第131話 下っ端の苦労
部室でコミケの準備を進めていると、遠慮がちなノックの音がドアに響いた。
「どうぞ」
東海林先輩が声をかけると、申し訳なさそうな表情をした文芸部の二年生が顔を覗かせた。
この人は一周目で周囲とのコミュニケーションがまともに取れなかった俺でもよく覚えている。
原玄斗。気配りのできる人の良い先輩で、定期的に癇癪を起こす釈先輩を宥めてくれていた。
「先日は部長がご迷惑をおかけしました……」
彼は深々と頭を下げながら部室に入ってきた。ヨシノリが意外そうな表情を浮かべる。
「先輩も漫研にいちゃもんつけにきたんじゃないですか?」
「いや、そんなまさか!」
原先輩は慌てたように手を振った。
「部長には僕からも言い含めておく。本当にごめんなさい」
原先輩の肩は小刻みに震えていて、相当参っているのがわかった。
「別に原先輩が謝ることじゃありませんよ」
俺は苦笑いを浮かべながら言った。
この人は釈先輩と違って信用できる。
原先輩は文芸部に所属している人間の中でも、真面目に執筆に取り組んでいたからだ。
我流で書いていた俺にも、文章ルールを教えてくれたりしたこともあり、俺にとってはある意味師匠のような存在でもある。
三年生になってからは、勉強に力を入れだしたのか全然書かなくなってしまったのは少し寂しかったが。
「それより、文芸部の方は大丈夫なんですか? 釈先輩、相当焦ってるみたいでしたけど」
「それが……」
原先輩は困ったような表情を見せた。
「実は一年生が全然入部してくれなくて。今年に入ってからまだ一人も……」
東海林先輩が「あー」と小さく呟いた。どうやら心当たりがあるようだ。
そういえば、一定以上の部員数が確保できないと部としての存続に関わるんだっけか。
「原ちゃんもしかして、生徒会からも何か言われてるの?」
「そうなんだよ。文化祭で部誌を発行してるだけじゃ活動実績として弱いって」
原先輩の声がさらに小さくなった。
「それに、漫研さんはコミケで実際に本を売ったりと、目に見える成果を上げてるからさ。それと比較されて……」
「ああ、なるほどね」
ヨシノリが納得したように頷く。
「それで、とどめとばかりに」
原先輩の声にわずかに苦々しさが混じった。
「つい先日、漫研から高校生ラノベ作家が誕生したって話が広まって……その、部長が爆発しちゃって」
「なんか、すみません」
一周目は俺が文芸部に入部していたし、原稿もあげていた。それが丸々なくなって、漫研で成果を出してしまったからこそ、この歪みは生まれたのだろう。
俺が謝ると、原先輩は慌てたように顔を上げた。
「えっ、あ、ごめんごめん! 別にそれが悪いって言ってるわけじゃなくてね!」
「いや、わかってます。釈先輩の気持ちもわからなくはありませんから」
同じ創作系の部活として比較されるのは辛いだろう。
しかも、漫研から自分たちが成りたいはずの小説家が出るなんて、プライドの問題もあっただろう。
それを差し引いても、あの人はクソだけど。
「あの、それで……もしよかったらなんだけど」
原先輩は遠慮がちに口を開いた。
「コミケ前で忙しいとは思うし、もし手伝えることがあれば言ってほしい。せめてもの謝罪の気持ちとして……」
「手伝い?」
東海林先輩が首を傾げた。
「ほら、僕たち創作はいまいちでも、雑用ならできるから」
「そんなに自分を卑下しないでよ」
「僕はショージーみたいに心が強くないんだよ……」
そこで原先輩が東海林先輩をあだ名で呼んだことが気になった。
「東海林先輩って原先輩と仲良いんですか?」
東海林先輩は仕事モードになるとコミュニケーション能力が爆上がりするが、基本的には人見知りで人と話すことは好きじゃないらしい。
そんな彼女が男子と仲良さげ雰囲気だったのが気になったのだ。
「同中だったからね。しかも三年間クラスいっしょでね」
「まあ、僕が話しかけてばっかりだったけど」
苦笑すると、原先輩はどこか懐かしむように告げた。
「あの頃のショージーはすごかったよね。なんかこう、執念の人みたいな感じでさ」
「わー! わー! そ、そういえば、部室の片付けがまだ終わってないんだよね」
何だか原先輩がとても気になる話をしようとしたところで、東海林先輩が焦ったように手をバタつかせ、強引に話題転換をはかる。
「コミケの新刊を置くスペースを作らないといけないし、不要な資料とかも整理したいんだよね!」
「ああ、それなら僕に任せてよ。整理整頓は得意だから。文芸部でもよくやらされてるし」
てっきり自主的にやっているものだと思っていたが、あれ押しつけられていたのか……。
「ありがと。まとめておいた不要なものを段ボールに整理してもらえる? 結構量あるし、人手があると助かるんだよね」
「もちろん、よろこんで!」
原先輩の表情がぱっと明るくなった。どうやら、何か役に立てることがあって安心したようだ。
「ありがとうございます、原先輩」
俺は先輩に向かって頭を下げた。
「文芸部と漫研、対立する必要なんてないと思うんです。同じ創作を愛する者同士、もし協力できることがあれば、いつでも言ってください」
「君、良い奴だなぁ……」
俺の言葉に、原先輩は目を潤ませながら深く頭を下げた。きっと、部内でも相当なプレッシャーを感じていたのだろう。
ヨシノリが小さくため息をついた。
「結局、くだらない上の人間の事情に振り回されるのは下っ端なのよね」
その言葉に、全員が苦笑いを浮かべるしかなかった。