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第170話 こだわりなんてものはどうでもいい

 神保町の喫茶店で行われた二回目の打ち合わせ。

 担当編集の根本さんは、いつものように無表情のままタブレットを開き、俺に向き合っていた。


「先日いただいたラフについてです」


 カウンターから少し離れた二人席。コーヒーの香りが漂う店内で、空気は妙に張り詰めていた。

 タブレットを開いた根本さんは、そこに表示された画像をこちらに向ける。

 カミラの聖剣の登場人物たち。トト先が修正してくれたラフイラストだ。


「率直に申し上げて、人間のキャラに関してはさすがでした。ただし、獣人は致命的ですね」


 根本は一切の感情を込めずに言い切った。


「そこは、こちらでも自覚してます」


 俺は素直に認めた。トト先の描く人間キャラは息を呑むほどに魅力的だったが、獣人の描写になると、急にぎこちなくなる。


 構造的な違和感、ポージングの硬さ、毛並みや耳の配置の曖昧さ。

 言い方は悪いが、どうにも立体感がないせいで他のキャラと並べると浮いてしまうのだ。


「早い段階で設定を調整すべきです」

「設定を調整というと、どのように?」

「獣人という設定を、人間ベースに寄せる。要は〝耳と尻尾がついてるだけの人間キャラ〟に変えるということです」

「……は?」


 思わず聞き返してしまった。聞き間違いであってほしかった。


「カク太郎先生の作画力を活かせる方向に寄せるんです」

「でも――」

「リアルな獣人がいるのが、この作品の魅力だと言いたいのでしょう」


 淡々とした口調。それでいて、一切の情や迷いが感じられない。


「それは文字媒体で成立してる話です」

「ガチ目の獣人のほうがケモナー層を取り込めます!」

「こんな微妙な獣人に、ケモナー層が惹かれますか?」


 その一言に、何も言い返せなかった。

 獣人という存在は、俺にとってこの作品の核だった。

 人間とは違う身体的制約を持ち、社会で生きる彼らのリアルな苦悩や個性。

 それが、カミラの聖剣という物語を成立させているのだ。


「この作品の独自性を殺すことになります」

「独自性なんて、売れたあとで振り返って語るものです」


 バッサリと切り捨てられる。根本さんの視点はあくまで〝売れるかどうか〟だけだ。


「いいですか。この作品の魅力は〝原作者である田中カナタが漫画も描ける人気イラストレーターであるとっととカク太郎を唯一作画担当にできる〟という点です」


 つまり、俺はトト先のバーターってことか……最初からそれが狙いだったのだろう。


「田中先生。現実を見ましょう。今の時代、ライトノベルは売れない。復権はなく、どんどん衰退していく。これから伸びるのはコミカライズ。漫画の成功こそが、作家としてのあなたの価値を高めてくれる」

「…………」


 実際、未来でもそうなっている以上、俺は何も言い返せなかった。


「しかも今回は、〝金賞作家と人気イラストレーターのコンビ〟という触れ込みもある。カク太郎先生が最近〝実は美少女だった〟と話題になっているのも、販促には使えます。話題性は十分。ニヤ生の創作ラジオも好評なんでしょう?」


 根本さんは、まるで商品データの一部を読み上げるかのように淡々と続けた。


「僕たちは、芸術作品を作ってるんじゃない。売れる商品を作ってるんです」


 その言葉が、喉の奥に重く引っかかる。

 作品は商品。何度も耳にしてきた現実だ。それでも、何かが割り切れなかった。


「もちろん、最終的な決定は先生にお任せします。ただし……田中先生は、商業作品において重要なことを高校生の身にしてよく理解されてると思ってますがね」


 根本さんの口ぶりには、皮肉とも称賛ともつかない含みがあった。

 あくまでも事実として告げているだけ。そんな冷静さが、かえって重たく響く。


「どうして、そう思うんですか」

「あなたが初版分の印税を突っ込んで宣伝を行うことくらい知っています」

「あれは学校の先輩が提案してくれたので、俺の発想じゃないですよ」

「でも、それを実行できるのは普通じゃない」


 根本さんは淡々と続ける。 


「いいですか。高校生にとって、ライトノベルの印税は大金なんですよ。仮に初版一万部、一冊680円、印税8%とすれば56万円です。それを宣伝に突っ込んでくださいなんて普通の高校生には言えない」

「いや、重版がかかれば収入はあるし、続刊にも繋がるじゃないですか」

「それを理解して実行できるのが普通じゃないと言っているのです。あなたはプロモーションの重要性を他の作家以上に理解している」


 冷たいようでいて、根本さんの言葉には編集者としての経験から来る重みがあった。


「それに、締め切りを守り、それなりのクオリティを恒常的に出してくれるクリエイターは貴重です」


 冷たいようで、ある意味では誠実な言葉だった。

 商業の世界では、感性や夢だけではやっていけない。

 〝当たり前のことを当たり前にできる人間〟が、何よりも重宝されるのだ。


「仮に知名度のない作画担当を引っ張ってきたところで、田中先生の名前だけじゃ面白くても売れないでしょう。それ以前に、営業部を納得させて部数を多く用意することもできない」


 根本さんは一瞬、目を伏せてタブレットへ視線を移す。


「〝面白ければ売れる〟なんて言葉は社会を知らないバカの妄言です。作品を効果的に宣伝しなければ売れないし、効果的に宣伝すればつまらない作品でも売れる」


 もちろん、一定のクオリティがないと続かないですが、と呟くと根本さんは俺を真っ直ぐに見据えて告げる。


「だからね。あなたのこだわりなんてものはどうでもいいんですよ」


 唇を噛みしめながら、視線を落とす。

 返す言葉は、なかった。


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