第127話 そのほうが熱い
ヨシノリを家まで送ってから、俺はすぐに担当編集である佐藤さんへ連絡した。
焼肉の余韻がまだ微かに残っていたが、今はそれどころじゃない。
「お世話になっております。田中カナタです」
『こちらこそ、お世話になっております。どうしました、田中先生』
電話越しの声は、いつもの柔らかさを保ちながらも、どこか仕事モードの緊張感が混じっている。
「実は、改稿のことでご相談があります」
『と、言いますと?』
佐藤さんの声色が一段深くなる。
少し息を整えてから言葉を選ぶ。
「敵役の司馬蹴人の設定を少し変更したくて」
思いつきではない。俺なりに考え抜いた上での提案だ。
『なるほど、ただのざまぁ展開にしたくないというわけですね』
さすが編集さん。予想以上に飲み込みが早かった。
「ええ、単純なざまぁ展開だと、蹴人が記号的になりすぎる気がして」
俺の中で引っかかっていたものを、言葉にして外へ出す。
佐藤さんはしばらく黙った。
電話越しに聞こえるわずかな空調の音と、俺の心臓の鼓動だけが耳に残る。
『では、蹴人の位置づけをどうしたいんですか?』
つい無言になった俺に対し、佐藤さんは促すように口を開く。
「嫌われる要素は残します。ただ、最後には自分の気持ちを吐露して主人公に謝って、主人公も自分の行動を謝って友人になるって展開にしたいんです」
俺とゴワスが友達になれたように、主人公の良久と蹴人も友達になれると思うのだ。
『なるほど。単なる敵役ではなく、主人公にとっての鏡合わせのような存在にするというわけですね』
「はい。読者の爽快感が薄れるかもしれないけど……俺自身、そっちのほうがキャラが生きていると思うんです」
電話の向こうで、佐藤さんが小さく笑ったような気がした。
『……正直に言いますと、担当編集としては、蹴人をスカッとやっつける展開の方がわかりやすいとは思います』
「ですよね……」
わかっていた。商業作品としての〝わかりやすさ〟や〝痛快さ〟は、販促面でも重要だ。
やっぱり、蹴人は読者が容赦なく悪感情を吐き出せる的になってもらったほうが作品としては盛り上がるのかもしれない。
そんな逡巡が胸に広がる。
『ですが』
その一言に、思わず背筋が伸びる。
『単純なスカッと展開より、主人公の対になるほうが熱いと思います』
「佐藤さん……」
電話の向こうで、静かに微笑んでいる佐藤さんの姿が、何故か鮮明に思い浮かんだ。
『キャラに深みがある分にはいいじゃないですか。尺も足りていて、見せ場も他にたくさんある。安直なざまぁ展開の犠牲にするには、《《彼は》》惜しいでしょう』
理屈だけじゃない。物語への感覚と情熱を、ちゃんと持っている人なんだ。
『その代わり、鏡合わせだと言える部分はしっかり描いてくださいね』
「もちろんです!」
本気でぶつけた提案を、本気で受け止めてくれる人がいる。
その事実だけで、また一歩、書き進める力が湧いてくる気がした。