を生きてもらう以上、どうしても名前にも愛着は沸いてしまうのだ。
「そうか、逆に考えれば良かったんだ……名前のせいでいじめられて陰キャになったって設定にしよう!」
「あんたの人の心はどこ行っちゃったの?」
「主人公は陰キャのほうがウケいいし、キャラとして魅力的になるんだ。これは愛情だよ」
「カナタには絶対子供の名前つけさせないようにしなきゃ……」
失礼な。こちとら天下のトト先にネーミングセンスを褒めてもらったんだぞ。
「玉筆君に比べてヒロインは直球ね。猫山葵ってことは猫の力を使えるの?」
ヨシノリが画面をスクロールさせて、ヒロインの名前である〝猫山葵〟を指差した。
「そうだな。あと山と葵で山葵になるだろ?」
「ああ、ワサビ! 懐かしいね!」
その情報だけでヨシノリは答えに辿り着いたらしく、手を打って喜ぶ。
「小学校のときに、あたしの住んでる団地によく来てた野良猫の名前だよね!」
「そうそう、俺が触るとキレるのにヨシノリが撫でると喜んでたよな」
懐かしい思い出である。
タイムリープしてヨシノリと過ごしていると、どんどん昔の記憶が蘇ってくるので助かっている。
「あたしのことは忘れてた癖に、やけに覚えてるわね」
「忘れてたんじゃなくて気がつかなかっただけだから」
モンスター育成ゲームで三段階進化の中間進化がわからなくなったようなものだ。そのくらいは許してほしい。
「ちなみに、ヒロインは幼馴染なんだけど」
「もうツッコまないわよ」
「実は死んでてさ」
「ヒロイン殺しちゃうの!? この人でなし!」
ヨシノリが漫画をパタパタと扇ぎながら、俺を責めるような視線を向ける。
「正確には、物語開始時点では既に死んでて妖怪が記憶を継承して化けている、が正しいな」
「なんかややこしくなってきた」
「要するに、スワンプマンみたいな感じ」
有名な哲学者が提唱した思考実験の一つで、細胞レベルで肉体も記憶も同じ、沼から生まれたスワンプマンは本人と言えるのだろうか、というものだ。
ちなみに俺は、コピー元の本人が死んでいれば同一人物派である。
「普通の幼馴染キャラかと思いきや、実は彼女はもうこの世にいなくて、戦わなきゃいけない妖怪が彼女の記憶を持っているっていうギミックだ」
「……あんたって本当に幼馴染ヒロイン好きなのよね?」
「俺の魂の根幹だからな」
「あっそ。はぁ……」
ヨシノリは深々とため息をつくと、興味を失ったようにベッドに寝転んで漫画を読み始めてしまった。
いや、ツッコミ入れなかったけど、日曜の朝から人の部屋で何してるの君?