第122話 天才は一種の毒
ひとまず、東海林先輩のおかげでトト先の暴走は収まった。
ただこれからの制作進行においては、トト先の暴走も織り込んで作業する必要があるだろう。
「改めて思いますけど、東海林先輩ってすごいですよね」
「ん、何が?」
「印税を宣伝に使うこと思いついたり、トト先の暴走を収めたり、高校生離れしてますよ」
「あはは、君にそう言われるのは心外だなぁ。田中君のほうがよっぽどぶっ飛んでると思うよ」
そう言って笑う東海林先輩の姿は、やっぱり大人びて見える。
何というか、立ち位置がはっきりしていて、迷いがない感じだ。
ふと、前から気になっていたことが口をついて出た。
「そういえば東海林先輩って……漫画、描かないんですか?」
彼女はいつも裏方で動いていて、絵を描いているところを見たことがなかった。
「私はそっちの才能はないからね」
東海林先輩はあっさりと答える。
その声音に、変な重さや含みは感じられなかった。
ただ、事実として、淡々とそう言っただけ。そんな印象を受けた。
「描けなくてもできることはたくさんあるから私はそっちをやってるだけだよ」
「なるほど……」
言葉に重みがある。
描く人、描かない人。
それぞれの立場があって、それでも一つの作品をつくっていけるんだと、そう思えた。
そうして会話が一段落した、そのとき。
「漫研! ちょっと話がある!」
部室のドアが勢いよく開かれ、怒鳴るような声が飛び込んできた。
その声に、俺も東海林先輩も、同時に顔を上げる。トト先は安定のノーリアクション。
現れたのは、文芸部の部長。三年生の男子で、見覚えのある顔だった。
釈規定。
一周目では、数少ない文章を書いていた先輩だった。
正直、他作品をやたらとこき下ろす人だったから、あまり好印象はない。
「何ですか、釈部長」
東海林先輩が、落ち着いた口調で声をかける。
一方の釈先輩は、立ったまま部室内をぐるりと見渡し、明らかに俺の存在を確認してから言葉を発した。
「君が噂の高校生ラノベ作家か」
問われた瞬間、部室の空気が少しだけ硬くなった気がした。
俺は自然と姿勢を正す。
久しぶりに見る先輩の姿に、条件反射のように背筋が伸びていたのだ。
「はい、そうですけど」
「文芸部があるのに、漫研で小説家ねぇ……」
釈先輩の口調は静かだが、確かな圧がある。
まるで、作品を批評するときのような口ぶりだった。
「漫研はコミケなどの活動実績が認められて予算も多く割り振られている。その実態は天才絵師を抱え込んだだけなのにな」
言葉の棘は、明らかにトト先を指していた。
トト先本人は、どこ吹く風といった様子でGペンを走らせている。
ブレないな、この人。
「そこに加えてラノベ作家まで所属しているのはおかしいだろ。小説が書きたいなら文芸部にいるべきだ」
ああ、そういうことか。
これは、俺が文芸部に所属していた一周目では起きなかった展開だ。
今は俺が漫研に所属したままプロ作家になったからこそ、釈先輩の中で《《釣り合いが取れない》》と感じてしまったんだろう。
「それは田中君の自由です」
東海林先輩が庇うように、俺と釈先輩の間に割って入る。
「創作の形は人それぞれです。部活という枠を超えて活動している以上、それは本人と編集部との話です。部の所属は関係ないかと」
その口調には棘もなければ、挑発もない。
ただただ冷静に正論を返していた。
一拍の沈黙が落ちた。
だが、釈先輩の表情にはまったく納得の色が見えなかった。
むしろ、静かに煮えたぎるような感情が、目の奥に宿っていた。
「プロの小説家が漫研にいることで、生徒会からの予算が増える可能性が出てきた。そうなったときに、削られるのは同じ創作系の部活であるこちらだ」
その言葉には、焦りと苛立ちが混じっていた。
予算は、成果や話題性に応じて変動する。
漫研が部として目立てば目立つほど、活動していない側にとっては痛手になるのも事実だ。
活動しろよタコ、と思わないでもない。
そんなくだらないことを気にしている暇があれば、活動実績を作るための努力をすればいいだけ。
それをしないような生産性のない集団だから、俺は二周目で入部をしなかったのだ。
「もし予算の変動があるとするなら、それは田中君の肩書によるものじゃありません。活動の結果です」
「活動の結果、ね」
その呟きには、乾いた笑いのような響きすらあった。
「大勢の漫研部員を壊しておいてよく言えたものだ」
「っ!」
空気が音を立てて凍った気がした。
東海林先輩も俺も、言葉を失う。
釈先輩の目が、一瞬だけ、トト先に向けられた。
「天才は一種の毒だよ」
明言はしなかったが、その視線と語気のすべてが、誰を指しているかを物語っていた。