第132話 くっころ飯
印刷所から新刊が部室に届いた。
今回の部誌は俺とトト先の合作。そう、プロデビュー前の最初で最後の合作だ。
ポニテ馴染が出版されたあとは、名実供に俺たちはプロの世界でコンビを組むことになる。
作者のストーリー性という面でも、宣伝効果はあるだろう。
「さて、みんなできあがった部誌の確認するよ!」
「おー!」
漫研のみんなもノリノリだ。
数日前から雑用で来てくれる原先輩や他の文芸部員も混じっている。文芸部にいたときより楽しそうだし、ある意味これで良かったのかもしれない。
「田中君は本当にすごいな。受賞したラノベはラブコメだろう? それで今回は飯テロものなんて、幅広いジャンルで書けるんだね」
部誌を読みながら原先輩は感心したような声を漏らす。
「俺はトト先みたいな特化型じゃないので、試行錯誤してるだけですよ」
「またまたご謙遜を」
原先輩は冗談めかして笑う。
思えば、この人とも一周目でこんな風に笑い合ったことはなかった。
一周目ではできなかったことができている。
そのことに俺は充実感を得ていた。
「そういえば、カナタ。主人公とヒロインの名前ってなんか由来あるの?」
ヨシノリがパタンと部誌を閉じて問いかけてくる。
今回の部誌のタイトルは、〝くっ殺せ……ご飯のあとに〟略して〝くっころ飯〟だ。
現代に異世界転移してきた女騎士を社畜男性が養い、ご飯を食べさせるグルメ漫画である。
主人公の名前は、道尾錬治。
ヒロインの名前は、アイシャ。
ネットでの反応も好評で、SNSでも載せた一話が既に結構バズっていた。
「ヒロインの名前と主人公の名前を繋げて読んでみてくれ」
「アイシャ、みちおれんじ……?」
「道をどうって読んだ場合は?」
「あいしゃどうおれんじ……あんたねぇ」
ヨシノリがこめかみに手を当て、呆れた視線を向けてくる。
そう言いつつも口元は少しだけ緩んでいる。たぶん、内心では喜んでいるのだろう。
「女騎士のイメージカラーがオレンジ色なのは、そういうことだったんだね」
「言わなくても自分にはわかってた」
苦笑している東海林先輩の横でトト先は自慢げに鼻を鳴らしていた。
「ショージ―。過去の漫研の部誌ってどうする?」
資料整理をしていた原先輩や文芸部員たちが東海林先輩へ指示を仰ぐ。
「ああ、それはダンボールにまとめて奥の方にしまっちゃって」
「了解」
返事をすると、彼らは引き続き古い部誌やコピー本を一冊ずつ確認しながら、テキパキと作業を再開した。
ダンボールに収まっていく過去の部誌たち。
どれもかつての部員たちが作った大切な作品だ。
その中に、俺の知らない時代の熱意や、今とは違う空気が詰まっている気がした。
「あの、ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「ちょっと田中君。部誌の確認中でしょ」
東海林先輩が眉をひそめてこちらを見ていた。
「すみません、なんか……気になっちゃって」
「気持ちはわかるけど、今は自分の原稿確認してて」
「はーい……」
渋々戻ろうとしたとき、ふと一冊の漫画の原稿が視界の端に映った。
東海林先輩が目線を外した隙に、俺はそれを手に取った。
つい興味本位でページを捲る。
絵柄的に、トト先の作品ではないようだ。
線の強弱、構図のバランス、余白の使い方。
そのどれもが学生の作品にしては完成度が高かった。
南総里見八犬伝をモチーフにした物語らしく、剣と魔法が入り交じる異世界ファンタジー。
それぞれのキャラクターには、里見八犬伝の「義・勇・礼・智・忠・信・孝・悌」に対応するルーンが割り振られており、里見八犬伝だけでなくケルト神話についても細かく資料を読み込んだ上で描かれたことが窺える。
キャラの描き分け、物語の起伏、情報の開示と伏線の張り方。
一つ一つの描写に意図が詰まっていた。
そして、何よりもケモノよりの獣人が圧倒的にうまい。
これだけリアリティのある獣人を描くには、相当な努力を積み重ねたのだろう。
「これ……描いたの、誰なんだ?」
表紙に目を戻すと、そこには〝小池ケイコ〟と書かれていた。
知らない名前だった。
「カナぴ。サボり?」
「すみません、トト先。すぐに確認に戻ります」
珍しく席を立ったトト先が俺の後ろから部誌を覗き込んできていた。
「その漫画。面白かった?」
「面白いです」
ただ難点があるとすれば、伏線回収までが長いのと説明描写が多いことだろうか。
展開に納得感はあるが、爽快感はない。
じっくりと読む分にはいいのだが、流し読みするタイプの読者には情報が入ってこなそうだな、という懸念はある。
俺はこういう導入が長い作品も好きだけど。
「それ、師匠の作品」
「えっ……!?」
トト先の一言に、思わず声が裏返った。
「師匠って……」
「自分の」
トト先は当然のように答える。
その目は真剣で、どこか誇らしげな色も滲んでいた。
「その人がいなかったら、今の自分はいない。構図もコマ割りも全部教わった」
冗談じゃなかったらしい。
師匠と呼ぶからにはかつての卒業生だろうか。
「その、小池ケイコ先生って、プロの人なんですか?」
恐る恐る聞くと、トト先は首を横に振った。
「違う。でも、本気で漫画を描いてた。ずっと昔に」
「昔って……今は描いてないんですか?」
「描いてない。描くのをやめた」
トト先が初めて、少しだけ悲しそうな顔を見せた。
「だから、自分は止まらないって決めた」
その言葉には、トト先にしては珍しい、強い感情が込められていた。
「それにしても、学生でこの完成度はヤバいですね。構成力が尋常じゃない。トト先がセンスと表現力の暴力なら、小池ケイコ先生は――」
「理詰めの芸術」
トト先が淡々と続けた。
「感情で殴るタイプじゃない。作品に触れると……静かに引き込まれる」
まさにその通りだった。
キャラクターの動き一つ、構図一枚一枚に、計算された意図がある。
「……トト先もすごいけど、小池ケイコ先生も本当にすごいですね」
「ふふん。カナぴの目は確か」
トト先は満足げに頷いた。
それから、そっと俺の手元から冊子を取り上げて、大事そうに胸に抱える。
「いつかまた描いてくれる。自分はそう信じている」
そう呟いたトト先は、まるで祈るように、そっとその漫画を抱きしめた。
その仕草には、彼女らしからぬ繊細さと敬意が滲んでいた。