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第153話 伊藤都々との出会い

 昔から漫画を描くことが好きだった。

 お父さんが漫画家だったということもあった。

 けど、一番の理由は母の日にお母さんの似顔絵を描いて喜んでもらえたことだ。


「まあ、美晴! あなた本当に絵が上手ね!」

「えへへ!」

「きっと将来はお父さんみたいな漫画家さんね!」


 紙と鉛筆だけで人を笑顔にできる。

 それがどれほど嬉しいことだったか、今でもよく覚えている。


 それからは、学校から帰ると毎日のように絵を描いた。

 真っ白なスケッチブックに、思いつくままキャラクターを描いて、物語を考えて、セリフを添える。

 傍から見ればただのおままごとでも、私にとってはまぎれもない〝創作〟だった。


「お父さん、これどうやって使うの?」


 何度か足を運んだお父さんの書斎には、プロの道具が並んでいた。

 Gペンに丸ペン、スクリーントーン、インクの匂い、乾いた原稿の手触り。

 それらは私にとって、宝箱のような世界だった。


「これはGペンと言ってだな。ペンを持つ力次第でいろんな線が描けるんだぞ」


 優しく教えてくれる父の手の動きが、私は大好きだった。

 小学生の私は、誕生日に買ってもらったGペンの練習をして、絵を描くようになった。

 学校ではちょっとした〝絵のうまい子〟として知られるようになり、未来の漫画家先生と持て囃された。


 だから勘違いをした――自分がお父さんから受け継いだ才能を持った未来の漫画家なのだと。


「美晴ちゃんって、本当に絵が上手だよね!」

「私も描いて描いて!」


 小学校でそれなりに絵が描ければすごいと言われる。


「また似顔絵描いてくれたの? ありがとう、嬉しいわ」

「美晴は毎日絵の練習をして偉いなぁ」


 両親だって絵そのものがうまいから褒めたわけじゃない。

 それでも私は、その称賛を全て自分の才能だと信じ込んでいた。

 全てが変わったのは、あの子が転校してきてからだった。


 小学校三年の春。

 クラスに新しい子が来ると先生が紹介したとき、教室はざわついた。

 転校生の伊藤都々は、自己紹介すら小さな声で、すぐに黙り込んでしまった。


 給食も一人、休み時間も一人。

 話しかけても、返ってくるのは曖昧な頷きか小さな声だけ。

 周囲は徐々に距離を取り、いつしか関わりにくい子として扱われるようになっていた。


「一緒に食べてもいい?」


 当時、全てを持っている気でいた私は、憐みから都々ちゃんの隣に座ってみた。

 私が尋ねると、小さく頷いてくれた。

 話しかけても反応は薄かったけれど、少しずつ、ほんの少しずつ、都々ちゃんの表情が柔らかくなっていった。


 そんなある日、私はふと思いついて、都々ちゃんの笑った顔を想像で描いてみた。

 見たこともない表情なのに、なぜか筆はスラスラと動いた。

 都々ちゃんはその絵を見て、確かに微笑んだ。


 ほんの少しだけ上がった口角――それが、嬉しかった。


 絵で誰かの心が動く瞬間を目の当たりにして、私は、またひとつ創作の魔法に取り憑かれていった。


「これ、どうやって描いてるの?」


 その日から、都々ちゃんは私の描くものに興味を示すようになった。


「この線はGペンを使って描いてるの。あっ、Gペンっていうのはね。ペンを持つ力次第でいろんな線が描けるんだよ」


 得意げに解説する私に、彼女は無言で頷いて、時々、じっとペン先を覗き込んできた。

 私は、それが嬉しかった。

 誰かに必要とされる感覚が、誇らしかった。


 そうして私は、いつしか〝先生〟を気取るようになっていった。

 都々ちゃんは私の言うことをよく聞いて、素直に従ってくれた。

 それが当たり前になって、私は自分の中にあった優越感に気づかないふりをしていた。


 このときの私は、知らなかった。

 その無口な女の子が、自分よりもずっとずっと才能に満ちた人間であることに。

 彼女が私の背中を見て、ひたむきに努力し続けていたことに。


 そして、いつか私の手の届かない場所へ行ってしまうということに。


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