第189話 リアルとフィクションが交差する物語
慶明高校の文化祭は十一月前半に行われる。
他の高校よりかは遅めの開催になるが、これは文化祭二日目が文化の日に合わせて行われるためである。
何にしろ、準備期間が多めに取れるのはありがたいことである。
そんな中、俺は放課後の視聴覚室を訪れた。
廊下の奥からすでに音が漏れてくる。ギターのアルペジオ、ベースのうねり、ドラムのビート。
それぞれ違うリズムで奏でられる音が重なり合い、何とも言えない賑やかさを演出していた。軽音部は部員数が多く、バンドもいくつかあるため、部室を使えない日は視聴覚室で個々に練習するのが定番となっているのだ。
視聴覚室のドアをノックすると、中から明るい声が返ってくる。
「カナタ君、いらっしゃい!」
ドアを開けると、思っていたより広い視聴覚室の各所で、軽音部の部員たちが思い思いに練習していた。机や椅子が端に寄せられ、簡易的なスタジオのような空間が作られている。部屋の隅でギターを抱えていたアミが、嬉しそうに手を振る。
その隣では喜屋武がベースを弾きながら軽やかにリズムを刻んでいる。エフェクターを通した音が小さく響き、他の練習と混じり合って独特の雰囲気を醸し出していた。
「お疲れさん。練習中だったか?」
「今日は部室が他のバンドの日だから、こっちで個人練習してるんさー」
喜屋武がベースを置いて振り返る。相変わらず人懐っこい笑顔だ。額に薄っすらと汗を浮かべているのは、先ほどまで集中して弾いていた証拠だろう。
「そうなんだな。それにしても、みんな熱心だな」
周りを見渡すと、ギターの弦を調整している男子生徒や、キーボードで静かにメロディを奏でている女子生徒の姿が見える。みんな真剣な表情で、それぞれの音楽と向き合っている。
「そういや、まだドラムの人に会ったことがなかったな」
「ああ、桃太郎ちゃんのことですね。ちょうど今日は来てますよ」
アミが部屋の奥を指差す。見ると、トレーニングパッドの前で一心不乱にスティックを振る人影が見えた。
ヘッドフォンをつけているため、こちらの会話には気づいていないようだ。
「桃太郎! カナタンが来てるさー!」
喜屋武が大きな声で呼びかけると、スティックの音がピタリと止まる。
立ち上がったのは、短髪でスポーティーな印象の女子だった。ヘッドフォンを外しながら、こちらを見る。
「ああ、噂の小説家さんね」
桃太郎と呼ばれたいかにも体育会系な出で立ちの女子は、大股でこちらに歩いてくる。
がっしりとした体格で、俺よりも頭一つ分高い。
その歩き方からして、普段から身体を鍛えている人だということが分かった。手首にはリストバンドを巻いている。
それにしても、ヨシノリより背の高い女子は初めて見たな。ゴワスと同じくらいあるんじゃないだろうか。
「鬼頭桃です。桃太郎って呼んでもらって構わないよ」
差し出された手を握ると、予想通りがっちりとした握手だった。指先にはタコもできている。相当な練習量だということが伝わってくる。
「ああ、鬼で桃だから桃太郎なのか」
名前を聞いた瞬間、俺は納得した。
鬼頭から鬼ヶ島、それと合わせて桃で桃太郎。なるほど、わかりやすいあだ名だ。
「アミや喜屋武と同じクラスの田中奏太だ。いつもアミと喜屋武が世話になってる」
「いやいや、こっちこそ。この二人がいなかったら、うちのバンド成り立たないから」
桃太郎が苦笑いを浮かべる。その表情には、仲間への信頼と感謝の気持ちがにじみ出ていた。
「桃太郎ちゃんはいつも一生懸命練習してくださるんです」
「そうなのか」
「軽音部一筋でね。毎日のように練習してるから」
なるほど、だからこんなにしっかりした体格なのか。ドラムは全身運動だと聞いたことがある。
「ドラムって、体力使いそうだもんな」
「まあね。でも好きでやってることだから。むしろ、叩いてる時が一番楽しいかも」
桃太郎の目が、ふっと優しくなる。音楽への純粋な愛情が感じられる表情だった。
一通りの挨拶を終えた後、俺は改めて三人を見回した。それぞれが違った個性を持ちながらも、音楽という共通の目標に向かって努力している。そんな姿が、なんだか眩しく見えた。
「アミ、実は今日は相談があって来たんだ」
「相談?」
アミが首をかしげる。ギターを膝の上に置いたまま、興味深そうに俺を見つめている。喜屋武と桃太郎も、自然と俺の周りに集まってきた。
「この前言ってた企画だ。漫研で〝ギター少女アフロディーテ〟っていう漫画を作ることになった」
俺は手に持っていた企画書をアミへと渡す。まとめた資料には、キャラクター設定や大まかなストーリーラインが書かれている。
「それって、アフロンがネットでやってる……」
喜屋武が目を丸くする。
「そうだ。実際のアミの活動をベースに描いていく予定だ」
アミの表情が、少し驚いたものに変わった。手に持っていたピックを、無意識にくるくると回している。
「この漫画には現実とのリンクが不可欠。そこで、だ」
俺は話を続ける。周りの練習音が適度なBGMとなって、俺たちの会話を包み込んでいる。
「しばらく、練習に同行させてもらえないか?」
「練習に同行ですか?」
ぽかんとしたアミが聞き返す。
「ああ。お前らが文化祭でライブをやるなら、漫研は部誌でそこに至るまでの軌跡を漫画化する。リアルタイムドキュメンタリー漫画ってやつだ」
「うわー、面白そうさー!」
喜屋武が目を輝かせる。ベースを抱えたまま、身を乗り出してきた。
「つまり、俺が取材という名目でお前らの練習に付き添って、その過程も含めて物語にするってわけだ」
「へぇ、なかなかロックじゃん!」
どうやら桃太郎も乗り気のようだ。スティックを片手に、にこやかに笑っている。
「私の物語を、漫画にしてくれるんですか?」
アミの目がキラリと光った。その瞳には、期待の色が混じっている。
「ああ。あと、普段ネットで活動してる〝ギター少女アフロディーテ〟の世界観を、漫画でも表現できたらいいなと思ってる」
もちろん、それは後日ネットにサークルK&Kとしてアップしてアミのチャンネルでも紹介してもらう予定だ。
「私も、カナタ君がどんなふうに私たちの音楽を物語にしてくれるのか、すごく興味があります」
アミは静かに、でもしっかりとした声で答えた。ギターを大切そうに抱きしめながら、俺を見つめている。
「楽しみさー! 練習にも気合い入るねー」
喜屋武が嬉しそうに言う。
「今度、軽く合わせる予定があるから、もしよかったら聴きに来ない?」
「是非、聞かせてくれ」
桃太郎の誘いに、俺は二つ返事で答えた。
視聴覚室に響く様々な楽器の音に包まれながら、俺たちの会話は続いていく。
窓の外では夕日が校舎を染め始めており、放課後の特別な時間が流れているのを感じた。
文化祭に向けて、みんなの準備が着々と進んでいる。そんな充実感に満ちた空気が、部屋全体を包んでいた。
そして俺は思った。目の前にいるアミと、俺が描こうとしている〝ギター少女アフロディーテ〟。
リアルとフィクションが交差する瞬間を、俺はこれから描くことになる。
それは、きっと今まで書いたことのない、新しい物語になるだろう。
この経験は絶対に、小説の糧になる。




